※本記事は2021年7月5日にnoteに投稿した記事の一部を再構成したものです
皆さま、ウマ娘はやっておられますの?
今回も短距離特集ですわ。ダイイチルビー嬢を取り上げる回につき、お嬢様言葉でお送りしておりますわ。おターフですわ。
23年現在、直近5回のスプリントGIが大荒れゆえ、90年代をまとめていて逆に「どうしてこんな順当に人気決着で終わりますの…?」と思ってしまいましたわ。そろそろエール嬢とクレア嬢は報われるべきですわ。あとシュネル殿も。
(くどいのでそろそろ平民に戻りますわよ)
90年代前半のスプリント路線はGIが1つしかなく、必然的に強いメンバーが揃いました。今でいうヴィクトリアマイルみたいなイメージ。
マイルを本業としながらスプリントにも挑む馬が多いですし、マイラー含めて“短距離馬”と一括りにされてる印象です。
舞台版ウマ娘(Sprinters’ Story)が発表され主要キャストが判明した時、「これ3/4人マイルでGI勝ってるしMilers'(略)じゃね」となった人もいらっしゃるでしょうが、それはこういう背景があったからなんです。たぶん。
ところで舞台ウマ娘の主題歌めっちゃ好きなんですけど、4人のためだけの曲みたいな感じになっちゃってるのがちょっと残念。せめてフラワーとバンブーくらいは歌ってくれてもええんやで…ほぼ同時代走ってたし…
前置きがオーバーランする前にさっさと本編行きましょう。
舞台『ウマ娘 プリティーダービー 〜Sprinters’ Story〜』
勝利の先に
1991年。オグリキャップ奇跡の有馬記念から約半年が過ぎたころ。
マイル戦線に激動の予感があった。
1991 安田記念
バンブーメモリーは年明け初戦、京王杯を4着敗戦。
そんな中迎えた安田記念。
負けてなお堂々の1番人気、1.8倍。
GI2勝のバンブーは6歳になり、ここからは衰えとの戦い。
5歳勢はサクラホクトオーが中心だが、4歳世代の勢いに勝てるかは微妙なライン。
新世代の革命は、唐突に訪れた。
(音割れ酷すぎるんで注意)
昨年、スプリンターズSにて大敗したダイタクヘリオス。しかし年が明けマイラーズCで見事に勝利。まだ4歳。着実に実力はついてきていた。
そして本番。伏兵ヘリオスは坂を登り先頭に躍り出る。
ヘリオスは変に真面目な馬で、ハイペースで進むレースの中でも前に行きたがり、めちゃくちゃ掛かる。それを鞍上は必死でいなしながら乗っていた。
最後の直線、1頭だけ頭の向いてる方向や手綱の長さも違うのがお分かり頂けるだろうか。(ずっと観客の方を向いてるように見えるため、ウマ娘次元に適応すると若干ファンサ感ある)そんな癖馬をなんとかなだめつつも先頭に立たせた。
しかし後ろからするりと差し切った黒い影。
初の栄冠は再起の勲章だった。
華麗なる宝石
ダイイチルビー
世代 | 1990 |
---|---|
血統 | 父 トウショウボーイ(テスコボーイ系) 母父 サンシー(ファイントップ系) 母 ハギノトップレディ(牝馬二冠) |
成績 | 18戦6勝[6-6-1-5] |
主な勝ち鞍 | 安田記念 スプリンターズS 京王杯スプリングC 京都牝馬特別(GIII・現京都牝馬S) |
(ウマ娘化大感謝)
後にヘリオスのズッ友兼正妻となるその馬は、スーパードリームブリリアントお嬢様であった。
父は本シリーズでも度々出てきた大名馬。ミスターシービーの父としても知られるトウショウボーイ。母は二冠牝馬ハギノトップレディ。
(たぶんルビーのSSRサポカイラストの階段の奥に飾ってあるウマ娘の肖像画はトップレディ。流星の太さと活躍度合い的にそうだと思われる)
父母合わせて現GI級競走5勝の娘。それだけでも凄いが、彼女らの家系「華麗なる一族」には深い深いバックボーンがあった。
1957年。イギリスから輸入された繁殖牝馬マイリー。彼女はめちゃくちゃ仔出しが良く(優秀な子を多く輩出していて)、何世代にも渡って彼女の血は受け継がれた。
特に優秀だったのがイットーという馬。マイリーの孫にあたる。彼女は1971年生まれ。つまりクラシック74世代。72〜77年まで二冠牝馬が6年連続で誕生していたが、牝馬は牡馬に勝てない。それが70年代の常識だったが…
イットーは違った。牡馬相手でも億さず怯まず、互角の闘いを繰り広げていた。
けれども不幸なことに、彼女の生涯はアクシデントの連続だった。
3歳春。唯一の敗北が後の二冠馬キタノカチドキを相手にした阪神3歳S(2着)という状況。牝馬三冠も夢では無かったのだが、コズミを発症し春二冠を回避。秋は他馬の落馬に巻き込まれて大怪我。
相次ぐ怪我のせいで八大競走には勝てず、勝った重賞は高松宮杯とスワンS。
なお、当時とは距離も何もかも違う。今の金鯱賞とマイラーズCと同条件の重賞競走に勝利したことになる。それでもGII2勝。
怪我が無く、思う存分力を発揮出来ていたら「トウメイの再来」「エアグルーヴの先駆け」なんて呼ばれていたかもしれない。
そんなイットーから生まれた子がハギノトップレディ。牝馬二冠と高松宮杯を制した。
そしてもう1頭、ハギノカムイオーという馬がいた。トップレディの弟だ。
カムイオーの父はテスコボーイ。彼が生まれた時点でGI級の馬を10頭ほど輩出しており、めちゃくちゃ期待されていた。
冠名が表す通り、ハギノトップレディと同じ馬主にセリで落札された。金額は1億8500万円。当時のセリ史上最高額。1979年当時の価格だ。今基準で考えるととんでもない金額になる。
だいたいそういう馬は元を取れずに引退するのだが、カムイオーはしっかり重賞を6勝、宝塚記念を勝ってグランプリホースになり、2億3000万稼いで引退した。
(なおこの馬もNHK杯で執拗に絡まれ大敗、ダービーに出られなかった過去があるため不憫属性は受け継いでいる。)
2億前後で落札されて元取れた馬で思い当たるのはこいつとワールドプレミア、サトノダイヤモンド、アドマイヤグルーヴ、ポタジェ、ラヴズオンリーユー、スワーヴリチャード、トーセンジョーダンくらいしかいない。
(現役で元取れる可能性があるのはショウナンバシットくらいか。なおワールドプレミアは2億4000万円ホースだが、彼以上の価格で競り落とされた馬は軒並み全滅している。リステッド勝てたのもアドマイヤビルゴとデシエルトくらい)
