※本記事は2021年4月19日にnoteに投稿した同名の記事を再編集したものです
皆さん、ウマ娘やってます?僕は100年(1ヶ月くらい)ぶりに星3が出ました。しかもカレンチャン。カワイイカレンチャン。最高。
でもやっぱ僕は星3の中ではオグリが好きです。
のほほんとしてるのに勝負になると根性すごいとことか、食いしん坊なとことか、ぬいぐるみに嫉妬するとことか。
最後のは置いといて、オグリのキャラ設定は原作に忠実です。今回はそこも絡めて見ていきましょう。
次々と変わる戦況を、オグリはどう攻略するのでしょうか。そして、突如現れた新星とは─
平成三強時代からオグリ引退まで、大幅改稿してお届けします。
・漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』9巻〜完結まで
・アプリ『ウマ娘』メインストーリー第1章 1〜2話
↓前回
前回までのあらすじ
- 3月〜10月笠松の怪物、連戦連勝
笠松から中央競馬に移籍したオグリキャップが重賞で連戦連勝。手の付けられない強さで重賞を6連勝した。
- 3月〜11月本命不在のクラシック
オグリキャップがクラシック登録をしていなかったため、本命不在となったクラシック。しかし東京で代替開催となった皐月は東京巧者のヤエノムテキ、ダービーはサクラチヨノオー、菊はスーパークリークと強豪が出揃った。
- 4月〜6月タマモクロス、春二冠
鳴尾記念で衝撃の重賞初制覇を果たしたタマモクロスは、金杯、阪神大賞典と弾みをつけて天皇賞と宝塚記念を連勝した。
- 8月サッカーボーイ、日本レコード
故障により皐月を回避、なんとかダービーに間に合わせたサッカーボーイだったが、結果は伴わなかった。夏には復調し、函館記念ではダービー馬を5馬身突き放し、芝2000m日本レコードを叩き出すまでに回復。マイルCSに直行し、GI2勝目を挙げた。
- 10月芦毛馬の頂上決戦
天皇賞(秋)はGI連勝中のタマモクロスと重賞連勝中のオグリキャップの芦毛ドリームマッチとなった。レースはタマモが先に抜け出して勝利。オグリは僅差の2着に敗れた。
- 11月トニービン、日本で種牡馬入りへ
ジャパンカップに出走し5着となったトニービンはレース後骨折が判明し、競走馬を引退。日本の社台スタリオンステーションで種牡馬入りすることとなった。
- 12月オグリキャップ、3度目の正直
オグリキャップは現役最強馬タマモクロスと3度目の対戦となった有馬記念でついに勝利した。タマモは本格化以降連対を1度も外すことなく引退となった。
激動の十年
ターフを揺らしたのは、風か光か。
全国デビューから僅か1年という早さで伝説と消えた白い稲妻、タマモクロス。
彼の残した伝説は、残された馬達に大きな壁となって立ちはだかった。
しかし、彼らには時間があった。
伝説を伝説で塗り替えていく為の時間が。
そして、何よりライバルがいた。
珠玉のドラマを作る戦い。
その為に最も必要なライバルが。
ヒーローを生むのもまた、ヒーローの仕事だ。
平成の時代、賭博は娯楽になる。
本命不在の春に
タマモ後の競馬界を引っ張る存在は間違いなくオグリキャップとスーパークリーク。
春のGIはこの二頭の争いになると予想されていた。
オグリ陣営は大阪杯と春のGI全てに出場する気でいた。大阪杯→春天→安田→宝塚なんてゲームでしかやらないような強行ローテを計画していた。
しかし、オグリは脚の捻挫と繋靭帯炎、クリークは重い筋肉痛が祟り、両者とも春シーズン丸々全休となってしまう。
宝塚記念
そんなわけで、本命不在となった春シーズン。
ヤエノムテキはGII大阪杯を快勝する。ゴールドシチーなど敵ではなかった。
強敵がいないのでまさしく無敵である。
このまま宝塚記念も勝って念願のGI2勝目かと思われたが、春の天皇賞を勝ち抜けた強敵が現れてしまう。
それでも積み重ねたキャリアが違う。
今までの戦績から、堂々の1番人気に支持された…のだが…
レースは混迷の様相。ラモーヌ世代の安田記念勝ち馬フレッシュボイスが2着、昨年の阪神大賞典でタマモクロスと同着になったダイナカーペンターが4着に食い込んだが、1着は馴染みのない顔。
それもそのはず。彼は中央競馬1年目の怪物だった。
大井の刺客
イナリワン
表彰 | JRA賞年度代表馬(1989) / NARグランプリ特別表彰馬 |
---|---|
世代 | 1987 |
血統 | 父 ミルジョージ(ミルリーフ系) 母父 ラークスパー(ナスルーラ系) 母 テイトヤシマ(種正牝系) |
成績 | 25戦12勝(うち地方競馬14戦9勝)[12-3-2-8] |
主な勝ち鞍 | 春秋グランプリ 天皇賞(春) 東京大賞典 東京王冠賞 東京湾カップ |
主な産駒 | イナリコンコルド(大井記念) ツキフクオー(東京王冠賞) |
(稲荷→キツネ→よく手でキツネポーズする、大井競馬場出身→江戸っ子という安直すぎるキャラ付け)(漫画シンデレラグレイだとやたらデカいし(ガタイが)ずっとキレている。なんで?)
