ウマ娘で学ぶ競馬史 #11 シャドーロールの軌跡 (1994)

※本記事は2021年7月18日にnoteに投稿した記事の一部を再構成したものです

みなさん、『ウマ娘プリティーダービー スターブロッサム』読んでます?

隔週連載なのがもどかしいこと以外は良い漫画ですね。ローレルの顔がもちもちしててかわいいです。

ただ、シングレと違って「プリティーダービー」を冠しちゃってるから、ほのぼの展開が続きそうです。俺は可愛げがまるでないタマちゃんとか、ウマ娘がしちゃいけないような顔してるバンブーとかのバチバチ具合が好きだったのかもしれねぇ…

そんなスタブロ1話の中で唯一殺気を放ってたウマ娘さん。今回は彼を特集する回です。

参りましょう。

この時代のウマ娘作品

・アプリ『ウマ娘』 メインストーリー第4章
・漫画『ウマ娘 プリティーダービー スターブロッサム』第1話

前回↓

前回までのあらすじ

1993
  • 天皇賞(春)
    ライスシャワー大激走

    マックイーンの天皇賞三連覇を阻んだライスシャワー。極限仕上げで挑んだ。

  • 宝塚記念
    メジロマックイーン復活

    宝塚はマックイーンの独壇場。これでGI4勝目。

  • 牡馬三冠
    BNW

    ナリタタイシン、ウイニングチケット、ビワハヤヒデの三強が三冠を分け合った。

  • 牝馬三冠
    ベガとベガ

    ベガの牝馬三冠は夢に終わり、最後の一冠はホクトベガが手にした。

  • 七夕賞/オールカマー
    逃亡者ツインターボ

    人気者ツインターボがGIIIを連勝。愛されホースとして人気を博した。

  • 京都大賞典
    メジロマックイーンの最後

    天皇賞を目前に控えたマックイーンは、京都大賞典での快勝を最後に故障。引退を余儀なくされた。

  • 天皇賞(秋)
    ヤマニンゼファーの激闘

    本命不在の天皇賞はセキテイリュウオーとの叩き合いの末、ヤマニンゼファーに軍配。

  • ジャパンC
    レガシーワールド

    騙馬が日本の頂点へ。コタシャーンがゴール板見間違えたのも幸運だった。

  • 有馬記念
    トウカイテイオー復活

    364日振りの実戦で完全復活。歴史に名を残した。

夢のあと

1993年。人々は夢を見た。

有馬記念にて364日の空白を埋めるように、見事に花道を飾ったトウカイテイオー。結果的に引退レースとなったものの、多くの人を歓喜に沸かせた、素晴らしいレースだった。

そして彼のライバル、メジロマックイーン
夢半ばで前途は潰えたものの、獲得賞金10億超という世界記録を残してターフを去った。
GI4勝、GII5勝。
GI4勝も中々できることではないし、GII5勝は当時としては最高記録だった。今でも2位タイ。

中央GIに複数勝利し、GIIを5勝以上した馬は、マックイーンと三冠馬オルフェーヴルとカンパニー、障害馬オジュウチョウサンの4頭だけ。

400頭前後いる日本のGI馬の中でも特に優れた馬にしか出来ない所業をやってのけた。

記録と記憶、その両方に残り続ける名馬。2頭が一気に去り、日本競馬に空白の期間が訪れる…かと思われた。

この程度で終わらなかったのが日本競馬。

オグリを紹介した頃に「ここからは激動の十年」と書いたように思う。
確かに、テイオーの有馬記念はオグリのそれに比肩するほどの衝撃だった。

しかし、まだドラマは終わらない。
ここですら通過点。
90年代の衝撃は、ここからが本番だ。

怪物、再び

怪物。今までの固定観念が一瞬で崩れ去るほどに常軌を逸した強さを見せる者を、人々は往々にしてそう呼んできた。

日本競馬界にも少なからずそういう馬はいた。

神馬とすら讃えられた五冠馬、シンザン

ダートでレコード勝ちした後に天皇賞を勝ち、現スプリンターズSでも斤量62kgを背負いレコード勝ちした規格外の怪物、タケシバオー

当時の競馬法にクラシック出走を阻まれ、無敗&圧勝続きのまま脚部不安で引退。生まれた時代を間違えた幻の王者、マルゼンスキー

無敗三冠、初の七冠。あらゆる名誉をほしいままにした絶対なる皇帝、シンボリルドルフ

地方から転入して地方中央通算重賞11連勝、重賞合計17勝。人々に愛された芦毛の怪物、オグリキャップ


普通、こんな馬は10年に一度しか現れない。
しかし時は1994年。海外からもたらされた偉大なる血脈により、日本競馬のレベルは加速度的に上昇する。

一説には20年。またある者はそれ以上とも唱える。日本が他国に遅れを取っていた競馬が急加速し、独自の進化を遂げる。
そんな特異点を目の当たりにした時、怪物の2頭や3頭、暴れ回って戦い合っていても不思議ではない。ここからおよそ10年ほど、そういう時代が続く。

その先駆けとなった馬が、テイオー引退のちょっと前に現れた。



昨年から産駒がクラシックデビューし、早速2冠牝馬ベガ、ダービー馬ウイニングチケットを輩出した今をときめく種牡馬トニービン
一年遅れて日本に輸入された種牡馬ブライアンズタイム。元々輸入されるはずだった馬を買収できず、仕方ないからと持ってこられた、本命と似たような血統の馬。代替品として輸入されたはずの彼が唯一無二の存在になるまで、そう時間はかからなかった。

1993年、朝日杯。
大きな期待を背負った彼の名は…。


91年5月、その馬は産声を上げた。
生まれた当初はパッとしなかったものの、身体の柔らかさ、スタミナ、全てで他馬を圧倒するようになり、「ダービーで勝てる馬なのではないか」と関係者は期待を寄せ始める。

新馬戦に乗る予定だったタマモクロスなどでお馴染み南井克巳騎手が追い切りに乗ると、オグリに乗った時のような独特の“沈み込むような加速”を感じたという。初コンタクトで特別な存在だとすぐ分かる馬だったらしい。

2歳王者の半兄を超えていく存在へ、視界は良好。しかし、この馬には明確なウィークポイントがあった。
ビビりなのである。

能力ではズバ抜けているが、コースにある水溜まりを見ただけでビビって調教師を振り落としたり、地面に映る自分の影を見て怖がっていたりした。

性格の遺伝だろうか。
兄も物音に敏感で臆病。メンコを付けていたが、ちょうどそれを克服するトレーニングを行っている最中だった。

馬主の意向で兄の厩舎には入らず、ナリタタイシン、メジロパーマーらを管理した大久保正陽厩舎へ入厩した。

大久保正陽厩舎は、良くも悪くも前時代的な方針の厩舎だった。
50年代に騎手としてデビューし、70年代に調教師に転向、エリモジョージで天皇賞を制覇した大久保師。
厩舎の特色としては「ひたすらレースを使って馬を強くする」傾向にあった。

