ウマ娘で学ぶ競馬史 #12 届くもの、届かざるもの (1994〜96)

※本記事は2021年8月1日にnoteに投稿した記事の一部を再構成したものです

皆さまごきげんよう。ウマ娘、やっておられる?

私がお嬢様モードなのは他でもない、メジロアルダン嬢の実装によるものですわ。

無事爆死しましたわ!!SRのくせに全然出てきませんでしたわ!!ライアンはSSRとSRとRで3枚引きしましたわ!!なんでや!!!!!

フジキセキの影響でTLが夢女と宝塚歌劇団に染まる中、僕は独りで唸ってましたよ。

唸れ 低音の 低音唸り団
貢げ 万札の 万札貢ぎ団

低俗課金団のテーマはさておき、フジキセキの育成シナリオを見ていて思うことがありました。
今回と次回でそこに触れながら、94世代の衝撃の英雄について語っていこうと思います。

そんなわけで今回はフジキセキ回です。(言っても序盤だけだけど)毎度毎度無理やりな前フリ。

ナリタブライアンをはじめとするスターホース達が軒並み憂き目に遭う中、次なる強者はどこから現れるのか。衝撃の2歳戦線と時代の転換点から見ていきます。

参りましょう。

この時代のウマ娘作品

・アプリ『ウマ娘』 メインストーリー第4章
・漫画『ウマ娘 プリティーダービー スターブロッサム』

前回はこちらから↓

前回までのあらすじ

1994
  • 牡馬三冠
    怪物現る

    2歳王者ナリタブライアンが第5代の三冠馬へ。2歳GI級競走勝ち馬のクラシック三冠は史上初。

  • 桜花賞
    オグリコール再び

    オグリキャップの妹が桜花賞を勝利。阪神競馬場でオグリコールが沸き起こった。

  • 春古馬二冠
    怪物の兄

    ナリタブライアンの兄ビワハヤヒデも怪物だった。天皇賞と宝塚を連勝し古馬最強の座へ。

  • クイーンC〜ローズS
    裏街道

    外国産馬のためクラシック二冠に出られないヒシアマゾンが重賞を連戦連勝。三冠目に殴り込み。

  • エリザベス女王杯
    女傑襲来

    オークス馬チョウカイキャロルとヒシアマゾンの対決。大外を回るヒシアマゾンが僅かに先着。

  • 天皇賞(秋)
    三強時代の終焉

    ビワハヤヒデ、ウイニングチケットが屈腱炎を発症し失速。勝ったのは中距離巧者ネーハイシーザー。

  • ジャパンC〜有馬記念
    病欠

    GI初制覇が期待されたマチカネタンホイザは、JCを鼻出血、有馬を蕁麻疹で出走取消。

  • ジャパンC
    セン馬の底力

    騙馬が再び日本の頂点へ。マーベラスクラウンが低評価を跳ね除け1着。

  • 有馬記念
    怪物VS女傑

    ナリタブライアンVSヒシアマゾン、夢の対決はブライアンの圧勝で終わる。

嵐の前の沈黙

数年前、トニービンを輸入して成功を収めた日本競馬界の一大勢力・社台ファーム。グループ総帥、吉田善哉氏は次なる目標を見据えていた。

サンデーサイレンス
14戦9勝、2着5回。アメリカダート二冠馬であり、ダートGI最高峰のブリーダーズカップ・クラシックを制した馬である。

この馬を日本に輸入しようと、彼は奔走したのである。


サンデーサイレンス(以下SS)はGI6勝を挙げ高い評価こそ受けていたものの、血統面であまりいい評価を受けていなかった。
競走馬は血統が全て。現に零細血統のオグリキャップやビワハヤヒデは種牡馬として大成していない。

そして世はノーザンダンサーブーム。活躍する競走馬のほとんどがノーザンダンサー(日本ならノーザンテーストとか)の血を継いでいた時代。それ以外は余程の事がないと評価されない。

そして何より、その気性。一度は去勢も考えられたほどであり、騎手側が騎乗を拒否するほどヨレるし暴れるし凄い馬だった。
(SSの父ヘイローは人を噛み殺そうとするほどの狂気を秘めていたようなので、それに比べるとマシかもしれない。この性格になったのも人災ではあるが)

そんな欠点を踏まえても、善哉氏は「いける」と考えた。
目を見張るスピードと、その気性。
ライスシャワーの父としておなじみのリアルシャダイの産駒がほぼステイヤー一辺倒で危機的状況だった当時。
ホーリックスのジャパンCを目の当たりにしたらスピードの出る馬が欲しくなるのも頷ける。

ノーザンテーストの所有者である社台グループ。既に莫大な資産を儲けており、その金でトニービンも輸入してさらに儲けていたので、資金面で不足はない。

金額にして16億5000万。ノーザンテーストで稼いだ金を思い切りぶち込んで、SSの輸入に成功。

だが、いくら種牡馬として大成したとて、16億の元が取れるような成功の仕方なんてする訳がない。
当時の馬の種付け料は覇権レベルの馬で800〜1000万。それこそGI馬が10頭くらい産まれない限りその価格帯は維持できないし、元は取れない。