カムイオーの父テスコボーイはトウショウボーイの父。そして母イットーはハギノトップレディの母。
テスコボーイ×イットーで成功したんだからトウショウボーイ×ハギノトップレディで成功しないわけが無い。
しかも牝系はマイリーから続く「華麗なる一族」。重賞馬を多数輩出したその血ならと、ダイイチルビーはカムイオーの時ばりに注目された。
しかし、生まれてきた子は蹄の形に異常があった。曰く「右前のツメが大人の拳ひと握りしかなく、丸に近い形だった」とか。
関係者は肩を落としたものの、軽く調教してみると走り方が抜群に良かったため、1億円で売却された。後にエアグルーヴやファインモーションを管理する伊藤雄二厩舎に入厩し競走馬デビュー。もちろん(?)主戦騎手は武豊。
こうしてダイイチルビーはドリームお嬢様としての連勝街道を辿ることに…なったらよかったんですけどね…
辿った道は不運と惜敗の連続だった。
2歳から使うと確実に壊れるからと馬主に頼んで3歳デビュー。新馬戦は圧勝したが、桜花賞トライアルに登録するも抽選漏れ。仕方なく1勝クラスで勝って桜花賞に登録するも抽選漏れ。一族の運の無さも受け継いでる気が…
「残念桜花賞」とも言われる、桜花賞の数時間前に行われる「忘れな草賞」というオープン競走に出走するも、桜花賞より400m長いためか重馬場のせいか2着。
とはいえこの年の桜花賞は以前紹介したアグネスフローラが強い勝ち方を見せたため、いずれにせよ、という感じだ。
オークストライアルの現フローラSに挑み2着。オークスで5着。
秋は期待されたが、ローズSでも5着。イクノディクタスらの1着争いを2馬身半後方から見届けた。
期待外れ感が漂い出した頃に蹄が炎症起こしてしばらく休養。終わった馬扱いされてもおかしくない惨状。近親がだいたい億稼いでるから余計にね。
復帰戦は年明け、オープン戦の洛陽S。1600m。
武豊は先約がありすぎるため主戦に戻ることはなかった。
代わりの騎手は河内洋。武豊の兄弟子で、ニホンピロウイナーやメジロラモーヌ、サッカーボーイでおなじみのマイルと牝馬に強い騎手だ。
父トウショウボーイも、母ハギノトップレディも、華麗なる一族も、中距離で強い逃げ先行馬ばかりだった。そのため武豊もそういう騎乗をしていたのだが、少し違ったらしい。
ゲートが開くとダイイチルビーは出遅れ。落胆する観客。
しかし河内は焦らず、ルビーをそのまま後方につけさせた。
そして終盤まで脚をギリギリまで溜め、一気に解放。
勝てはしなかったものの、半馬身差の2着。
一瞬、同じくトウショウボーイの子、ミスターシービーがよぎるような激しい追い込みを見せた。“本格化の兆し”が見えたのだ。
そこからのダイイチルビーは強かった。
次戦の牝馬GIIIを制覇。その後も掲示板を外すことなく、京王杯では中団から伸びてバンブーメモリーを破った。強い後方脚質の馬としての才能を開花させたのだ。
そして本番、安田で見せた強烈な追い込み。
バンブー豊が直線で進路を内に選択しめちゃめちゃ詰まったのも大きいが、外からまっすぐ伸びて見事な差し切り勝ち。
夢にまで見たGIタイトルを手にしたのだった。
高松宮杯(GII・中京2000m)
悲願のGI制覇ができたものの、ダイイチルビーにはもう一つの大きな宿命があった。
夏の大一番、高松宮杯の制覇である。
イットー、ハギノトップレディ、ハギノカムイオー、トウショウボーイの4頭がいずれも手にした栄冠、高松宮杯。今でいう札幌記念のような、独特な盛り上がりを見せるスーパーGII。
ここを勝つことが血の証明。親子三代制覇のかかった一戦。
そして迎えた当日。特に天敵もおらず8頭立て。
単勝1.4倍。これは勝ったか。
そう思った瞬間に粘る見慣れた青メンコ野郎。
ダイタクヘリオスは戦績に尋常じゃないムラがある。そのムラの中で好成績を残す時は、だいたいダイイチルビーが人気の時だった。
そんな関係からか、二頭は終生のライバルとも、恋人とも呼ばれた。
(恐らく単純にヘリオスは直線で坂が無いor直線が長いマイル〜2000mのコースが大得意だっただけなのだが、それ以外でボロ負けする時が多かったためネタにされた。漫画『馬なり1ハロン劇場』の影響も大きい)
スワンS(GII・京都1400m)
こうなったら春秋マイルGI連覇を目指すしかねえ。大一番を前に秋初戦のスワンSへ。
ゲートを上手く出て前めからズバッと差したルビーだったが、さらにその後ろからズバッと差し切られ、クビ差2着に敗れる。
突然の強敵の出現。場内騒然。
初の重賞挑戦で1着。新星が現れた。
奇跡の末脚
ケイエスミラクル
世代 | 1991 |
---|---|
生国 | 🇺🇸アメリカ |
血統 | 父 スタッツブラックホーク(ミスタープロスペクター系) 母父 ネヴァーベンド(ナスルーラ系) |
成績 | 10戦5勝[5-2-1-2] |
主な勝ち鞍 | スワンステークス |
(絶対ウマ娘にはならないと思ってた)
(ウマ娘界では今にも消えちゃいそうな儚げオレっ娘という、一部のオタクの心を鷲掴みにして離さない天然記念物になって帰ってきたミラクルさん。いいよね…)
奇跡の名を受けて短距離界に舞い降りた貴公子、ケイエスミラクル。
実馬はルビーと正反対のスーパー無名血統とはいえ、今や日本競馬の中核を担う血統、ミスタープロスペクター系黎明期の馬。
牝系も菊花賞馬アスクビクターモアやアグネスデジタルの父クラフティプロスペクターと同じプリンセスロイクラフトの牝系で、悪い血統では無い。短距離レコード走破も納得の米国型スピード血統だ。
ただ、いわく付きだったのはその出自。
生まれつき日本脳炎患ってて命すら怪しかったもののなんとか完治。お次は脚部不安が出てもうダメだ…と思ったら奇跡的に回復。名前の由来はこの二度の奇跡に拠るらしい。
と、遥か昔、この国が生まれる前から言い伝えられてきたが、実はこれには明確な出典元が存在しない。KSの頭文字も「確固たる証拠がない」から取ったという噂がなかったりする。なのでケイエスミラクルは実質神話上の生き物ということになる。(※なりません)
なお、命に関わるレベルの高熱が出たのは事実らしいので、↑に近しい奇跡があったのは間違いない。
3歳4月、なんとかデビューにこぎつけると、夏からは勝ち星を量産。驚愕の戦績でオープン入りし、セントウルSで13着。なんでぇ…?