8月。南井を鞍上にデビュー。
しかしながら2着。芝1200m。どう見ても短かった。
なんとか2週間後に同じ距離で9馬身差で勝つが(ムラがすごい)、ここらへんで良くない兆候が現れ始める。

臆病さが災いしたのか、常にテンションが高く、レースが近付くとより荒ぶるようになった。
臆病な馬は馬群に入るのを怖がる。馬の視界は350°くらい。鳴り響く足音。周囲を囲まれてる状況。凄いストレスがかかっているのだろう。実際「競馬は苦しいもの」と認識し、走らなくなる馬もそれなりにいるという。

だが、大久保師は2歳の時から月2ペースでレースに出した。エネルギーを発散させるためだとか。
別の厩舎に所属する兄が9月デビューで4戦目が朝日杯だったのに対し、弟は8月デビューで朝日杯までに6戦を消化。4ヶ月で7戦というスーパーハードローテだった。

と言っても、ナリタタイシンもラジたん(現ホープフルS)が6戦目だった。7月デビューとはいえエグいペース。大久保厩舎ではこれが普通だったのかもしれない。

そんな彼に、1つの転機が訪れる。
93年11月のこと。
GIIに挑んだものの3着と惜敗、まだ1勝クラス、500万下しか勝ててなかったため、当時はOP戦だった京都3歳(現2歳)Sに挑もうとしていた頃のこと。

己の影に怯える彼。師は似たような馬を見たことがあった。父が調教師をやっていた頃、ある馬の鼻に馬具を装着しただけで成績が安定し、重賞を2勝、天皇賞を2着するまでに至った。

父を参考にそれを装着するやいなや、レコード勝ちの大金星。鼻から下の視界を塞ぐことで、影を怯えることはなくなった。そしてこの馬具が彼を一躍有名にさせた。

1993 朝日杯3歳S

そして迎えた朝日杯。
テイオー引退レースの2週間前のこと。
その馬は、伝説を呼んだ。

圧倒的なスピード、パワー。
そして印象に残るトレードマークから、彼はこう呼ばれるようになった。

シャドーロールの怪物

ナリタブライアン

ナリタブライアン(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=naritabrian
表彰JRA顕彰馬
世代1994
血統父 ブライアンズタイム(ロベルト系)
母 パシフィカス(ノーザンダンサー系/パシフィックプリンセス牝系)
半兄 ビワハヤヒデ(年度代表馬)
甥 ラストインパクト(ジャパンC2着)
従姉弟 ファレノプシス(牝馬二冠)、キズナ(日本ダービー)
成績21戦12勝[12-3-1-5]
主な勝ち鞍三冠 有馬記念 朝日杯
母父としての産駒マイネルハニー(チャレンジC) オールアズワン(札幌2歳S)
ピンクゴールド(盛岡・不来方賞)

ここまでの文章を読んで、「思ってたのと違う!!」と困惑された方も多いかもしれない。しかしナリタブライアンという馬は、誰よりも臆病で怖がりで、だからこそ誰よりも一番先を駆け抜けようとした、そんな馬だったのだ。

多分、ウマ娘でのキャラ付けは「レースが近づくと昂る」という点と、名前から来ている。ナリタブライアン、ナリタ無頼アン。…違うかもしれん


彼が付けているのはシャドーロールという馬具。当時の日本ではマイナー馬具だったそれをブライアンが装着し走ることで、知名度が上がった。シャドーロールブームは間違いなくこの馬から始まった。

本格化したナリタブライアン。己を蝕む影はもう無い。
世代でも突出した能力。期待されるのはダービー、そして三冠。
されど三冠には運も必要。ミホノブルボンはライスシャワーと距離の壁に、トウカイテイオーは脚にその夢を阻まれた。



その点ブライアンは運がよかった。
ライバルと言えるほどの存在が、クラシックにはいなかったのだから。

クラシック時代のブライアン相手に善戦できた馬を挙げるなら、エアダブリンが筆頭だろう。
父は名種牡馬トニービン、母はこれから先何度も出てくる名牝ダンシングキイ、母父はマルゼンの父ニジンスキーと、どこを取っても超良血おぼっちゃま。超長距離で強く、GIでも戦える能力はあったが、ブライアンには為す術なく敗れている。

もう1頭挙げるとするならミルジョージ産駒ヤシマソブリン。クラシック期はかなり調子良く走れていたのだが、ブライアンがあまりにも異次元すぎた。

後にその走りは「ルドルフを超えた」とすら言われるほどになる。

皐月賞

先述の通り、調教師はハイペースで出走させた。年明けは共同通信杯とスプリングS。もちろん1位通過。

そして迎えた皐月賞で、彼は驚異的なパフォーマンスを見せつける。

先頭を行くのはサクラの勝負服。その名もサクラエイコウオー。チヨノオーの近親にあたるマルゼンスキー産駒だ。
先述の『ウマ娘プリティーダービー スターブロッサム』ではヨシノプリヴェールとして登場している。

弥生賞覇者のこの馬は気性面で難しい所があり、基本は逃げ馬として走っていた。

ここに向けて仕上げてきたエイコウオー。仕上げすぎた影響か、前半1000mを58秒8で飛ばしてしまう。(弥生賞は61秒4。2秒6も違ったら展開がガラッと変わる)

無論、前で彼を追っかけてた馬から彼もろとも失速していく。ただ、ハイペースで飛ばした事により、追込脚質のチヨノオー産駒、サクラスーパーオーのお膳立てはできた。サクラ○○オー多すぎ問題。

スーパーオー的場均が猛烈な勢いで大外からぶっ差した直線。例年なら勝ち確パターンなのだが…

道中4番手を追走していたナリタブライアンが、なぜか3馬身半前にいた。猛烈な勢いで差したスーパーオーと0.1しか変わらない上がりタイムで走破されてしまった。そりゃ勝てない。

1984年にルドルフが刻んだ爆速のレコード、2:01:1。10年近く破られなかったそのレコードを昨年ようやくナリタタイシンが0.9秒も更新し、2:00:2とした。

ナリタブライアンは楽に走って1:59:0古馬も含めた中山2000mのレコードを0.5秒更新した。怖すぎるよ…

もちろんこのあたりから二冠、三冠も騒がれだす。競馬をあまり知らないライト層にも彼の名が知れ渡る。馬体こそ普通の鹿毛だが、鼻先の白いそれがトレードマーク。競馬初心者でも一目で見分けが付いたことで、より人気も出た。