ドブに捨てることになるかもしれない16億。関係者からは笑いものにされた。

しかし、彼は本気だった。
種牡馬生活1年目。彼は気でも狂ったのか、社台ファームにいる一線級の繁殖牝馬全てにサンデーサイレンスを種付けさせることにした。

えげつない背水の陣。失敗したらご破産。
不運なことに、生まれた子は見栄えがそれほど良くなく、評価も高くなかった。そんな中、吉田善哉氏は帰らぬ人となり、息子の照哉氏が思いを継ぐこととなった。

当歳(0歳)時には評価が高くなかったサンデーサイレンス産駒。
しかし、なんと走らせてみると評価が一変する。

産駒が走りはじめてからわずか半年で重賞を4勝
2歳馬が6月にデビューしてから年末まででもう既に4勝したのだ。驚異的なスピードである。

しかも、その内の1勝はGI。

世界を変える蹄音が響き渡りはじめたのは、夏の新潟のことだった。

幻の三冠馬

フジキセキ

フジキセキ(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=fujikiseki
世代1995
血統父 サンデーサイレンス(ヘイルトゥリーズン系) 母父 ルファビュリュー(セントサイモン系)
成績4戦4勝
主な勝ち鞍朝日杯 弥生賞
主な産駒カネヒキリ(交流GI7勝) キンシャサノキセキ(高松宮連覇) ストレイトガール(VM連覇) イスラボニータ(皐月賞) エイジアンウインズ(VM) サダムパテック(マイルCS) ダノンシャンティ(NHKマイル) コイウタ(VM)
🇿🇦Sun Classique(🇦🇪ドバイSC) 他多数
母父としての産駒🇦🇺Yosei(豪1000ギニー) 🇳🇿Karmadec(ドンカスターマイル) 🇦🇺Your Song(BTCカップ) 🇿🇦Rumya(ケープフィリーズギニー)
サウンドトゥルー(チャンピオンズC) ホワイトフーガ(JBCレディス連覇)
プロミストウォリア(東海S) マンダリンヒーロー(🇺🇸サンタアニタダービー2着) ペリエール(ユニコーンS)
主な子孫ブラストワンピース(有馬記念)
ミツバ(川崎記念) レッドルゼル(JBCスプリント) ダンシングプリンス(〃) ドライスタウト(全日本2歳優駿)

ウマ娘では「寮長」として活躍しているフジキセキ。そのイケメンっぷりに魅了されたポニーちゃん…もといファンも多い。

ところで、ウマ娘で「寮長」や「生徒会長」のように何かしらの役職を与えられている子達には共通点がある。「後世に残した影響力がすごい」という点だ。

例えばカイチョーのシンボリルドルフは史上初の無敗三冠&七冠馬でトウカイテイオーを輩出した。
生徒会長のサクラバクシンオーは最強スプリンターの名を欲しいままにし、母父として顕彰馬キタサンブラックを輩出。エアグルーヴも次回紹介するがすごい。

美浦寮長のヒシアマ姐さんは産駒成績こそ微妙だったものの、牝馬ながら世代最強牡馬に食らいつき、時代の幕開けを予感させた。

そして、栗東寮長フジキセキ。↑のプロフィールの威圧感が凄かったことからもうお分かり頂けるだろう。種牡馬として大成功したのだ。

挙げた主な産駒は全てGI馬。カネヒキリはダートGI7勝、キンシャサノキセキは高松宮記念連覇、ストレイトガールは6歳になって覚醒しヴィクトリアマイル連覇と、多種多様なGI馬を続々輩出した。(母父産駒にオセアニアの馬が多いのは一瞬彼がシャトル種牡馬としてオーストラリアに飛び立ってたからで特に意味は無い)

そんなフジキセキだが、競走馬としても凄かった。
人呼んで「幻の三冠馬」。
そう思わせるだけの力が彼にはあった。

父サンデーサイレンスから受け継いだ青鹿毛の馬体は、どこか特別な風格を漂わせていた。

青鹿毛というのは青色ではなく黒色のことだ。中古の昔、日本では黒い馬の事を「白馬(あをうま)」と呼んでいたらしいので、その名残だろう。ややこしい。
馬は黒鹿毛→青鹿毛→青毛の順でどんどん黒が濃くなっていく。
黒鹿毛は黒いが、陽の光に照らされるとオシャレな革のソファーみたいに茶色っぽく光ることがある。ゼンノロブロイがそう。対して青鹿毛は漆黒にかなり近い。

初期のサンデーサイレンス産駒は「サンデー本人(馬)に似てる奴ほど強い」と言われており、フジキセキはその代表格。伝説を作る馬はデビュー前から独特の「風格」が漂っている。彼もその中の一頭だった。

新潟でのデビュー戦。芝1200m。
大きく出遅れ、最後方からのスタートとなってしまった。
その不利をもろともせず、すーっと前方まで上がっていくと、最終直線だけで8馬身差を付けて圧勝。

デビュー戦で8馬身もの差を付けた馬なんだから、もちろん注目される。
次戦は阪神、もみじステークス。オープン戦芝1600m。
後のGI馬が鞭を叩いて叩いて競りかけてくる。
それを見ながら角田騎手がぐいっと手網を押しただけで急加速。楽勝で2勝目を手にした。