しかしオープン戦をレコード勝ちして調子を戻し、スワンSでダイイチルビーを破った。
マイルCS
そして本番。同じ京都の舞台でのマイル戦。
上位人気はやはりスワンS組。
人気はダイイチルビー、ケイエスミラクル、大きく離れてバンブーメモリー、ダイタクヘリオスと続いた。
ルビーは前走は負けたとはいえ斤量別定戦。GIを勝ってたルビーは牝馬で57kg、つまり実質59kgを背負い2着、ミラクルは3歳なので55kgで1着。これでクビ差なら定量戦になる本番は斤量差が縮まる。なら逆転濃厚やろ、というのが淀の馬券師の心理だったのだろう。
バンブーとヘリオスは前走大敗で大きく評価を落としていた。衆目は2頭に注がれる。
ルビーのGI連覇か、ミラクルの2連勝か。
…逃げ切っちゃうんだな、これが。
ダイタクヘリオス執念の逃げ切り。口を割り続けていたスワンSの時とは違い、序盤に折り合いを付けリズム良く追走、直線で4〜5馬身引き離す。ルビーが猛追し差を縮めるが…
ルビーは2着、ルビーをずっとマークしていたミラクルも3着に敗れ、3番人気だったバンブーメモリーは馬群に沈んだ。
ヘリオスはこれでGI初制覇。ルドルフの子が無敗二冠馬になった裏で、ルドルフの同期の子がマイル王になったのだった。
スプリンターズS
年の瀬のスプリントGIは、第1回覇者バンブーメモリーが引退のため不在。波乱の予感を漂わせていた。
ヘリオスは有馬記念で爆逃げをカマすために不参加。
ミラクルは元々休養予定だったが、馬主の意向で参戦を表明。
ミラクルとルビーの一騎打ち。どちらが勝つか期待されたが…
予想だにしない結末が待っていた。
ハイペースで流れる展開。ミラクルは中盤からエンジンを吹かせつつ、タイミングを窺い外に持ち出して先頭に迫ろうとしたが…。
ミラクルの主戦はタマモクロスの南井騎手だったのだが、スプリンターズの参戦が急遽決まった事もあり、阪神での騎乗予定を優先。ルドルフの岡部騎手に乗り替わりとなっていた。
だから岡部騎手はミラクルが道中どれだけ脚を使えるか、どういう乗り方が最適かを知らなかった。結果としてハイペースを先行し、その上で差し馬みたいな末脚を使ってしまったため、限界を超えた。1年で10戦もさせた疲れからか、不幸にも脚にガタが来た。
3度目の絶望はもう不可逆だった。
完全に折れ切った脚。予後不良だった。
ミラクルの死を「人災」と呼ぶ人もいる。
ただ、当時はスプリントGIが年に1回しかなかった。 ここを逃せばもう来年末までチャンスが無い、という前提があっての出走。陣営も最大限のケアをした上での結果なので、頭ごなしに否定できることではない。
あくまで馬は経済動物で、馬主最優先だった時代。競馬界全体の風向きやローテ、方針も今とはまるで違う。今から見ると酷だが、当時は黙認されていた部分もあった(し、一部の地方競馬ではつい最近までそうだった)。だからと言ってこれを正当化していい訳ではない。
ケイエスミラクルという馬を大切に思っているからこそ、馬主さんはウマ娘化を許可したのだろう。二次創作を通してでも、彼の輝きが残り続ける事を願うばかりだ。
レースはダイイチルビーが1着。
目標を短距離に絞ったためローテにゆとりができた陣営は、後のことを考えずルビーに極限仕上げを課した。
そしていつも通り後方で脚を溜め、外から進出し桁外れの豪脚で差し切り。時計はレコード。前の馬が飛ばしまくったのも追い風だった。
かくして彼女は華麗なる一族の末裔、ダイイチルビーとしての競馬の極致を見せ付けたのだ。ミラクルが後退する真横から突き抜けたのも、運命のいたずらというべきか。
ルビーは史上初の牡牝混合GI2勝牝馬となっただけでなく、獲得賞金が4億2000万円を突破。牝馬の歴代最高賞金記録を更新した。
年度代表馬選考でもテイオー、マックイーンを差し置いて投票する記者が両手に収まりきらないほどいた。
デビュー当初は落ちこぼれ、期待はずれとされていた原石が、偉大なる名牝として輝きを放った。最高のサクセスストーリーだ。
しかし、これ以降ルビーは走らなくなってしまう。極限仕上げの代償とも言えるだろう。
師曰く「母親になりたがっていた」とか。
ちょっと方向性は違えど↑の記事も“牝馬の役目”について書いている。要するに、そういうシーズンが来てしまうと成績が急降下することもあるのだ。(それを薬で制御できるようになったのが平成後期〜令和の日本競馬)
さて、二年連続でスプリンターズSの覇者が燃え尽きてしまった。短距離界の入れ替わりは早い。
バンブーメモリーも91年は全く走らず、宝塚記念にて杉本清アナに「今日もあなたの夢、私の夢が走ります。私の夢はバンブーです」と紹介された後に最下位の大敗北。
以降、杉本アナに推された馬は負けるというジンクスが生まれた。(ちなみに杉本さんの21年宝塚の夢はカレンブーケドールだった模様。大敗しなくて良かった)
ウマ娘バンブーが「夢」ハチマキをしているのはこれの影響でもある。そういう観点で見ると不憫。(でも漫画シングレ110話『夢』は激アツなのでぜひ読んで頂きたい)
風になる
余談は置いといて1992年。テイオーVSマックの天皇賞春天地決戦の裏で、短距離界もスターが現れては去っていった。
ヘリオスは91有馬記念を5着と好走、休養明けのマイラーズCで快勝。しかしルビーとの再戦の舞台、京王杯SCで2頭仲良く馬券外。勝ち馬はサクラユタカオー初年度産駒ダイナマイトダディだった。