日本ダービー

こうなったらもう日本ダービーは楽勝だ。

外の17番枠。勝率としては極端に低い枠順。逃げ馬でもない限り枠の不利がダイレクトに響く。よほど展開が向くか、力が抜けてないと勝てないはずだが…

アイネスフウジンが命を削りながら内ラチ沿いを走り続けて刻んだ2:25:3。

ナリタブライアンは豪快に大外ブン回して2:25:7。そして余裕の5馬身差道中6番手から上がり最速で駆け抜けた。

もはや敵なし。シンボリルドルフ調教師の野平祐二をして「現時点ではナリタブライアンの方が強い」と言わしめた。

彼には“ライバルがいなかった”のではない。強すぎたが故に、“ライバルになれる馬がいなかった”のである。

三強と一強

もうこうなったら三冠どころか年末の有馬記念すら勝ててしまうかもしれない。
3歳で有馬を勝った馬は、1970年以降たった6頭(94年当時)。それもトウショウボーイやシンボリルドルフ、オグリキャップと錚々たるメンツだ。この中に入ってもおかしくない強さを秘めているナリタブライアン。古馬達は立場を脅かされていた。

特に並々ならぬ思いでレースに挑んでいたコンビが一つ。
ナリタブライアンと同じ腹から生まれた半兄、ビワハヤヒデと、今のところ最新の三冠ジョッキー岡部幸雄だった。


昨年夏の猛特訓にて精神面が強化され、現役馬では最高峰の安定感を誇るようになったビワハヤヒデ。
年末の有馬はテイオーにこそ負けたものの、負けて強しの2着。

ここからはブライアンの兄の活躍を見ていこう。

天皇賞(春)

もうマックイーンはいない。だが、ライバルは確かにいた。

鬼足の申し子、ナリタタイシン

苦しい一年だった。

皐月賞は乾坤一擲の大駆けでGIタイトルを手にしたものの、ダービーで同じ戦法は通じず、大久保厩舎特有のスパルタローテでそのまま高松宮杯に出走させられ2着。長期休養も必至なレベルで体調を崩す。
無理やり菊に出走、大差負けで1年を終える。

けれど、タイシンは戦った。
当時は2月開催だった目黒記念から始動。今と変わらずハンデ戦なので、GI勝ってるタイシンは必然的に斤量が重くなる。
2着馬より6.5kg重い58.5kgを背負い、鞭を入れられながらなんとか辛勝。天皇賞に臨んだ。

一方その頃ビワハヤヒデは…

持ったままで京都記念を7馬身差圧勝していた…

2着以下経験なし、レース使いも無理をさせず、終盤に差が付いたら鞭を使わず楽をさせる、現代的な競馬の価値観を持っていた岡部幸雄が主戦騎手のビワハヤヒデ。

無論、時代の風は後者に吹いた。

後方を追走し、終盤抜群の手応えでまくってきたタイシン。しかし、例年にもましてのスローペースが祟って、脚を温存していたハヤヒデに届かない。

これでGI2勝目。最強の芦毛がターフを去った今、もう1頭の最強が名乗りを上げた。
タイシンも食らいついたが、根性で限界を超えてしまっていた。

天皇賞2着の後、タイシンは宝塚記念を骨折で回避。骨折したのはレース直後ではないが、予想以上に疲労が溜まっていたのは間違いない。

宝塚記念

それを尻目に、ハヤヒデは飄々とグランプリを目指す。
まるで光と影。タイシンの苦悩をよそ目に、彼は悠々と走り続ける。

記録的な猛暑となった94年夏。タイシンの離脱もあり、GI馬が2頭しかいない宝塚。二冠牝馬ベガも脚の調子が良くなく、確勝ムードで迎えた本番。

“真の強さは、スリルすら拒む──”

後にJRAは、このレースをそう表現した。

スタートは良くなかったものの、巡航スピードの差であっという間に好位につけると、コーナリングでベガを射程圏に捉えた。

梅雨の仁川で2000mが2分を切るというややハイペースの中、4コーナーでベガは早々に手応えを無くし失速。そのままビワハヤヒデは早めに先頭に立ち…

京都記念同様、鞭を使わず圧勝した。

レコードを0.9秒も更新する走り。
弟が5馬身差で圧勝してから1ヶ月後、同じことをしてやってのけた。

(ちなみにナイスネイチャは春天、宝塚続けて4着だった。何がとは言わんが惜しい)

ここまでブライアン、ハヤヒデ共にGI3勝。これからはパシフィカスの子達の時代か。

しかし、彼らには重大な欠点があった。その脆さが、運命を狂わせる。

天皇賞(秋)

ナリタタイシンが戦線を離脱し、ビワハヤヒデは“もう一頭のライバル”との決着を付けに行った。

GIIIで相まみえたのは、同期のダービー馬だった。

ウイニングチケット。ダービー以降、好走はするものの勝ちきれなくなってしまった彼。もう一度意地を見せたい。
主戦の柴田政人は落馬事故で休養していた。武豊が思いを継ぐ。しかし…

その強さは残酷なまでに、1年前の激闘を過去にした。

相手がダービー馬であっても楽に突き放していくハヤヒデ。現役最強は疑う余地もなかった。ただ…

ハヤヒデはこれでも本調子ではなかった。


迎えた秋の盾。弟のナリタブライアンは京都新聞杯でまさかの2着。兄は一味違うところを見せられるか期待されていたが…

待っていたのは、想定し得る最悪の展開だった。

ウイニングチケットは伸びがない。ズルズルと後退するビワハヤヒデ。両者共に屈腱炎だった。

実はオールカマーの時点で、ハヤヒデの調子は崩れていた。

去年のテイオー有馬をピークに、馬体重が少しづつ減ってきていた彼。放牧を経て馬体重を戻したかったところが、酷暑の影響かむしろ減らして出走したのがあのレースだった。重馬場での激走に調子は戻らず、天皇賞もなんとか±0の馬体重で持ちこたえたというものだった。


勝ったのはサクラトウコウ産駒、マルゼンスキー直系のネーハイシーザー。芝1800mの日本レコードを自身で2度も更新している中距離巧者だ。

一年前、ビワハヤヒデが勝利した菊花賞で、大差で負けたナリタタイシン。その後ろで心室細動を起こし、ヨロヨロと歩きながら最下位でゴールしたのがネーハイシーザーだった。何か運命的なものを感じずにはいられない結末だ。

ビワハヤヒデとウイニングチケットは即引退。
ウイニングチケット主戦の柴田政人も怪我が回復することはなく、騎手引退を余儀なくされた。

メジロマックイーン同様、ついに一度も関東のGIで勝つことが出来なかったビワハヤヒデ。精神面で繊細なところがあり、遠征時はどうも勝ち切れなかった。

こうしてBNW VS ブライアン、そして夢の兄弟対決はまさしく夢と消えてしまった。

菊花賞

その悲しみの中、ブライアンは走った。

散る花があれば、咲く花もある。

「弟は大丈夫だ」

その言葉が何度も強く繰り返された。

数多の想いを背負い、史上5頭目の三冠馬は生まれたのだ。

7馬身差。前年の兄のレコードをさらに更新する世紀の圧勝。
ビワハヤヒデが去った今、見据えるのは世界か。

凱旋門賞を4勝し、ゼンノロブロイで秋古馬三冠を達成した英国の超一流ジョッキー、オリビエ・ペリエは、ブライアンきっかけで日本競馬に興味を持ったという。そして「あの時のブライアンは世界レベルだった」と語っている。