1994 朝日杯3歳S

雨上がりの中山競馬場には霧がかかっていた。

圧勝劇を繰り広げていたフジキセキだが、ここでようやく強敵と呼べる存在に対峙する。

芦毛の外国産馬、スキーキャプテン
ムーラン・ド・ロンシャン賞勝ち馬スキーパラダイスの半弟。2戦2勝、鞍上は武豊とあって2番人気。
それでも圧倒的1番人気のフジキセキ。

白か黒か。勝負の行方は最後の直線。

鞭を使わず容易く抜け出すフジキセキ。
大外から飛んでくるスキーを見てから軽く追わせてクビ差勝ち。

着差だけで言えば辛勝だ。だが、フジキセキに鞭は一発も入らなかった
底の見えない強さ。未知数の力を秘めたまま、舞台は皐月賞トライアルへ。

豪雨の影響で、晴れではあるものの不良馬場に限りなく近い重馬場での発走となった弥生賞
有力馬はホッカイルソー。後にそこそこ活躍することになる素質馬だ。

重馬場の影響でスロー展開となった。
直線に入る頃にはもうフジキセキは先頭。
ホッカイルソーが猛烈な勢いで飛び込んできた。しかし、届かない。

強烈な重馬場。繰り出せる末脚には限りがある。
まるで時空を歪ませてるんじゃないかってくらいにあと1馬身で急に速度が落ちるルソー。
他馬も疲れてヘロヘロになる中、フジキセキだけが速度を落とさず駆け抜けた。

ここまで戦っても底を見せない恐ろしさ。これは三冠確実か…

と噂された瞬間に、重度の屈腱炎で引退。弥生賞が重馬場じゃなければあるいは…。

ここまでの走りは、着差だけ見ればとても幻の三冠馬とは言い難い。
しかし、いずれも鞭が入っていないことが彼の強さを引き立たせている。

鞭とはゴーサインであり檄である。「鞭を入れられたフジキセキはどれだけ速かったか」を見せないまま彼は引退してしまったが故に、そこに空想の余地が残った。
それが彼を幻の三冠馬たらしめている要因の一つとなっているのだろう。

1995 皐月賞

後に訪れるサンデーサイレンス最強時代の先駆けとなったフジキセキ。

総大将が抜け、混戦の装いとなった皐月賞。
直前まで有力視されていた、デビューから全連対のスプリングS勝ち馬ナリタキングオーも出走を取り消ししたため、ますますカオスな状況に。

1番人気は毎日杯勝ち馬ダイタクテイオー、次点でホッカイルソー、3番人気は皐月賞トライアル若葉S勝ち馬ジェニュイン。4番人気はフジキセキとナリタキングオーの2着になった経験があるタヤスツヨシと続いた。

革命元年。先頭を駆け抜けたのは、フジキセキにも似た漆黒の馬体だった。

本物の輝き

ジェニュイン

世代1995
血統父 サンデーサイレンス 母父 ワットラック(ボールドルーラー系)
甥 アサクサキングス(菊花賞)
成績21戦5勝[5-7-1-8]
主な勝ち鞍皐月賞 マイルCS 他GI2着3回
主な産駒🇦🇺Pompeii Ruler(🇦🇺クイーンエリザベスS、🇦🇺オーストラリアンC)
ドンクール(兵庫CS)
タマモグレアー(京都ハイジャンプ)
母父としての産駒トウショウプライド(金沢・百万石賞)

内からいち早く抜け出して逃げ切ったジェニュイン。2着タヤスツヨシが猛追するも、そこはベテラン岡部の余裕。クビ差余して勝利。

馬名のジェニュインは「正真正銘」「本物」という意味。ミスターシービー調教師の松山氏が管理しており、彼が素質馬に付けようと取っておいた馬名であったという。

日本ダービー

名前に負けない活躍をしたジェニュイン。その強さは本物。彼がフジキセキの影を追い、三冠馬になるのか。はたまた他の馬が台頭するのか。

一世一代の大舞台。
勝利の女神が微笑んだのは…

時代の幕明け

タヤスツヨシ

世代1995
血統父 サンデーサイレンス 母父 カロ(フォルティノ系)
成績13戦4勝[4-3-2-4]
主な勝ち鞍日本ダービー ラジオたんぱ杯3歳S
主な産駒🇦🇺Hollow Bullet(ヴィクトリアオークス) マンオブパーサー(ダービーGP)
グランシュヴァリエ(高知県知事賞)
母父としての産駒スノードラゴン(スプリンターズS)

スローペースで進んだダービー。わずかにジェニュインには距離が長く、脚が上がったところで飛んできたのは、最後まで脚を溜めて勝利をもぎとったタヤスツヨシだった。

朝日杯も、皐月賞も、ダービーもSSの子。新時代の到来を感じさせる一戦だった。


「時代が変わった」のは馬だけでなく、馬に携わる人間関係もだった。
昔はそれぞれの厩舎に専属騎手がおり、どんなに負けても「誠心誠意」と「人情」でいい馬に乗せてもらえた。