1992 安田記念
前年は大穴で2着に食い込んだヘリオス。この年は堂々1番人気で春秋マイルGI連覇に挑む。
2番人気にGII2連勝中のダイナマイトダディ、3番人気にテイオー世代の2歳王者イブキマイカグラ、4番人気にルビー。以下は春天から安田という鬼畜ローテのカミノクレッセ、芦毛善戦マンのホワイトストーンと続いた。
5番人気まで単勝オッズ1桁代のやや混戦オッズ。混戦を断ち切るのは…
まるでつむじ風のように、府中のターフを裂いた。11番人気の大駆け。その名も…
魂の烈風
ヤマニンゼファー
世代 | 1991 |
---|---|
血統 | 父 ニホンピロウイナー(サーゲイロード系) 母父 ブラッシンググルーム(ナスルーラ系) |
成績 | 20戦8勝[8-5-2-5] |
主な勝ち鞍 | 安田記念連覇 天皇賞(秋) 京王杯スプリングC |
主な産駒 | サンフォードシチー(JCD2着) ヒゼンホクショー(東京AJ) |
主な子孫 | ドンクール(兵庫CS) |
(祝!!ウマ娘化ッ!!)
道中はなだめながらルビーをマーク。大欅を回るとじわりと進出し、後は抜群の手応えで粘り切り。昨年のスプリンターズSで大敗した馬がまさかの一着。凄まじい成長力を見せた。
血統の解説をしよう。
ゼファーの母父ブラッシンググルームはGI5勝。サクラローレルの祖父、クロノジェネシスの曽祖父、マヤノトップガン、テイエムオペラオー、欧州三冠馬ラムタラの母父にあたる。名馬すぎる。
ゼファーはマイルの皇帝こと父ニホンピロウイナーの後継者の最有力候補として大きな期待を受けたが、脚部不安が相次ぎ重賞はなかなか勝てない日々が続いた。
古馬になってようやく馬体が出来上がったからか成績が安定し始め、安田でもご覧の通り。父譲りの強い走りを見せ付けた。
小ネタの解説をしよう。ヤマニンゼファーは最強馬論争に稀に顔を出してくる。論者曰く「ゼファーは田中勝春と柴田善臣をGI初制覇に導いているので最強」とのこと。
そう、↑の安田で騎乗した田中勝春は22歳にして初のGI制覇だった。まして大外18番。そんでゼファー自体重賞未勝利。高いハードルをぶっ壊したのだ。この後もゼファーは歴史に残る魂の激走を何度も見せてくれる。
ゼファー魂
…魂といえば、ウマ娘でも取り上げられた『ゼファー魂』についてまだ触れていなかった。
今の中央競馬ではまだ休止中のパドック横断幕文化だが、昔はパドックに馬や騎手を応援する横断幕があった。(地方では今でも見られる)
ゼファーをこよなく愛するTさんが、ゼファー産駒や母父ゼファーの馬が東京周辺の競馬場で出走する時に限りかけられる『ゼファー魂』横断幕があった。なお
「横断幕」のwikiにでかでかと取り上げられるくらいには有名である。「ヤマニンゼファーは知らんけどゼファー魂は知ってる」という競馬ファンもちらほらいるくらい。派生でラニ産駒を応援するラニ魂横断幕とかもある。
注意したいのが、ゼファー魂横断幕は彼の現役時代には無かったということ。ウマ娘でゼファーさんが横断幕みてびっくりしてるのはif世界線だからである。
この横断幕は2018年頃までは現地で存在が確認されているが、今はTさん共々消息不明である。中央競馬の横断幕解禁が先か、ゼファーの子孫が居なくなるのが先か…叶うことなら実物を見てみたいものだ。
マイルCS
安田を勝ったゼファーだが、マイルCSでは執念の逆襲に見舞われる。
京都競馬場には最終直線の坂が無い。爆逃げしてても速度はさほど落ちぬ。即ち無敵。
執念のマイルCS連覇。
ネタ馬と呼ばれては困る。誰よりも先を行くだけだ。
(ネイチャさんここでも3着)
スプリンターズS
右回り苦手説もあったヤマニンゼファー。だがスプリンターズSに賭ける。
ヘリオスは昨年同様有馬…には行かずにちゃんとスプリンターズSに出走してきた。しかし中山は急なコーナーからの急坂。少々不利か。
ゼファーはインを突いて楽に抜け出した。ヘリオスも粘るが届かない。
勝ったと思ったその瞬間。
襲いかかった衝撃の末脚。
桜花賞馬が短距離古馬GIを制す。
前代未聞の事態だった。
革命の一輪花
ニシノフラワー
世代 | 1992 |
---|---|
血統 | 父 マジェスティックライト(レイズアネイティヴ系) 母父 ダンジグ(ノーザンダンサー系) |
成績 | 16戦7勝[7-1-3-5] |
主な勝ち鞍 | 阪神3歳牝馬S(阪神JF) 桜花賞 スプリンターズS マイラーズC デイリー杯3歳S 札幌3歳S |
主な産駒 | ニシノマナムスメ(マイラーズC2着) |
主な子孫 | ニシノデイジー(中山大障害) |
牡馬相手に驚愕の末脚を見せた天才少女、ニシノフラワー。
彼女の凄さを伝えるため、ここまでのキャリアを振り返りたい。
血統的には日本ではあまり見ない感じ。西山牧場は海外から馬を毎年のように輸入するなど血に拘ってたので、その産物だと思われる。それでもセイウンスカイよりは遥かに主流血統だ。
幼少期は馬体が華奢すぎたためあまり期待されていなかったフラワー。しかし調教を積むにつれてその才能を開花させていく。
ダートのデビュー戦を余裕で逃げ切ると、以降も抜群の安定感で4連勝。無敗でGIへ挑む。
坂を登り切るところまで鞭を使わないほど余裕の手応え。着差以上の完勝で2歳女王になる。