ビワハヤヒデが去り、ますます最強の呼び声が高くなったナリタブライアン。
現時点でGI4勝。シンボリルドルフの7勝を超えるのも夢ではない。

そう思われたが、現実は余りにも非情だった。

変容

彗星の如き末脚で三冠馬となり、王者不在の有馬記念に駒を進めたナリタブライアン。
もうBNWもテイオーもマックイーンもいない。
そんな中で彼に真っ向から立ち向かった、同世代の女王がいた。

牝馬は牡馬に勝てない。
メジロラモーヌを以てしても崩れなかった常識。
革命の時代に、常識が非常識に変わるのは常だ。

女傑

ヒシアマゾン

ヒシアマゾン(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=hishiamazon
世代1994
生国🇺🇸アメリカ
血統父 シアトリカル(ヌレイエフ系) 母父 ノノアルコ(ニアークティック系)
母 ケイティーズ
全妹 ヒシピナクル(ローズS)
姪 スリープレスナイト(スプリンターズS)
姪孫 アドマイヤムーン(🇦🇪ドバイDF)、エフフォーリア(有馬記念)
成績20戦10勝[10-5-0-5]
主な戦績エリザベス女王杯 阪神3歳牝馬S
京都大賞典 オールカマー ローズS NZT
クイーンS クイーンC クリスタルC GI2着2回
主な子孫カリオストロ(橘S) クラウンアトラス(佐賀・由布院賞)

最強牝馬。牡馬と違って年々対象が更新されていく言葉だ。今となっては最強牝馬だらけの日本競馬界だが、現代競馬でこの言葉の起源を辿ると、恐らくこの馬に辿り着く。

女傑、ヒシアマゾン。

牡馬相手でも臆することなく先頭を追い続けた、強烈な末脚と勝負根性。シービーの激走に並ぶほどの瞬発力。
夢を見る者も少なくなかった。


アマゾンは米国・ケンタッキー州で生まれた。
馬主の阿部雅一郎さんは、大馬主であった父の背中を見て育った。

父は内国産馬大好きマンで、由緒正しき血統を大事にする人だった。
しかし、父の所有したヒシスピードがマルゼンスキー(外国血統)にフルボッコにされたこと、父の持ち馬が200頭を超え、資金繰りがかなりカツカツだったことなどを踏まえ、父逝去後に持ち馬を整理した。そして外国産馬を買った。(セリで内国産馬を買おうともしたが、あんまりいい馬がいなかったらしい)

罪滅ぼしとして、父の持ち馬で安田記念を勝ったヒシマサルの名を拝借し、2代目ヒシマサルを走らせた。これが前前前回くらいにチラッと出てきた、米国最強馬セクレタリアトの子ヒシマサルである。

こういった背景や調教師の提言もあり、阿部さんは米国の牧場とコネを作って、100万ドルで競り落とした繁殖牝馬を預託し、産まれた馬を日本で走らせ続けた。
牝馬の名はケイティーズ
愛1000ギニー(GI。アイルランド版桜花賞)勝ち馬であり、アドマイヤムーンエフフォーリアの先祖である。

そのケイティーズから産まれた子がアマゾンだった。

ウマ娘だと「世話焼きタイマン姐さん」で通っているアマさんだが、実際は少し違う。

どこまでも人懐っこい性格のアマゾンは、レースが始まるまでのほほ〜んとしていて、ほんとにこいつ走るのか?という感じのままゲートインし、スタートを切るとめちゃくちゃ走る馬だったらしい。ウマ娘でいうマチタンとグラスの間みたいな感じなんだろうか。


元々「ヒシアマゾネス」で馬名登録する予定だったが上の方から却下され、仕方なくヒシアマゾンに変更。
それでも厩舎内では「ネスちゃん」呼びされてたらしい。かわいい。

ちなみに入った厩舎はグリーングラスやホクトベガの中野厩舎。ホクトベガ同様、デビュー直後はダートを走らせた。脚の負担を減らすためである。


ある程度身体が出来上がってきたので芝転向。
GIIの京成杯3歳(現2歳)Sに出走するも、1着とクビ差で2着に敗れる。
しかしこれは負けて強しのレース内容。
アマゾン以外全員牡馬だったからだ。


レース中、主戦騎手の中舘騎手は「ダートで走った時と別物だ…この馬、ちょっと違う」と、特別な感覚を覚えたらしい。

ちなみに中舘騎手はツインターボに乗って重賞を2勝している。大逃げの次は直線一気。器用だ。

阪神3歳牝馬S

次戦は現阪神JF。
重賞未勝利ながら2番人気に推されると…

好位追走から直線すんごい脚で突き放し、5馬身差付けてゴール。

先頭でペースメイクしていた同馬主のシアトルフェアーをあっという間に置き去りにした。


この調子で牝馬三冠…とはいかない。外国産馬のため、当時はクラシック(桜花賞とオークス)には出られなかったのだ。

じゃあどうしたか。

オグリキャップした。(そこらへんの重賞荒らしまくった)

年明け京成杯こそインを上手く捌けずビコーペガサスに敗れてしまったものの、そこからは外からぶっ差して怒涛の5連勝。
そして、オグリキャップ中の“ある一戦”の影響で彼女の評価が格段に上がった。

クリスタルカップ

現ファルコンS。
ここでアマゾンは衝撃的なパフォーマンスを見せ付ける。

行き脚がつかず後方でレースを進め、まくるように上がってきて最後の直線で急加速。
とても中山1200のレースとは思えない、鬼神の如き末脚で差し切り勝ち。
「もしかしてヒシアマゾンならブライアンに勝てるのでは」という声すら上がるほど、その勝利は鮮烈なものだった。

以降も連勝を続け、GIIローズSは鞭すら使わずレコードで完勝。
無敵状態でエリザベス女王杯(現秋華賞)へ向かう。

桜花賞

一方その頃、アマゾン不在の牝馬クラシックでもドラマが生まれていた。

笠松からやってきた怪物牝馬、オグリローマン
オグリと同じく安藤勝己を乗せ、笠松で7戦6勝の後、中央に移籍。

かの伝説、オグリキャップの6つ下の妹。芦毛も相まってオグリの再来と期待されたものの、移籍後しばらくは芝に慣れず、思うように結果が出なかった。
そんな中迎えた桜花賞。武豊はまた神騎乗をやってのける。