昨年のオークス馬、チョウカイキャロル。
ヒシアマゾンとの対決ではほんの少し届かなかったものの、オークス馬、内国産馬の底力は存分に見せ付けた。

キャロル主戦の小島騎手は戸山調教師と師弟関係にあり、ミホノブルボンやレガシーワールドなど、強い馬には積極的に小島を起用した。
しかし、戸山師が亡くなった後に所属馬を引き継いだ森調教師は騎乗方針を変更し、武豊や河内洋(ニシノフラワー、アグネスタキオン主戦)、蛯名正義(エルコンドルパサー、マンハッタンカフェ主戦)など成績のいい騎手を積極的に起用。小島には声がかからなくなった。

路頭に迷う小島に声をかけたのは、後にスイープトウショウを管理することになる、戸山師の兄弟子にして人情の人、鶴留調教師だった。
そしてキャロルでオークスを制覇、エリ女も2着と好成績を収めた小島。翌年もいい馬に乗せるのは当然の流れ。

小島騎手はミホノブルボン以来、2度目のダービー制覇。2回のダービー制覇は歴代1位タイの快挙だった。(武豊があっさり3勝するのは数年先の話)

馬の方は皐月2着、ダービー1着。これだけ見れば一線級のGI馬だが、彼は後に「最弱ダービー馬」のレッテルを貼られることになる。

その理由の一因はオークスにあった。
同世代の牝馬戦線を見ていこう。

挑戦者

1995年、一部レースを除いて隔絶されていた地方競馬と中央競馬が交流を開始し、数多くのレースが地方/中央交流戦として解放された。「交流元年」の到来である。

地方所属馬にも中央のレースに参戦する権利が与えられたため、それを行使する挑戦者も現れた。今までだと、中央に挑むならオグリキャップのように移籍を必要とされていたのが、地方所属のままで挑めるように改正されたのだ。

その“挑戦者”第1号は、オグリが育った笠松からやってきた。

笠松の名牝

ライデンリーダー

表彰NARグランプリ特別表彰
世代1995
所属笠松
血統父 ワカオライデン(ボールドルーラー系)
母 ヒカリリーダー(テディ系)
成績24戦13勝[13-1-2-8]
主な勝ち鞍報知杯4歳牝馬特別(GII)
東海チャンピオンシップなど地方重賞5勝
記念競走ライデンリーダー記念(笠松・SPI)

90年代の笠松はとにかく凄かった。
何が凄かったかというと、馬の質と、騎手の腕だ。

特に騎手に関しては、後にJRAに移籍し重賞を勝つ騎手が3人もいた。

中でも天才と言われた男がいた。安藤勝己
彼は18年連続で笠松のリーディングジョッキーに輝き、「どのレースに出ても勝てる」「彼が勝てない日はない」とすら言われた男だった。

地方時代のオグリキャップに跨り重賞を連勝、そしてオグリローマンにもまたがり無双。並の馬でもバンバン勝つ。彼に敵など無かった。ずっと笠松で乗っているため、そのコースの乗り方や勝ち方も把握しきっている。

故に、彼は思った。
つまらない」と。

天才騎手と言えば武豊だが、彼には追う背中が大勢あった。岡部幸雄、田原成貴、柴田政人、同期でライバルの蛯名正義。
特に兄弟子の河内洋とはいつも頂点を競っていた。88年桜花賞ではシヨノロマンに乗る武豊を差し切って河内が勝利、00年日本ダービーでも歴史に残る名勝負を演じた。
武豊は「河内さんがいなかったら天狗になっていた」と語る。目指すべき存在がいるからこそ人としても騎手としても成長できるのだろう。

安藤勝己(以下アンカツ)にもそういう存在はいた。
13年連続で名古屋リーディングジョッキーに輝いた、坂本敏美騎手。
全盛期は連対率7割という驚異の成績を誇った名手だったが、落馬事故の影響で引退。1985年のことだった。

そこから10年間、アンカツに敵はいなかった。目指す存在もいなかった。そりゃつまらなくもなる。
当時のアンカツは本気で早期引退して調教師転向しようと考えていた。

そんな中訪れた吉報。
時は1995年。オグリキャップが今までの常識を変えてくれたため、地方と中央の交流が活発化。
今までより簡単に、地方に在籍しながら中央の重賞に出走できるようになったのだ。

そんな時にちょうどいい馬がいた。
アンカツ主戦でデビューから無敗の11連勝。名牝ライデンリーダー。
彼はこの馬で中央に挑むことにした。

中央重賞初戦は報知杯4歳牝馬特別。現フィリーズレビュー。
有力馬がいなかったこともあり、2番人気に押し出される。
ここからが衝撃だった。

まさに抜群。
他馬が止まって見えるような圧巻の走り。

地方を下に見ていた世間に風穴を開けた末脚。
ここからは地方の下克上の時代だと、高らかに告げる一戦だった。

桜花賞

地方馬の大躍進。或いはそれは宣戦布告。

これを黙って見過ごす訳にはいかない中央の騎手達。
全員が全力でライデンを潰しにかかった。

手も足も出ない。
完全に進路を塞がれてしまった後に飛び込んできたのは大穴ワンダーパフュームだった。

初の中央GIは4着。
やはり地方出身は中央に勝てないのか。
否。本気で潰しにかからないと勝てないと思わせるほど、アンカツとライデンは奮闘し、4着と善戦したのだ。

久々の完全敗北。これまでに経験したことの無いような徹底的なマーク。
ライデンとはこれからも数戦、中央重賞に挑むことになるが、その度にマークを受け続け、ついに2勝目は上げられなかった。