しかし、チューリップ賞で単勝1.2倍の中2着に敗れてしまう。完全に騎乗ミスだった。
ということで次走からは乗り替わり。桜花賞は牝馬に乗ると超強い河内洋が導いた。
(ちなみに乗り替わり前の佐藤正騎手はワンダーアキュートの調教師である。ウマ娘でフラワーとアキュートって絡みあるんだろうか)
道中すさまじい行きっぷりを見せるが、なんとか抑える河内騎手。
直線に入り坂を登る頃には1頭だけ脚色が全く違う。余裕でGI2連勝。
この走りならオークスでも距離は持つかと思いきやまさかの惨敗。チューリップ賞でフラワーを負かしたアドラーブルが女王になった。
秋になり当時2000mだったローズSに挑む頃には馬体も気性もより短距離向きになってしまっていて、ここでも4着。
どうしたらいいかをひたすら考えた。
そして三冠目。エリザベス女王杯。
京都2400mを河内はかくして乗り切った。
インを突いて追い込み。出来るだけロスなく最後に力を残せるよう乗って、なんとか3着に耐え凌いだ。
勝ち馬はチューリップ賞3着馬のタケノベルベット。この年はチューリップ賞で馬券になった馬が三冠を分け合った。この当時は重賞ですらなかったのにこのハイレベルっぷり。94年からGIIIになる。
一旦終い重視のレースをしてしまったため、この引き出しで挑みたい場所があった。
それがさっきの12月のスプリンターズS。
1ヶ月で1200mの距離短縮ローテ。
もちろん前がハイペースで潰れてくれたのも大きかったが、後方から爆速で追い込んで差し切ったのがさっきのレースだ。おかしいだろ。
1993 安田記念
ヘリオス、ゼファー、フラワー。
ようやく固まった三強体制。
しかし短距離戦線はすぐに戦況が変化する。
93年4月、京王杯SC。ヘリオスもフラワーもいないのに、ヤマニンゼファーは2番人気だった。
1番人気はフラワーの阪神3歳牝馬で3着、マイルCSにてヘリオスの2着になった素質馬シンコウラブリイ。
ゼファーは今までの賞金の関係から斤量59kg、ラブリイは55kg。4kgもハンデがあるのだから納得の人気。
しかしなんとゼファーはここも執念で勝ち切ってしまう。
その勢いのまま臨んだ安田。
ゼファーは年明けマイラーズC(阪神1600)でフラワーに負けており、もう勝負付けは済んだ雰囲気。1番人気はフラワーのものだった。
しかし、フラワーには欠点があった。
その華奢な身体だ。
470〜80kgの馬達がひしめき合うタフな東京マイル。位置取り争いで小さな馬体は不利になる。
内枠のためスプリンターズのような手は使えない。難しいレースメイキングを要求されたフラワー。前に出して折り合いを付けようとするが掛かり、その上他馬と接触する不利もあって後退。悔しいレースになった。
(最近なら23年春のナミュールもそうだが、華奢な馬はこういう不利を受けやすい)
その点、外からストレス無く位置を上げ、2番手を追走したゼファーは直線でもまだ使える脚があった。イクノが粘るも2着まで。
ヘリオスの連覇に並ぶ、安田記念連覇。
鞍上の柴田善臣騎手はGI初制覇。
そしてここからゼファーは伝説になる。
天皇賞(秋)
93年王道戦線は壊滅的だった。
テイオーは不在。マックイーンだけが勝ち続けている状況。
そんなマックイーンが京都大賞典で故障引退。
秋の盾1番人気は、かろうじて王道距離を制しているクラシックホース、ライスシャワー。
英雄不在の戦場に吹き荒れる風。
その風は、“そよ風”と呼ぶには強烈すぎた。
七夕賞、オールカマーと奇跡の連勝劇を繰り広げたツインターボがレースをつくる。
そしてなんとゼファーは積極的に2番手追走。仮にも距離不安があるにも関わらず、腹を括った。
その後方にナイスネイチャ、ライスシャワーと続く。芦毛善戦マンのホワイトストーンはハイペースを予想し後ろから。カミノクレッセやイクノディクタスらも後ろからレースを進める。
中盤、ターボがスタミナ切れし、ペースが大きく緩む。そのタイミングで外から先頭に躍り出るゼファー。
ネイチャは粘りに粘るがなかなか届かず、ゼファーは直線半ばで早くも先頭に。
しかし予想だにしないほどのセキテイリュウオーの猛追。
抜くか、抜かれるか。
馬体を併せて200m、2頭は懸命に叩きあった。
3着以降に付いた着差は4馬身。
1、2着は、2000m走って僅か数cmの差。
勝者、ヤマニンゼファー。
マイラーが制した秋の盾。ニッポーテイオーの再来だった。
1度目の安田記念の後、田中勝春はセキテイリュウオーの騎乗を優先し、ヤマニンゼファーの主戦を降板した。というのも、この馬が田中騎手が所属する厩舎の期待の星だったからだ。
一方、新たにゼファーの主戦を務めたのは新人の柴田善臣。
安田記念は、彼にとって初のGIタイトルだった。
そんな二人の壮絶な叩き合い。凄まじい勝負根性で粘り切ったゼファー善臣。セキテイ田中は最後の最後、ラスト20mでムチを落としてしまい、悔しい敗戦となった。
セキテイリュウオーはその後も好走を続けたがGIは勝ち切れず、その反動か(?)田中騎手はGIで全く勝てなくなってしまう。年数にして13年もの長期間だ。大敗続きならまだ諦めも付くが、2着9回、3着8回。恐ろしいほど勝てなくなってしまった。
13年後の愛馬はヴィクトリー。人馬共に、名実共に悲願の勝利を手に入れた瞬間だった。いずれ解説しよう。
マイルCS