最内枠から後方に下げ、馬場の良い外に出して一気に伸ばす。

「オグリ1着!オグリ1着!右手を挙げた武豊!」から4年。オグリキャップを彷彿とさせる差し切り勝ち。仁川に舞った白い桜。

オグリキャップの時は中央移籍の際に馬主が変わったりでいざこざがあったが、彼が時代を変えてくれたおかげで、馬主は小栗さんのままJRAでGIを勝つことができた。

しかも、勝ったGIはオグリが出たくても出られなかったクラシック。喜びもひとしおだっただろう。

怪物の妹

オグリローマン

世代1994
所属笠松→栗東
血統父 ブレイヴェストローマン(ナスルーラ系) 母父 シルバーシャーク(レリック系)
母 ホワイトナルビー
半兄 オグリキャップ(顕彰馬)
成績15戦7勝[7-2-0-6]
主な勝ち鞍桜花賞
ジュニアグランプリ(笠松)など地方重賞4勝
主な子孫クィーンロマンス(名古屋・新春盃) コウザンヒキリ(佐賀・仙酔峡賞)

勝利数と勝ち鞍でなんとなく察しがつくと思うが、ローマンが中央で挙げた勝利はこの桜花賞のみ。
その後は目立った成績を残せず引退したが、それでも彼女は夢を見せてくれた。

オークス

騎手の成績は強い馬に乗れるかどうか=馬質が良いかどうかで大きく左右される。

実力至上主義である今でこそ“ダービージョッキーは乗鞍に恵まれる”、というか“いい馬に乗れるほど結果を出してきたからこそダービージョッキーになれる”のだ。

しかし、いずれ紹介するエージェント制などが浸透していなかった平成初期の日本競馬界では、所属厩舎や自身の営業力などで騎乗数を確保するしかなかった。


栗毛の超特急と呼ばれ、無敗二冠の伝説を残しターフを去ったミホノブルボン。
彼の主戦だった小島貞博騎手は、あれ以降いい馬に騎乗する機会が無く、GIどころかGIIすら勝てないでいた。

そんな時に彼の面倒を見てくれたのが鶴留調教師だった。

師が小島騎手に騎乗を依頼したのがチョウカイキャロル。ブライアンズタイムの初年度産駒の一頭だった。

ミホノブルボンを彷彿とさせる栗毛と、筋骨隆々な体つき。唯一違うところと言えば、キャロルは距離が伸びるほど強い馬だったこと。

デビューが遅かったこともあり桜花賞に出るには賞金が足りず、同日に行われるオープン戦、残念桜花賞こと忘れな草賞を楽勝で通過すると、オークスに挑んだ。

一番人気はローマンだが単勝4.2倍。笠松時代は短距離で走っていた事と8枠発走も影響し、人気は割れに割れていた。キャロルは僅差2番人気。どちらが勝つか。運命のゲートは開く。

展開の有利不利を実力で捩じ伏せられる馬は、超一流だ。

↓レース結果を見ながら映像を見ていこう。

勝ちタイムが2分27秒台と聞くと、今基準だと重馬場を疑うレベルだが、当時の馬場は今ほど素晴らしくなかった。上がり33秒台を出せる古馬すらいなかった時代。今より2〜3秒遅いと考えてほしい。

注目してほしいのは下にスクロールすると出てくる“ラップタイム”。
これは先頭の馬の200m毎の通過タイムであり、レースのペースや展開がわかる。

東京2400mでのGIはスタミナ勝負の後に直線勝負が待っているため、とてもタフなレース。なのでほとんどの場合1度中盤あたりでペースが緩むのだが…

見て分かる通りこの年のオークスは、前半は逃げ馬が飛ばし、中盤もペースが緩むどころか中団の馬は前との距離を縮めながら最後の直線に突入している。つまり1度も休憩する暇が無かった。相当速い。

90年代のオークスは200m13秒台が中盤に出てくるのがむしろ普通。コーナー回る場面でもさほど減速せず断続的に流れ、直線に入ってむしろ速くなるという展開は当時は少なかったはず。

だいたいこういう“締まったラップタイム”になるレースは、①前にいた馬が全頭沈む大波乱パターン②展開に左右されない能力上位の馬だけが粘るor届くガチガチ決着パターンのどっちかになる。

今回は②。後方に下げ大外をブン回した上がり3F上位2頭が馬券内に来たにも関わらず、ずっとイン前でレースしてた馬の中でキャロルだけが粘り切った。

もちろん馬場と仮柵の関係で綺麗に内と外だけ芝の状態が良かったのも大きいが、この結果は勝ち馬の能力が世代間で抜けていたからに他ならない。

栗毛の特急牝馬

チョウカイキャロル

世代1994
血統父 ブライアンズタイム(ロベルト系)
母父 ミスタープロスペクター(レイズアネイティヴ系)
成績12戦4勝[4-4-1-3]
主な勝ち鞍オークス 中京記念

皐月賞(卯月開催)に続いて、皐月の府中でもクラシックの冠を手にした新種牡馬ブライアンズタイムの子。樫の女王は貫禄の走りで三冠目へ向かった。

これだけ強い走りを見せれば、秋の二冠達成への夢も大きく膨らむ。夢ではなく確定路線と騒ぎ立てるメディアもいておかしくなかったはずだ。例年なら。

能力が外れ値の、アイツさえいなければ…

エリザベス女王杯

最後の一冠は、ヒシアマゾンの1強ムードだった。
牝馬の枠を超えたその走りに人々は魅了され、単勝1.8倍の支持を集めた。

釈然としないのは大きく離れた2番人気の陣営。
三冠目。それは魔境。
彼女を倒すならばここしか無い。
全てを賭けて、大きく駆けた。

半ば暴走とも思える大逃げを打つ馬を見据えつつ、キャロルは8枠17番ゲートから前へ。同じく8枠のアグネスパレードをマークしながらレースを進める。

一方のアマゾンも後方待機から一転、坂の下りでキャロルの後ろまで接近。

キャロルはコーナーで外に振らされるも立て直し、アマゾンと馬体を併せるようにしてゴール板へ。逃げ粘るアグネスパレード河内洋ももつれ込み最終局面。わずかに抜かして2頭で叩き合う。

アマゾンか、キャロルか。
アマゾンか、キャロルか。

2400m走り切ってなお、ついた着差はたった3cm。首の上げ下げのタイミング。
意地と意地、強さと強さの叩き合い。

勝者、ヒシアマゾン。しかしキャロルも負けていなかった。世紀の熱戦。なによりオークスの1〜4着馬が全て2〜5着に入着していたことが、この世代の強さを証明した。


そして舞台は整った。師走の中山、女王は怪物と対峙する。

一決雌雄

怪物VS女傑の有馬記念の前に、秋GIに触れていこう。
ネーハイシーザーが勝った秋天。有馬に挑むはずだったBWコンビがいなくなり、メンツがさみしくなった中長距離GI戦線。同時代の短距離の充実っぷりを見てると余計そう感じる。