この敗北にアンカツはやる気を取り戻し、何故負けたかを徹底分析。そして競馬の楽しさを再発見した。

数年後、数段強くなって帰ってきて、ダイワスカーレットやブエナビスタ、キングカメハメハに乗る超一流ジョッキーになることは、この時点では誰も知る由もない。(競馬史#20以降はアンカツ武豊デムーロルメールで埋まると思う)

オークス

オークスを制したのは、後の競馬に名を残す名牝ダンスパートナーと武豊だった。

舞い踊る美

ダンスパートナー

世代1995
血統父 サンデーサイレンス 母 ダンシングキイ
全兄 エアダブリン(ステイヤーズS)
全弟 ダンスインザダーク(菊花賞) 全妹 ダンスインザムード(桜花賞)
成績25戦4勝[4-9-3-9]
主な勝ち鞍オークス エリザベス女王杯
主な産駒フェデラリスト(中山記念)
主な子孫ヨカグラ(小倉サマージャンプ)

ブライアン世代2番手のエアダブリンが半兄ということでデビュー前から期待されていたものの、身体が丈夫でなかったこと、ゲート難だったことが災いしデビューが遅れる。

なんとか入厩にこぎつけたのは3月の秋だった。
所属厩舎は後に「白井最強」ミームでネット民にネタにされる白井厩舎だった。

いざデビューさせると1200mで6馬身出遅れで2馬身差勝ち。主戦は武豊。出遅れするタイプのベガみたいな性能と境遇。

しかし出遅れ癖が余りにも酷く、2着を繰り返す。
本来勝てたであろう桜花賞でも出遅れが響いた。

これではいけないと白井師が編み出した矯正方法が…

ダンスパートナーを無理やりゲート内に押し込んで30分近く縛り付けるというとんでもねえ荒療治だった…

しかもこれが功を奏し、レース前コメントでは「90%解消した」と言えるほどに。
白井師が最強と言われるのは、こういう荒療治や無謀な作戦がことごとく大成功するからである。後にアグネスデジタルでも歴史を変えるほどの伝説を作る。


話をかなーり前に戻すと、タヤスツヨシが最弱ダービー馬と言われた理由の1つは、「走破タイム」にあった。

ゲート難が解消し、覚醒したダンスパートナーはオークスに勝利したが、なんとゴールタイムがタヤスツヨシのダービーより3秒も速かったのだ。もちろんタイムだけでレースの質は測れないが、いくらハイペースで流れたレースとはいえ、同じコースでこの差は大きい。(最弱に関してはその後不振がつづいたのも大きいが)

ここで迷わずダンスパートナーは海外に遠征。
ベガが成し遂げられなかった海外重賞制覇を夢見てフランスに飛んだ。

結果はG3で3着、G1ヴェルメイユ賞(秋華賞の元ネタ)で6着。あと一歩という成績。
今まであった国外との圧倒的な実力差が少しずつ埋まりつつある証明であったが、現地に着いた際の向こうの対応に、まだまだ日本は下に見られていた事を痛感したという。

白井厩舎がすごいのはここから。

ダービー2着、今のところ世代最強と見られたジェニュインは、ダービーの結果を踏まえマイル〜中距離がちょうどいいということで天皇賞秋に参戦。タヤスツヨシは秋は不振。目指すべきは…

菊花賞

ダンスパートナー、菊花賞参戦決定。
GI級のレースを制した牝馬が菊花賞に挑むのはなんと28年振り。
業界の常識をぶっ壊すローテーションに、競馬ファンは沸いた。

規格外の能力値と、絶対的本命不在の牡馬クラシック戦線も相まって、ダンスは1番人気に支持された。

しかし気がかりだったのは遠征疲れ。
2ヶ月空くにしてもやはり完全回復とはいかない。
そして、最大の誤算が…

遅れてきた世代最強の存在だった。

変幻自在の優駿

マヤノトップガン

マヤノトップガン(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=mayanotopgun
表彰JRA年度代表馬(1995)
世代1995
血統父 ブライアンズタイム(ロベルト系) 母父 ブラッシンググルーム(ナスルーラ系)
成績21戦8勝[8-4-5-4]
主な勝ち鞍天皇賞(春) 有馬記念 宝塚記念 菊花賞
主な産駒メイショウトウコン(東海S)
プリサイスマシーン(スワンS)
チャクラ(目黒記念)
母父としての産駒キャッスルトップ(ジャパンダートダービー)
主な子孫ウォーターナビレラ(ファンタジーS)

ウマ娘では一定層から圧倒的な支持を集めているが、キャラ設定が絶妙なのも起因している。そこも踏まえて解説していこう。


するりと抜け出し勝利したマヤノトップガン。

新馬戦で桜花賞馬ワンダーパフュームに差され負けたり、体質が弱めだったこともありダートを使ったりしても2着3着。ダービーの裏でようやく馬体が出来上がってきて本格化。GIIを2戦連続で2着して3番人気での出走だった。

鞍上はトウカイテイオーを1年ぶりの勝利へ導いた田原成貴。
気難しいやんちゃな馬だったため、彼しかマヤノを扱えなかったのである。
マヤノの脚質は自在と言われるが、実際は少し違う。これがどういうことかは後にわかる。