ゼファーが天皇賞を制す前。毎日王冠でのこと。
ここでゼファーが6着に敗れたから本番では5番人気だったのだが、1着はセキテイリュウオーではなくシンコウラブリイだった。(3着はナイスネイチャ)
レコードで快勝したので天皇賞も…と行きたいところだが、外国産馬のラブリイは出られない決まり。スワンSを挟んで、マイルCSへ向かった。
レース当日、2歳馬ナリタブライアンがオープン戦でレコード勝ちするのを眺めていると、降り出した大雨。前が見えないほど叩き付ける雨に、馬場はあっという間に不良に。
それでも魅せた渾身の激走。岡部幸雄が魅せた。
ニシノフラワーは足を取られて沈む。前残りの重馬場の中ドージマムテキが追い込むも、追い付いた分の倍引き離す。
上がり3F36.2。大雨の激走。
マイルの女傑
シンコウラブリイ
世代 | 1992 |
---|---|
生国 | 🇮🇪アイルランド |
血統 | 父 カーリアン(ニジンスキー系) 母父 ポッセ(ハイペリオン系) |
成績 | 15戦10勝[10-2-2-1] |
主な勝ち鞍 | マイルCS NZT 毎日王冠 スワンS |
主な産駒 | ロードクロノス(中京記念) |
主な子孫 | ムイトオブリガード(アル共杯) シンメイフジ(関東オークス) ロードマイウェイ(チャレンジC) クインズサターン(道営記念連覇) ストーリア(現役) |
これで引退のシンコウラブリイ。
最後の最後に掴んだ一着。
とはいえこの馬は戦績がすごいのでとりあえず見て欲しい。
ウマ娘から競馬にハマった方には「逆シュネルマイスター」と言えば伝わるだろうか。最初にGI勝ってそこからずっと善戦してるシュネルと違い、着実に勝ちを重ねながら強くなっていったラブリイだった。たぶんそのうちウマ娘化もするはず。
調教師の藤沢和雄はこれが初のGI勝利。
以降、名調教師として、そして引退レースでバチバチに馬を仕上げて圧勝させる調教師としても有名になる。(シンボリクリスエスの有馬記念、グランアレグリアのマイルCS参照)
時代の王者
そしてもう一頭、マイル界に名牝が降り立つ。
93年の牝馬路線は怖いくらい名牝が多かったことは前回紹介した。
あれだけやっても紹介し切れなかった馬が、ノースフライトという馬だ。
名馬はよく比較される。
ディープインパクトはシンザンやルドルフなど同じ三冠馬と比較され、テイオーは父ルドルフと比べられ続けた。
じゃあノースフライトはどうかと聞かれたら、比較対象はグランアレグリアあたりになってくるだろう。
グランは当時の牝馬世界レート1位のGI6勝快速女王。もしかしたら顕彰馬になるかもしれない存在。
そんな馬とノースフライトを比べていいのか。
「いい」と断言出来る理由がある。
彼女を語る上で外せない、ここ数年で知名度が爆上がりした伝説の名馬がいるので、まずはそちらから紹介させて欲しい。
電撃の驀進王
サクラバクシンオー
世代 | 1992 |
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血統 | 父 サクラユタカオー(テスコボーイ系) 母父 ノーザンテースト 叔父 アンバーシャダイ(有馬記念) 大叔父 イブキマイカグラ(朝日杯) |
成績 | 21戦11勝[11-2-1-7] (〜1400m 12戦11勝[11-0-0-1]) |
主な勝ち鞍 | スプリンターズS連覇 スワンS ダービー卿CT クリスタルC |
主な産駒 | グランプリボス(NHKマイル) ビッグアーサー(宮記念) ショウナンカンプ(宮記念) ブランディス(障害GI春秋連覇) シーイズトウショウ(スプリント重賞5勝) ロードバクシン(兵庫三冠) |
母父としての産駒 | キタサンブラック(GI7勝) ファストフォース(宮記念) ハクサンムーン(GI2着2回) キタサンミカヅキ(東京盃連覇) グリム(ダートGIII5勝) |
主な子孫 | イクイノックス(🇦🇪ドバイSC) ソールオリエンス(皐月賞) ピクシーナイト(スプリンターズS) |
サクラバクシンオー。
ウマ娘ではみんなお世話になるお助けマン。
育成シナリオでは謎のバクシン理論を提唱して長距離走れるアピールしたり、委員長のくせにうるさかったり、ネタキャラなのか強キャラなのか分からない立ち位置かつ、中の人の性格がキャラと正反対などなど、ツッコミどころを挙げればキリが無いのだが、史実は歴史的名馬であった。
彼の走りが日本における「スプリンター」の概念を作ったと言ってもいい。
先程の比較の話でいうと、バクシンは同じく短距離路線国内最強と名高いロードカナロアと比較されることがある。
カナロアは世界でも最強格の短距離馬(カレンチャン教信者)である。
カナロアのGI勝利数は6。
スプリンターズS連覇&香港スプリント連覇、高松宮記念、安田記念。
GIで負けたのはカレンチャンに届かなかった高松宮記念だけで、短距離(〜1400m)の戦績は17戦12勝16連対と、伝説的な勝ちっぷりを見せている。
対してバクシン。GI勝利数は2。
GIで負けたのは1回目のスプリンターズSと、マイルGI安田記念、マイルCS。
スプリントGIにおいては3戦2勝(レコード勝ち含)。
たった3回しか短距離GI出てないのか、と思われるだろうが、これにはちゃんとした理由がある。もう察してる方も多そうだが。