しかし話題には事欠かなかった。
この秋最も注目された馬は…

病気のデパート

マチカネタンホイザ

マチカネタンホイザ(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=matikanetannhauser
世代1992
血統父 ノーザンテースト(ノーザンダンサー系)
母父 アローエクスプレス(グレイソヴリン系)
姪 ワコーチカコ(京都記念)
成績32戦8勝[8-2-2-20]
主な勝ち鞍GII 高松宮杯 目黒記念 アメリカJCC
GIII ダイヤモンドS

(かわええ…)
下手したら実馬の現役時代よりも人気が出たんじゃないかと思わせるくらいの人気だったウマ娘マチタンさん。アニメでもそこそこぶっ飛んでたのに、ゲームシナリオでただの狂人だということが露呈してしまった。きっとこれにも史実が大きく影響している。


ミホノブルボンの離脱以降、正直あんまりパッとしないクラシック92世代。
短距離こそトロットサンダーやバクシン、フラワー、ラブリイと激強ホースがわんさかいるが、中長距離のGI馬はライスとレガシーワールド。強いけど…うん…という感じ。

そしてライスも現在スランプ期。世代トップが消え、二番手はなかなか勝ちきれない。

そんな中タンホイザさんは颯爽と現れGIを勝ち取っていく…はずだったんですけどね…

ジャパンカップ

今回のJCはメンバーが超薄かった。

どれくらい薄かったというと、主な出走馬がナイスネイチャ(久々にGII勝った)、ロイスアンドロイス(ネイチャばりの善戦マン)、フジヤマケンザン(GII2着3回)、マーベラスクラウン(京都大賞典勝ってGI初挑戦)とかだった。


その影響もあり、日本馬1番人気はまさかのタンホイザだった。
さあ、日本総大将。ここで貫禄を見せ付けられるか。

\ピンポンパンポーン/

「お知らせいたします。8番、マチカネタンホイザ号は、鼻出血のため発走除外と致します」

えぇ…?

このインパクトがデカすぎて、以降彼は「鼻血ブーの馬」の異名を付けられることになる。

アニメのマチタン登場シーンがあんなザマなのはここから来ている。

画像6
©アニメ『ウマ娘 プリティーダービー Season2』製作委員会

(ゲームの固有スキルも残念なので(褒めてる)ガチャを引いて確かめてみよう!)


てなわけで、人気上位5頭が外国馬になった。

日系アメリカ人の名手ナカタニが手綱を執るブラジルダービー馬サンドピット、ニシノのオーナーが権利買い取ってから米GI3勝したパラダイスクリーク、独米英仏の4ヶ国でG1勝ってるアップルツリー、メルボルンC勝ち馬ジューンが人気を独占した。

まあ日本勢は勝てるわけないやろ。

あーはいはい、パラダイスクリークとマーベラスクラウンの叩き合いでマーベラスクラウンの勝ちね。
結局今年も外国……ん?

偉大なる王冠

マーベラスクラウン

世代1993
血統父 ミスワキ(ミスタープロスペクター系)
母父 ハーバープリンス(プリンスキロ系)
成績22戦7勝[7-5-2-8]
主な勝ち鞍ジャパンカップ 京都大賞典 金鯱賞(GIII)

日本馬じゃん…南井克巳じゃん…騙馬じゃん…

南井さんはレース後首を捻っているが、写真判定でわずかにマーベラスが勝ってた。2着がニシノの勝負服なのでどっちが外国馬がわかんなくなる。


この馬、実はビワハヤヒデと同じ牧場で生まれた。同期だった彼より幼少期の評価は高かったのだが、気性が災いし調教中に騎手振り落とすわレース勝てないわで去勢を決意。

復帰後も重賞勝ち負けする程度だったが、秋に覚醒し、今に至る。

まさかまさかの大金星。日本馬、それも騙馬によるJC連覇という珍記録を作り上げたクラウン。
今後の活躍が期待されたが、故障して陰りが見えてしまった。騙馬なので引退後は牧場でゆっくり余生を謳歌したそうな。GI勝ててよかった。


パラダイスクリークは同じく米国勢のサンドピットが逃げてくれたから上手いことペースがハマったのか2着と善戦。ここで引退し後に種牡馬としてプリキュアのお父さんになる。(いろいろと語弊がある)


そして3着がこの馬。

ロイスアンドロイス

引用:https://umamusume.jp/character/royceandroyce
世代1993
血統父 トニービン(ゼダーン系)
母父 キートゥザミント(リボー系)
成績28戦3勝[3-9-7-9]
主な戦績勝ち鞍:サロベツS(1500万下・現行の3勝クラス)
2着:セントライト記念 3着:天皇賞(秋) ジャパンC オールカマー(GIII)

まさかまさかのウマ娘化と相成った善戦マン、ロイスアンドロイス。
ロールスロイスと名付けようとしたがJRAに突っぱねられたため仕方なくこんな名前を付けたらしい。90年代らしいな〜と思われるかもしれないが、今でもある。(ドゥラメンテ産駒にドゥラエモンと名付けようとしてダメだったからドラミモンになったりとか)

ミスターシービーやジェニュインなどを管理した松山厩舎に入厩すると、6戦未勝利のまま青葉賞に出走し3着という、能力はあるけどいかにも相手なりな競馬で勝ち切れない、王道善戦マンとしての才覚を発揮させていた。

この後も在厩調整のままなんとか未勝利戦を5馬身差で圧勝すると、ラジオたんぱ賞(GIII)3着→条件戦2着、2着、セントライト記念2着(!?)、菊花賞7着と頑張り、当時は“最強の1勝馬”として名を馳せていた。

古馬になり条件戦を2勝してしまったため、不名誉な称号は剥奪されたが、オールカマー3着、秋天3着、JC3着と訳わかんねえ善戦っぷりを見せた。

さすがにダメージが大きかったのか、暫しの休養の後は全盛期の走りは身を潜めたが、愛されホースとして一時代を席巻した。

有馬記念

有馬も今年は13頭立てと少なめだった。

理由はJCに引き続き古馬を牽引していたBNWの不在、そしてマチカネタンホイザが出走を取り消したことによるものだった。

まだ鼻血治ってなかったの?

いいえ、そこは万全だったんですが…
蕁麻疹が出たので出走取り消しです…噂によれば間違って蜘蛛を食べてしまったとかなんとか…

えぇ…?そんなことある…?