初挑戦のGIで、マヤノは強い馬しか出来ないことをやってのけた。

ミスターシービーやメジロマックイーンを彷彿とさせる、京都の坂の下りで一気に先頭に立ち、直線で突き放す実力の暴力。タイムはレコード。「神戸は強い」と杉本アナの実況。


トップガンの馬主の田所氏は神戸で病院を営んでおり、“マヤノ”の冠名も六甲山地の中央に位置する摩耶山から取られたもの。95年の阪神・淡路大震災で病院は半壊し、田所氏の弟夫婦も亡くなった。そんな中で、マヤノトップガンの頑張る姿が心の支えになっていたという。

皐月、ダービー、オークスとサンデーサイレンスの黒鹿毛達が躍動していた春。
秋の空に映えたのは、新進気鋭の栗毛の勇者だった。

マヤノトップガンという新星の登場。
同時に、ようやくナリタブライアンがターフに帰ってきた。だが…

サクラ舞う、秋

日本競馬を語る上で外せないのがサクラ軍団。
このシリーズでも5〜6頭は紹介しているはず。

そんなサクラ軍団の騎手、調教師はほぼ全て同じ人だったと知ったら、驚く人も多いのではないだろうか。


小島太はファンから愛される、華のあるジョッキーだった。
度々とんでもない騎乗ミスや勝ち方でファンをハラハラさせるが、それでも愛されていた。
大きかったのは、サクラ軍団のオーナー、全演植の存在だ。

全氏は在日朝鮮人。日本人ではない。在日というと複雑なイメージを持ちがちだが、当時はそんな時代ではなかったし、全氏は競馬ファンだけでなく関係者からも信頼されていた人だった。義理に篤く、小島騎手を実の家族のように可愛がっていたという。
1983年、さくらコマースと小島騎手で専属契約がなされ、ひたすらサクラの馬に彼を乗せた。
時に「朝鮮人であることでJRAとの間で何かあったとき、お前に迷惑を掛けるより帰化しようかと思っている」と小島騎手に話した事もある。自身のアイデンティティーを投げ打ってでも小島騎手にいい馬を乗せようとしたのだ。

そんな全氏も93年に亡くなった。亡くなった9日後、小島騎手はバクシンオーでスプリンターズSを制覇した。

そして、小島騎手も50歳手前になった95年、今年度をもって調教師への転向を決意。

「なんとしてでも勝たせたい」
そう思ったのは、サクラ専属調教師の境勝太郎だった。境師もまた調教師を引退する予定で、彼が調教師に転向するのは師の後を継ぐためだった。

馬主、調教師、騎手、そして牧場。この4つでワンチーム。名手、名伯楽に最後の一花を、という思いも大きかっただろう。

天皇賞(秋)

迎えた秋。ナリタブライアンの復帰。離れた2番人気に支持されたサクラチトセオーは、「勝つならこれしかない」というレースプランがあった。

力はあるのになかなか勝てない。それでも勝ちたい。
小島騎手は彼の末脚を信じた。

1枠1番、五分に出たスタートも全てを捨てて最後方待機。

組み立てたレースは、2着敗戦となった安田記念の完全再現だった。

久遠の末脚

サクラチトセオー

世代1993
血統父 トニービン(ゼダーン系) 母父 ノーザンテースト
成績21戦9勝[9-3-3-6]
主な勝ち鞍天皇賞(秋) アメリカJCC 中山記念
主な産駒ナムラリュージュ(阪神スプリングジャンプ)
ラガーレグルス(ラジオたんぱ杯3歳S) ナムラサンクス(ダイヤモンドS)
母父としての産駒レガルスイ(京成盃グランドマイラーズ)

レースはUAE調教馬ハートレイクに惜敗した安田記念よりハイペースで流れており、2番手を追走していたジェニュインは最後脚が上がった形。そこに馬体を併せに行ったチトセオー。渾身の鞭乱打でなんとか届いた。

エリザベス女王杯

牝馬限定戦でもサクラが花開いた。
ダンスパートナー不在のレースとはいえ、重賞1勝馬。10番人気は当然。

されど、勝利への熱い想いが馬を突き動かした。

クラシックは遠かった。決め手に欠け、2着3着と善戦止まり。

本格化は夏の放牧のあと。

9月まではただの1勝馬だったのが、見違えるように本格化。前哨戦クイーンSで見せた後方からの追い込みが嘘のように、3番手から粘り切った。

奮起の灯火

サクラキャンドル

世代1995
血統父 サクラユタカオー(テスコボーイ系) 母父 ノーザンテースト
半兄 サクラチトセオー(天皇賞秋)
成績18戦5勝[5-5-2-6]
主な勝ち鞍エリザベス女王杯
クイーンS 府中牝馬S(GIII)
主な子孫グルームアイランド(報知オールスターCほか地方重賞6勝)