バクシンオーが驀進した1992〜4年は、短距離が冷遇されていた時代だった。
シルクロードSも高松宮記念もなく、葵Sも、アイビスサマーダッシュも、阪神カップもない。函館スプリントSができたのもバクシンオーの引退した年。セントウルSもGIIIだった。
まるで地方重賞がほとんどなかったアプデ前のウマ娘ダート路線のようなものである。
じゃあカナロアみたく香港に逃げればいいやん!って思う方もいるだろうが、そう簡単にはいかない。
当時は輸送技術も発達しておらず、海外遠征がメジャーじゃないから気軽に遠征できないし、世界全体が今よりスプリントを軽視していたこともあって、名高いスプリントGIの大半がまだ存在していなかった。香港競馬も今みたいにオープンじゃなかった。
世界のロードカナロアには挑む世界があったが、バクシンには日本しかなかったのだ。
選択肢が狭まれば狭まるほど、一戦一戦のレベルは上がる。強い馬しか重賞に出られないから。
こんな環境で1400m以下ほぼ無敗はレジェンドなのである。
スプリンターズS
そんなレジェンドバクシンさんのレジェンドたる理由の一つに、この一戦がある。
1993年、スプリンターズS。
ニシノフラワーが追込で勝った前年のスプリンターズSにて、バクシンオーはハイペースに泣いて6着と大敗した(当馬比)。
その後脚部不安で休養したが、10月に復帰してオープン戦を使いつつ調整。良い仕上がりでここに臨んだ。
宿敵は中距離、マイル、スプリントの三階級GI制覇がかかるヤマニンゼファーと、復活を期するニシノフラワー。
三強対決の火蓋が切られた。
3番手を楽に追走し折り合うと、直線向くなりあっさりと突き放して快勝。彼をマークしていたヤマニンゼファーやニシノフラワーの追い込みも届かず、2馬身以上突き放した。
今までのこのGIと比較できない勝ち方。こんな勝ち方されたらもう誰も敵わない。しかしこの勝利はバクシンオー伝説の中ではまだ序盤であった。
1994 安田記念
ウマ娘では1400mまではバクシンできるがそれ以降はヘトヘトになってる委員長。
これは実際もそうだった。道中の走り方で常に全力を出してることが分かる。首の動かし具合がずっとラストスパートのそれ。
息を入れずノンストップで能力を出し切るため、1400までしか出し切れない。
しかし、そんな弱点も晩年には良化の一途を辿っていた。それを見ていこう。
昨年から国際競走となったため、海外馬が参戦しまくり日本勢危うしという状況になった94年安田。1番人気は武豊騎乗の海外馬スキーパラダイス。もちろん日本馬1番人気はバクシン。
しかし大波乱が起こった。
最初の600mを33.8というアホみたいなペースで追走しながら何故か直線でも粘れているバクシンオー。その外から一気に何かが突っ込んできて、そのまま差し切った。
彼女こそサクラバクシンオーの唯一と言っていい宿敵、ノースフライトだ。
元々武豊が乗ってたが当日は分身出来ないため、騎乗経験のある角田晃一が手綱を執ったフライト。普段はゼファーのように、前の方から抜け出す優等生な走りが持ち味なのだが…
今回は出負けしたのと、前の馬達がアホみたいに飛ばしたので、後方3番手からレースを進める形になってしまった。
運が良かったのが、フライトがまくりをかけるタイミングで先頭の馬がややガス欠を起こし、前のペースがかなり緩んだこと。
そのタイミングで外からじわりと進出し先頭へ。バクシンオーと併せてもうひと伸び。2着と0.4秒差でゴールイン。
さらっと書いているが、当時の馬場で、東京マイルコースでこれだけの着差を付けるのはとんでもない強さだ。
だがバクシンオーも耐えに耐えて4着。
これを収穫とし、迎えた秋。
今後の路線を占う試金石、爆速レコード決着となった毎日王冠で、バクシンオーは前までのレコードより0.1秒早いタイムで駆け抜け4着。1800mでもそこそこ戦えた。
スワンS
この結果に自信を持った陣営は再びバクシンオーをマイル路線へ送り出す。マイルCSの前哨戦、スワンSへ。
対戦相手はもちろん、ノースフライトだった。
逃げるエイシンワシントンの後ろを手綱を持ったまま追走。そのまま先頭に立ち、追い始めるとさらに伸びる。ノースフライトは届かない。
1400mを1:19:9。日本レコード。阪神1400mのコースレコードは20年以上破られなかった。
やっぱ1400mまでの馬ですねこれは。
マイルCS
もうこの時点で色々おかしいのだが、そのまま迎えたマイルCS。
スワンSからの参戦。距離延長ではあるが、同コースで追わずに追走し折り合う練習が出来たことがまず成果だ。それを本番で活かすだけ。
1800でも一線級。1400だと伝説級。1600でもきっと超一流の走りが飛んでくる。
それに相対するは、マイルの女王。
バクシンオーは枠の都合で逃げ馬の外を追走。また序盤で口を割っているがなんとか抑える。ギリギリまで我慢し距離ロスを最小限にコーナーを回る。後は粘り切るのみ。
しかしまたしても外から迫る影。ノースフライトだ。2000で重賞制覇経験のある彼女にはスタミナがある。外から進出してもまだ脚が残っている。バクシンオーも馬体を併せて反抗するが、残り100mでキレ負けしてしまった。
これだけ強くなったバクシンオーをもってしても勝てない強さ。
ウマ娘次元ではマイルは「距離が長い」ことになっているが、多分そこは史実では克服できていた。問題は宿敵が規格外すぎたことだった。