実際のところ、蜘蛛を食べたところを目撃した人はいない。

顔面だけに蕁麻疹出てた→症状が蜘蛛とか食べた時に出る“クモ疹”に似てた→調教師が「クモでも食ったんちゃうか」と言った→メディアが拡大解釈

たぶんこの流れで生まれたデマである。
けどあまりにも広がりすぎた噂だし、ウマ娘でも取り上げられてしまった&乗っかった方が面白いため、食べたかもしれないという体で書いておく。

有馬だけあって出走馬は豪華。

三冠馬ナリタブライアン。他は秋天覇者ネーハイシーザー、ライスシャワー、ヒシアマゾン、チョウカイキャロルらGI馬5頭。
そして宝塚2着のルドルフ産駒アイルトンシンボリ、ダービー3着菊2着の3歳馬ヤシマソブリン。後にGIを制す実力者、サクラチトセオー
春はGII3連勝してたムッシュシェクル、出来れば1着に来て欲しいナイスネイチャ、ツインターボ師匠といった馬たちが集結した。

GIとしてはいいラインナップだが、やっぱ去年の有馬が強すぎて同じレースとは思えない。そりゃブライアンが断然の1番人気になる。

ちなみに有馬記念出走は3年振りのターボ師匠。
もちろん中舘さんはヒシアマゾンに騎乗するので、師匠の鞍上は田中勝春騎手になった。

そして、有馬記念4年連続3着がかかるナイスネイチャ。それ目当てで見に来てた人もいただろう。

期待の渦巻く中山。ゲートが開いた。

爆逃げするターボ師匠。先団に10馬身以上の差を付けて必死にエンジンを吹かす。
しかし第4コーナーあたりで大大大失速。

ラジオたんぱ版の実況「ツインターボの先頭はここで終わり!」は無限に擦られるネタと化している。

直線に入る手前、後方から進出したヒシアマゾンに応戦するようにサクラチトセオーが並びかけ、そしてナリタブライアンと対峙する。

直線に入ると既に先頭のブライアン。
跳びの大きいアマゾンは外へ行きながらも、例年なら勝ち確定レベルの豪脚で中山の坂を抜けていく。

しかし、その様子を笑うかのようにリードを広げるのはブライアン。

圧勝だった。

アマゾンの末脚でも相手にならず、マックイーンもテイオーもハヤヒデもいなくなったターフ。
ただ一頭先頭を駆け抜けるその脚は
あまりに速く、あまりに強く、あまりに孤独だった。

ナイスネイチャは馬群に沈み、彼の鎮座するはずだった銅の椅子には、ライスシャワーが腰掛けていた。「レコードブレイカー」っぷりは今年も健在。

そしてレースを回避したマチカネタンホイザは年明けアメリカジョッキークラブカップ(AJCC)へ出走予定だったが…
フレグモーネ(傷口が膿むやつ)発症でまた回避しました。もうツッコミきれませぇん!

篝火

年が明け、1995年。
1月17日、阪神淡路大震災が人々を襲った。
神戸の街は火の海となり、阪急電車は線路が分断、仁川の舞台も封鎖となった。
阪神競馬場で行われる重賞レースのほとんどは、京都競馬場で振替開催となった。

人々の心が沈み切った時にこそ、娯楽は輝く。
競馬に救われた人も、きっといたはずだ。

1995 阪神大賞典

京都開催なので実質京都大賞典になったが、そんなことはどうでもいい。

ブライアンが出る。それだけで人々の期待は高まった。
当時はスーパーGIIとも言われた阪神大賞典。
震災後初のGIばりの大舞台。
単勝1.0倍のナリタブライアン。

怪物は健在だった。

上がり3F、驚異の33.9秒

サクラバクシンオーのスプリンターズでも、タイキシャトルのマイルCSでも出なかった圧倒的瞬発力。

今より重い芝の上で走ってたはずなのに、瞬発力勝負になった23年の同レース上がりタイムより速い。

95年当時で上がりタイム33秒台を出す馬は、世界中どこを探してもブライアンだけだっただろう。

日本で3000mで33秒台を出せる馬は、ナリタブライアン以降ディープインパクトまでいなかった。
(ディープが異次元すぎたのもある。菊花賞、3歳の時点で上がり3ハロン33.3というね。)

そりゃ7馬身差つくし、観客は沸くし、無敵だ。

でも、それだけ負担もかかった。
レース後、「腰に疲労がきている」との診断が出た。
しばらく放牧に出せれば良かったのだが、もうすぐ天皇賞。軽い運動をさせておいた。

レースから1か月が経とうとしていたある日。
関節炎が発覚した。

天皇賞は回避。療養生活が始まった。
世紀の大激走の反動で、怪物は怪物でいられなくなった

疾走の馬、青嶺の魂となり

ブライアンのいない、天皇賞(春)
追う影のない淀のターフに、ライスシャワーはいた。

“あの日”から、ライスは変わってしまった。

打倒マックイーンを掲げ、小柄な身体に鉛を付けて調教を重ね、絞りに絞り切った極限の馬体で挑んだ2年前の天皇賞(春)。

その反動は大きく、ライスは燃え尽きていた。
闘志を使い果たしたと言うべきか、前借りしたと言うべきか。

長い長い雌伏の日々。もうかれこれ2年間も、勝ちから遠ざかっていた。

この日の天皇賞は、絶対王者がいなかった。
つまり、誰が勝ってもおかしくない。

あの日のように、鬼が宿るほどの猛烈な調教も課されていない。あの頃の比べると、力は衰えているかもしれない。
それでも、何度も夢見た“もう一度”。
前王者は駆け抜ける。
誰よりも先へ。

いつものように、マークする目標もない。
だからこそ、ライスシャワーと的場均は割り切った。

直線で誰よりも早く先頭に立つ。
スタミナ任せの早仕掛け。
今のライスシャワーには合っている戦法だったし、非力な彼だからこそできた賭け。

京都の直線は長い。真っ先に立つ先頭。
後ろから迫るステージチャンプ蛯名。
それでも最後に残るのは、執念と根性。
そして、今日まで紡いできた想いだった。

ライバルのいないその舞台で響いたのは、黒き勇者を称える大歓声だった。

ブルボンやマックイーンが絶対的ヒーローだったから、ライスシャワーという存在が、ある人には目の上のたんこぶのように映った。

しかし、本当は応援していたファンも多かった。
苦労人的場均。そして悪役にしては小さすぎる、黒き体躯のライスシャワー。

絶対的ヒーローのいない舞台で勝てたこと。
それが彼らをヒーローにした。
負け続けた日々は無駄ではなかったと、ここに証明された。

宝塚記念

グランプリの日は、あっという間にやってきた。
まだブライアンは戻って来ず、古馬戦線は変わり映えしないまま。

ついに、ライスシャワーがファン投票で1位になった。小さき勇者を、誰もが愛し始めた。

けれど、ライスシャワーは体調が良くなかった。

前回の天皇賞の後もしばらく体調を崩したライス。ただでさえ春の盾は身体的ダメージの大きいレース。やっぱり小さな身体で全力疾走は負荷がかかりやすい。タイシン然り。

それに天皇賞の後には、待ちに待った種牡馬のオファーが来た。もう6歳のライス。それでも現役を続けていたのは、GIを2勝しておきながら種牡馬としての需要が無かったから。
数多くの名馬と戦ったGI馬の余生が田舎の乗馬クラブは忍びない。血を後世に残してこそ競馬だ。ライス陣営はこの時を待っていたし、もう引退させる事も可能だった。