これが境勝太郎と小島騎手の最後のGI勝利となった。
そして、受け継いだ想いは翌年、大きく輝く。

忘却の果て

一方、ナリタブライアンは輝きを失った
チトセオーの天皇賞にて、主戦の南井克巳は怪我で離脱中だったため的場均騎手に乗り替わりだったが、2桁着順の大敗。

ジャパンカップ

武豊に替わったジャパンカップでも、その強さを目の当たりにすることは出来なかった。

いつもの鬼のような末脚でヒシアマゾンが猛追するが、ブライアンは伸びない。

勝ち馬のドイツ所属ランド主戦、ロバーツ騎手も「今日のブライアンは自分の知っているブライアンじゃなかったから、最初から敵じゃなかった」と述べている。

もう無理なのか。非情なまでにレースは現状を突きつける。

有馬記念

それでも年末の大一番で、ナリタブライアンは2番人気に支持されていた。ヒシアマゾンとブライアン。もうこの2頭しかファンには見えていなかった。されど主役は牙を剥く。

グランプリレースは消耗戦。ここまでのローテーションでどれだけ余力を残せていたかが勝敗を分かつ。そして、ほんの少しの展開が着順を変える。

淀のターフを揺らした六甲おろしは、中山まで届いた。

注目を集めていたのは、ヒシアマゾンとナリタブライアン。次点でジェニュイン、サクラチトセオー。

ジェニュインが距離不安から控えた時点で集団の意識は後ろに取られていく。

それを上手く利用したのが田原トップガン。前走57kgでミドルペースを好位追走した馬が、55kgの斤量を背負いローペースで逃げられたら、勝ちは近付く。

ナリタブライアンも絶好の位置から追い出し、後は追い抜くだけのところまで行ったが、そのまま沈んでいった。馬場、コース、展開関係無しに突き抜け圧勝していた馬の失速を見るのは辛いものがある。

スローペース故にアマゾンもチトセオーも追い付けない。
3歳で有馬を逃げ切りで制す。次の主役の証明だった。

ゴール後、田原成貴は投げキッス。(恐らくこれはウマ娘マヤノのランディングキッスの元ネタ)
派手な魅せ方もまた、マヤノに合っていた。


華々しい勝利の裏、ナリタブライアンは絶望に喘いでいた。
前にも書いた通り、臆病なブライアン。
天皇賞での大敗の後、馬房にて涙を流したという。
それが負けて悔しかったのか、周囲の人間の悲しみを読み取ってしまったのかはわからない。

ただ一つだけ確かなのは、怪物ではなくなろうとも、気持ちは消えていなかったということだった。

風前の灯

年が明け、1996年。この年は大改革の年。
NHKマイル秋華賞が創設され、高松宮杯(2000mGII)が春の1200mGIへ。
GIが3つも増えたことが日本競馬の競走の激化を裏付けていた。

そんな事は露知らず、ナリタブライアンは再起を目指す。迎え撃つはマヤノトップガン。

以前のような走りはもうできなかった。走り方を忘れてしまったのか、それとも恐怖が勝ったのか。それでもブライアンは戦い続けた。

年度代表馬VS年度代表馬。
伝説の阪神大賞典へ。

1996 阪神大賞典

スローで展開していったレースは、見かねたマヤノトップガンがスティールキャスト河内をかわしたところで急加速。追いかけるノーザンポラリスも前に迫ったが、壮絶な加速ラップについていけず後退。前は2頭のマッチレースとなった。

内のトップガン、外のブライアン。最後の最後まで、一歩も譲らなかった。
直線に向いてから全く同じペースで駆け抜ける2頭。
最後は執念で伸びたブライアンがアタマ差。

ちょうど1年越しの勝利だった。


「やっとブライアンが勝てた」「ブライアンが戻ってきた」と沸く者達と、「以前なら影も踏ませなかった」と分析する者。

ならば天皇賞に勝って黙らせればいい。
ようやく南井克巳が鞍上に復帰。
万全の体制で盾を獲りに向かった。

1996 天皇賞(春)

ナリタブライアンVSマヤノトップガンの構図は変わることなく、後はそれぞれの調整過程と枠順次第というところ。

マヤノの坂口調教師は阪神大賞典を振り返り、「緩めに仕上げてクビ差2着だったのだから、仕上げ切ったらどこまで行けるのか」と、極限仕上げで挑むことにした。

マヤノトップガンという馬は、従順なタイプではない。いかにマイペースで走れるかが勝敗を分ける。レース前から首をブンブンしていたマヤノは落ち着きがなく、掛かってしまった。馬群の外に出して落ち着かせようとするが全く前進気勢が収まらず、大幅に距離ロス。

そんな調子だったが早仕掛けするトップガン。それに釣られて行きたがっていたブライアンも早めに進出。

ブライアンが外からトップガンを捉えて先頭に躍り出る。菊花賞の頃の全身を使った暴力的な加速こそ無いが、じわじわと伸びてトップガンとの差を広げていく。

これで復帰後初のGI制覇か…と思われたところで、奥の方から颯爽と現れ勝利をもぎとったのは、「サクラ軍団史上最強馬」だった。

遅咲きの大輪

サクラローレル

サクラローレル(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=sakuralaurel
表彰JRA年度代表馬(1996)
世代1994
血統父 レインボークエスト(ブラッシンググルーム系) 母父 サンシリアン(リュティエ系)
成績22戦9勝[9-5-4-4]
主な勝ち鞍天皇賞(春) 有馬記念 中山記念 オールカマー 中山金杯
主な産駒サクラセンチュリー(日経新春杯) ギルガメッシュ(ブリーダーズGC) シンコールビー(フローラS)
母父としての産駒ケイティブレイブ(帝王賞)
主な子孫ラッキープリンス(東京ダービー) トレド(プラタナス賞)

(ウマ娘化!!コミカライズ化!!おめでとう!!!!!)