唐突に現れたニューカマー、イナリワン。
祖父が凱旋門賞馬ミルリーフ、母父がイギリスダービー馬ラークスパー、母が下総御料牧場の基礎牝馬、種正の牝系というあまりにも由緒正しすぎる血統だったが、当時はミルジョージ産駒がダートでしか結果を出してなかったことも考慮してか、地方ダートでデビューとなった。
怪物に続け
1986年、大井競馬場でデビューしたイナリは初戦を圧勝。もちろん三冠を有力視された。三冠というのは中央のクラシック三冠ではなく、南関東の三冠である。
地方競馬は地区ごとに三冠レースがある。中でも大井、船橋、浦和、川崎所属の3歳馬が競う羽田盃、東京ダービー、東京王冠賞は猛者が集う大レースだった。
(前2レースは2024年に地方GIになる予定)
しかし、気性がべらんめぇイナリは2戦目の直前に頭を強打し大事を取って休養、獲得賞金などの関係で羽田盃と東京ダービーを断念せざるを得なくなる。強い馬ほど気性が荒い傾向にあるから仕方ない。
4ヶ月の休養を経て87年5月に復帰すると、出たレースは全勝。11月の最後の一冠、東京王冠賞では一番人気で楽勝ゴールイン。年末の重賞も勝ち、常勝無敗で1年を終える。
古馬になり迎えた88年、初戦で重馬場を経験すると初の敗北。
以降勝ちきれないレースと重馬場が続く。
(ウマ娘サポカで重馬場に燃えてるイナリのイラストもここから来ていると思われる)
南関時代の主戦、宮浦騎手曰く「馬格以上に跳びの大きい馬だから、下(砂)をキッチリ掴める馬場じゃないと能力が半減してしまう」という。
つまり身体の割にストライドがデカすぎてぐちょぐちょの馬場になるとしんどかったし、コーナーが急なコースも苦しい。
アストンマーチャンやグラスワンダーと真逆で、ゴルシに近いと理解して欲しい。
そんな彼のスランプ脱却のきっかけになったのが全日本サラブレッドカップ。『ウマ娘 シンデレラグレイ』82話でも取り上げられている。
笠松2500mで行われる長距離戦に挑んだイナリワンだったが、結果は惜しくも2着。跳びの大きさを看破され、地元のフェートノーザン(シングレではフェイスノーモア)に負かされてしまう。
それもそのはず、このフェートノーザンは翌年の帝王賞勝ち馬で、しかもジョッキーは笠松時代のオグリキャップの主戦。後にダイワスカーレットとキングカメハメハをGIへ導く天才騎手、安藤勝己だからだ。相手が悪かった。
東京大賞典
善戦を重ねるイナリを見ていた馬主は「芝コースの方が合うんじゃないか」と思い、年末の東京大賞典でもし勝てたら中央に移籍しようと提案した。
東京大賞典はウマ娘でもおなじみ年末のダート戦。当時は地方競馬に格付けは無かったためただの重賞扱いだったが、ダート重賞において有馬記念ばりに大事な1戦であったことは言うまでもない。
(なお、当時は3000mのレースだった。ウマ娘でイナリのマイル適正がBで長距離Aなのもこういう所から)
このレースも『シンデレラグレイ』にて再現されている。マルゼンスキーがこのレースを見に来ていたのは、マルゼン産駒アエロプラーヌ(シングレではロマンスバブリー)がレースに出るから。アエロプラーヌは破竹の勢いで8連勝し、東京王冠賞とダービーグランプリを勝利してここに来ていた。