それでも、陣営は出走を決意した。

理由は2つ。

ファン投票2位のヒシアマゾンが宝塚に出られないこと。

有馬を終えてアメリカ遠征をしたアマゾンだったが、レース直前に脚部不安があったため帰国した。
宝塚記念に調整が間に合わず、復帰は7月の高松宮杯になったのだ。

もう一つは、京都競馬場で開催されたこと。

これまでのGI全てを京都で制していたため、得意なレース場といえる。
そして、今は阪神淡路大震災直後。
期待を受けたからにはなるべく応えたい。
競馬ファンに勇気を与えたい。
馬主さんもそう思っていただろう。


震災の影響で、例年より前倒し開催された宝塚。
レース本番。ライスは3番人気だった。

1番人気はサクラチトセオー
差し切れずに2着が多い中距離馬。
前走の安田記念、前前走の中山記念では2着。3度目の正直が期待されていた。

2番人気はダンツシアトル。5歳になって急に本格化し、連勝のまま宝塚に駒を進めてきていた。

そしてネーハイシーザー、タイキブリザード、エアダブリンと続き、7番人気にナリタタイシン
このレースでついに復帰。長かった。一年以上の空白。ここで勝てばテイオー以上の衝撃だが、もう走ってくれるだけで充分とファンは思っていただろう。

とまあ、こんな感じの顔ぶれだった。他にもチョウカイキャロルアイルトンシンボリなどなど。
新世代の台頭が目立つ中、勝つのはどの馬か。

そして、運命の瞬間が訪れる。

ここから先は語るに落ちる。

レース前は何も予兆は無かったのに、ゲートが開くと嘘のように手応えが無かった。いつものライスではなかった。そう的場騎手は語る。
それでも3コーナーから仕掛けようとした時に…

文字通り死ぬほど痛かっただろう脚を引きずって、ライスは的場騎手のもとへ歩み寄った。

その後は、ご周知の通りだ。

ライスシャワー碑

今でもなお、京都競馬場には石碑がある。

「疾走の馬、青嶺の魂となり」

誰も悪くない事件だ。スポーツに怪我はつきもの。
それでもやっぱり悲しいものは悲しい。

テンポイントもサクラスターオーも、馬房で亡くなった。その最期は関係者しか知らない。
キーストンは全く痛がる素振りを見せず、安らかに亡くなった。

ライスシャワーは壮絶な故障をしていたため、その場で安楽死処分が下された。
悶え苦しむ小さなその馬にブルーシートが被せられ、息を引き取るさまを、10万人の観客が見届けた。

涙を浮かべ、苦しみながら亡くなったという。


この記事を書き始めてからも、スキルヴィング、グレートマジシャンなど、様々な馬がこの世を去っている。悲しいが生き物である以上避けられない。
国内だけで年間7000頭も産まれるサラブレッド。その中の数頭が予後不良で亡くなるのと、国内で人が事故死するのと、どちらも同じようなこと。知ってるか知らないかの違いだ。

コンテンツにハマればハマるほど、悲しみに触れる回数も増える。これはもう真理なので仕方のない事だ。


それよりも、ライスの件の裏でもう一つの奇跡と悲劇があったこと。これについて紹介したい。

浮かばれぬ奇蹟

ダンツシアトル

世代1993
生国🇺🇸アメリカ
血統父 シアトルスルー(ボールドルーラー系) 母父 プリンスジョン(プリンスキロ系)
半姉 Smuggly(サンタラリ賞)
成績14戦8勝[8-0-2-4]
主な勝ち鞍宝塚記念 京阪杯
主な子孫カシノコールミー(霧島賞)

父シアトルスルーはアメリカ無敗三冠馬で、これから重賞馬をポンポン輩出する種牡馬だったが、脚に外向の気があった。

ダンツシアトルもそれを受け継いでしまい、ダートで恐る恐るデビューさせたものの、案外すんなり2連勝。ベガと同じパターンだ。

このまま朝日杯も狙える…と思った矢先に骨折。一年を棒に振り、帰ってきたら全然走れなくなってしまっていた。

善戦はするものの勝ち切れないし、厩舎がハイペース出走教だからかまた怪我した。今度は屈腱炎。

復帰したらもう1995年だ。
このまま不調なら地方行きか…乗馬か…

ところが12番人気。の復帰戦で勝った。2度の怪我を経て復活したのだ。

その後もOP戦で勝ち、安田記念に登録。
しかし、当時の短距離戦線はバカみたいに強い馬ばかりで、獲得賞金の面で足りず除外。

仕方なく出た京阪杯(1800m)。オークス馬のチョウカイキャロルも出ていた。
これを完全に捉えて快勝。完全に覚醒したのだ。

そして迎えたのが宝塚記念。
最内枠の利を活かし、逃げ馬の様子を見つつ4コーナーですっと抜け出す。王道の展開で勝負に出る。

タイキブリザードも粘り、エアダブリンも追い込んで来たが、ギリギリで振り切って勝利。
1〜3着はクビ差の大接戦。しかもレコード勝ちだった。

昨年ビワハヤヒデがグッと縮めたレコードをさらに短縮しての勝利。大金星である。しかし…

ライスシャワーが予後不良となった淀で、彼を注目する者はなく…

追い討ちをかけるように、シアトルは屈腱炎を再発。引退を余儀なくされた。

GI馬のため種牡馬入りはできた。しかし、まだ当時はシアトルスルー産駒の成功例がほぼ無かったこと、唯一GI勝利の印象が全くないことから九州や青森、北海道を転々とする羽目になる。
地方で種牡馬入りするといい繁殖牝馬にも出会えないため、基本的に重賞馬は出ない。血はそこで途絶える。
それでも意地で中央オープン馬を送り出した。大牧場が買い取ってたらGI馬も出せてたかもしれない。


そしてナリタタイシン。この馬も不運だった。
故障明けの宝塚記念は16着と大敗。秋のオールカマーとかに向けてしっかり休めば…

という所で、数週間後の高松宮杯に向けて調教を始め、屈腱炎再発。引退となった。
BNWは全員が脚部の故障で引退することとなった。

回避しようと思えばできたレース。出走を決めた理由は馬主の意向か調教師の意向かはわからない。

そして翌年、大久保厩舎は同じ轍を二度踏んでしまうことになる。

あとがき

お気付きでしょうか。見出しの尊い画像、内2人が故障引退、1人が骨折からの体調不良で長期休養です。地獄か?

次回はこれからのスターブロッサム本編に深く関わってきます。先に知りたい方はお楽しみに。

ではまた。

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