境勝太郎が育てた「今までで一番強い馬」。
その強さを調教師として引き出すことが出来た小島。
そして、大舞台で見事に差し切った横山典弘。

ナリタブライアンに勝つために走り続けてきたここまでの競走馬生活。脚部不安に悩まされ勝ち上がりに時間を要し、青葉賞で入着しダービーへの出走権を手に入れるも、脚部に炎症が出たため諦めたクラシック。

4歳になって迎えた金杯で重賞を初制覇し、天皇賞を目前に控えたところで重度の骨折。復帰は翌年3月までもつれ込んだ。

一度は復帰は絶望的とされたが、奇跡の復活。復帰戦は中山記念(1800m)。適性よりやや短い距離ながら、皐月賞馬ジェニュインを上がり最速の末脚であっさり交わした。

天皇賞でも道中はナリタブライアンを徹底マークし、直線に向いてから進路を切り替えて外から差し切り勝ち。

紛うことなきGI級の末脚で、見事に花開いたサクラローレル。
最大の宿敵が本調子でなかったのは悔やまれるが、勝負付けは済んだ。


調教というのはバチバチに仕上げれば仕上げるほど馬が興奮し、掛かりやすくなる。マヤノトップガン坂口師は後にこの敗戦を失敗だったと語っている。

それだけ両陣営の気持ちが強かったのだろうが、ブライアンの大久保師は「武が乗ったらあんな風に掛かってない」と激怒し、以降南井を乗せることはなくなる。
1年以上振りに乗ったのに当たりがとんでもなくキツい。

ナリタブライアンは怪物ではなくなった。
しかし、強くはあった。
世界最強が落ちぶれて一流ステイヤーになっただけなのだ。
これからしっかりケアしていけばGIを勝てる能力は存分に残っていた。

春の中長距離GIは宝塚記念を残すのみ。
そこに向けてしっかりと調教を…

高松宮杯

ナリタブライアンの次走は、高松宮杯だった。

……………?????


この年から高松宮杯は1200m。
ナリタブライアンが短距離GIに出る。
訳がわからない事だった。
当時のファンは陣営を猛烈批判。競馬関係者も首を傾げた。
これに関しては散々叩かれた事項であるので、駆け足で見ていこう。

待ち受けていたのは、当然の結果だった。

3200のゆったりしたペースを経験してから1ヶ月足らずで挑むスプリント。行き脚も付かない。
上がり3F34秒2。全盛期より0.3秒及ばぬ走り。

勝ったのはフラワーパーク。初代マイル王、ニホンピロウイナーの産駒だった。

4着。そこらへんの短距離馬は蹴散らしたものの、一流には追い付けない。順当な結末。

当時を見ていた人のリアルな声が聞きたい方はこちらを見てほしい。

スプリント戦の負荷は大きく、レース後に屈腱炎が判明。
二度とターフに戻ることは無かった。


「本当に強い馬は距離やコース形態を問わず勝てるはずだ」「世間を盛り上げたかった、一度も出走していない中京にファンサービスの意味合いも込めて出したかった」という正陽師の思いが出走を後押ししたという。

しかし、強い馬がどんな距離、コースでも勝てたのは昭和まで。平成に差し掛かり日本競馬も煮詰まりかけてきていた頃。もう各距離のGIがプロフェッショナルにしか勝てなくなってきていた時代だ。

中京の重賞でも金鯱賞(当時は宝塚記念の前哨戦的立ち位置)ではなく、あえて高松宮杯を使ったことで中京競馬場は盛り上がったが、結果として引退となった。批判の声も大きかった。

日本の三冠馬は8頭いるが、その中で古馬になってGIを勝てなかった馬はナリタブライアン以外に存在しない。(※セントライトは3歳のうちに引退した)
決して弱い訳ではなく、むしろ歴代最強とすら評価された馬の最後は、非常に呆気のないものだった。

シャドーロールの伝説は一年で崩れ去り、呪縛のように我々を記憶に閉じ込めた。
いつまで経ってもナリタブライアンは強いままだ。

引退後はストレスからか、わずか2年後に腸捻転と胃破裂で早逝。
産駒から強い馬は現れず、ナリタブライアンの血は後世には残らなかった。

次代の三冠馬が現れるまで、日本競馬は佳境に差し掛かる。
だが、ナリタブライアンに並ぶ名馬が現れるまでは、そう長い時間はかからなかった。

あとがき

いよいよブライアンが引退し、狭間の時代が来ます。
高松宮まで描いちゃうとどうしても陰鬱な感じになるので、ゲームウマ娘のシナリオを阪神大賞典で終わらせたのはナイス判断だと思います。

次回はエアグルーヴ&バブルガムフェローの天才ジュニア世代の大躍進!ヒシアケボノでけえ!そして日本競馬は海を越える!

熱いドラマがあります。お楽しみに。

それでは。

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