マイルの女王
ノースフライト
世代 | 1993 |
---|---|
血統 | 父 トニービン(ゼダーン系) 母父 ヒッティングアウェー(トウルビヨン系) |
成績 | 11戦8勝[8-2-0-1] (1600m 5戦5勝) |
主な戦績 | 春秋マイル連覇 エリザベス女王杯2着 マイラーズC 牝馬限定GIII3勝 |
主な子孫 | ビートブラック(天皇賞春) サノサマー(金沢・利家盃) ソロフライト(盛岡・ジュニアGP) |
(ウマ娘化ずっと待ってました)
コースレコードで走破したノースフライト。
彼女は1600mでは5戦5勝。僅差勝ちはただの一度も無かった。
4歳で引退したせいで影がうっすいが、もっと評価されていい名馬だ。
この2頭の争いが、スプリンターとマイラーの違いを啓蒙したと言っていいだろう。
なお、これだけの成績を残した歴史的名マイラーだが、彼女を担当した女性厩務員さんが「フーちゃん」呼びしていたのが広まり、愛称はフーちゃんで定着している。マイルの女王フーちゃん。
フーちゃんはルビーらと同様に産駒に恵まれなかったが、血を残そうと種牡馬入りさせたミスキャストという馬の僅かな産駒から、天皇賞馬が出た。いずれまた解説しよう。
スプリンターズS
フーちゃんは早くも引退し、スプリント絶対王者も5歳。最後の花道。
スプリンターズSもこの年から国際競走になり、外国馬が3頭参戦。中でも注目は米BCスプリント(ダート)2着のソビエトプロブレムだった。馬名のインパクト凄いな…しかも米国産…
そんな中でも圧倒的1番人気の驀進王。極限仕上げで挑む舞台で、最後にして至高の伝説をつくる。
またしても前がアホみたいに飛ばす流れ。前半600mを32.4という、今の馬場でもしんどいペースの中、バクシンオーは先頭集団からやや離れた4〜5番手で過去1すんなりと折り合った。
スワンSを再現するように、手綱を持ったまま、抜け出しを図る内の馬たちを締めて進出。慣れない右回りにコーナリングですっ飛んでいく海外馬を置き去りにしてぐんぐん突き放す。
“これは最後の愛のムチ”
そんな名実況が生まれたのは、2着以下が大きく離れていたからであろう。
僅か1200mで4馬身差を付けて、日本レコードでの勝利。その圧倒的な強さに、冗談抜きで「世界最強」と謳われた。
最初のGI制覇は亡くなったサクラの馬主に捧ぐ夢、最後のGI制覇は彼無き後に残す大きな壁。
1:07:1。日本レコード。圧巻の走り。
スプリントGIとしてのレコードは2001年にトロットスターが0.1秒更新したが、“1分7秒の壁”を越えた馬は2012年のロードカナロアまで現れなかった。
カナロア以降もGIでその壁を超えた馬は1頭しかいない。その名もビッグアーサー。サクラバクシンオーの産駒である。
彼が残したのはそれだけではない。
90年代後半には短距離改革が行われた。
引退後すぐに高松宮杯が短距離GIになり、後に高松宮記念として生まれ変わった。
短距離GIIIが続々新設され、夏の風物詩になったりした。
サッカーボーイに惚れ込んだ社台の吉田勝己氏もバクシンオーのスピードに目を付け、「こういう馬は絶対必要だ」と社台スタリオンステーションで繋養させた。
その結果、GI馬を4頭輩出。母父としてはロードカナロアと熱い闘いを繰り広げた旋回王子ハクサンムーン、なんでこの血統から長距離馬が生まれたのかわからんと度々言われるお祭り男キタサンブラック、父カナロア母父バクシンの爆速配合で芝1200日本レコード樹立した後に不良馬場で高松宮記念を勝った馬場不問の快速馬ファストフォースなど、クセの強い名馬を続々輩出。
これからも後世に血が残っていきそうだ。
王道路線だけが競馬ではない。
短距離路線の伝説はまだまだ続く。
最後のスプリンターズSで2着になったビコーペガサスが、これからの時代の証人となる。
エイシンワシントンとフラワーパークの熱戦やトロットサンダー、ヒシアケボノの台頭、タイキシャトル、エアジハードら黄金時代の怪物、鮮烈な勝ち方で魅せるデュランダル、カルストンライトオなど、弩級の名馬達の激戦が繰り返され、脈々と受け継がれ、移り変わって今日のナムラクレアやメイケイエールがある。
ニホンピロウイナーが拓いたマイルの道は、オグリが拡げ、タイキが伸ばし、ウオッカが均し、モーリスが変え、グランが彩り、そして今はソングラインが歩んでいる。
幾多の名馬が集った短距離界はこれからどうなるのか。
少なくとも、もう「裏路線」などと呼ばれる事は二度とないだろう。
手に汗握る100秒ちょっとの熱戦は、時に伝説を創り出すことを、我々は既に知っているのだから。
あとがき
クサい終わり方になりました。これしか考えられなかった。
最後にウワァ~って書いたおうまさん達は余すことなく今後紹介していくのでよろしくお願いします。
さて、次回はバクシンオーVSノースフライトの裏で誕生した怪物、ナリタブライアン編です。
彼の生涯は成功と失敗の連続なので、三冠馬の中ではまだ人間味がありますね。人間じゃないけど。
そんな彼の月に叢雲花に風、菊7馬身鼻にシャドーロールな生涯を紐解いていきましょう(?)
それではまた次回。
バクシンバクシーン!!
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