当日は良馬場。息を殺すように手綱をぐっと抑えた宮浦騎手。アエロプラーヌは距離が長すぎたか失速。先んじて抜け出したアラナスモンタ(シングレではフユノナカスミ)との壮絶な叩き合いになった。
3着以下を7馬身突き放すほどの死闘の末、陣営の全力の想いが通じたのか、振り絞って半馬身差で勝利。無事中央に移籍となったのだ。
天皇賞(春)
…だが、移籍したら掛かりまくって全然走らなくなった。乗り替わった小島太騎手はサクラ軍団の主戦騎手だったが、どうも合わなかったらしい。(ルドルフの岡部騎手もレースを見て「この馬こんなに走らない馬なの?」と関係者に聞くほどだった)
さすがに陣営も見かねて騎手を変更。
天皇賞(春)には、先日の桜花賞でGI2勝目を挙げ、当時から掛かる馬の騎乗に定評があった新人騎手、武豊が乗ることになった。
その結果…
5馬身差でレコード勝ち。圧巻の走り。
これだけの力を見せたイナリワンも凄いが、当日テン乗り(初騎乗)でここまで巧いコース取りをさせる20歳新人騎手武豊は化物でしかない。
そして先述の通り、そのままの勢いで宝塚も勝利したのだった。
しかし武豊はスーパークリーク大好きマンだったため、秋からは復帰するクリークに専念。(こういう所もウマ娘のシナリオに反映されてる気がする…)
イナリはGI2勝を評価され、ミホシンザン主戦のベテラン、柴田政人騎手に乗り替わりとなる。
そして、宝塚5着だったのがこの馬。
孤高のスプリンター
バンブーメモリー
世代 | 1988 |
---|---|
血統 | 父 モーニングフローリック(エルバジェ系) 母父 モバリッズ(テューダーミンストレル系) |
成績 | 39戦8勝[8-7-5-19] |
主な勝ち鞍 | 安田記念 スプリンターズS スワンS 高松宮杯 |
主な産駒 | ヨシノメモリー(荒尾ダービー) ボナンザーメモリー(名古屋・中京盃) |
スーパー無名血統に生まれたバンブー。しかし予想を遥かに超える大活躍を見せる。
中央競馬の京都でデビューしたバンブーだったが、生まれつき蹄が弱く、しばらくはダートで走っていた。ちなみに主戦騎手は武豊。また武豊。バンブーだけに竹(武)ってコト…!?
しかし、4歳になった頃には蹄の調子もよくなる。3歳時に1戦だけ芝で走り、5馬身差で勝った経験から、武豊はバンブーメモリーを管理していた父・元騎手で現調教師の武邦彦に「こいつ芝でも相当強いよ」と助言。
芝を使えるようになってからは調子も上がり、陣営は安田記念に出走を決意。なんと先週のオープン戦から連闘で出走。
当日は武豊が京都で騎乗するためルドルフの岡部騎手に乗り替わるも、10番人気で1着。
この強烈な追い込みである。
宝塚記念では乗り替わりで5着に敗れるも、相当なポテンシャルを秘めた馬が現れたと話題になった。
陣営はこのままマイルCSも勝って、春秋マイル制覇を狙おうと奮起していた。
怪物再び
夏が過ぎ9月、オグリキャップがついに復帰した。GIIIオールカマーにて、堂々のレコード勝ち。
9ヶ月ぶりの復帰。
競馬を知らない人にさえ、その存在は伝播した。
このまま秋天へ向かうのかと思いきや、大食いオグリが本番までの期間で太る可能性を懸念した馬主が毎日王冠への出走を決断。復帰早々3連戦。過酷だ。
しかし、この毎日王冠でオグリはまたしても伝説を作る。
オールカマーから続けてオグリキャップに騎乗したのはタマモクロスの主戦、南井騎手(芦毛専門みたいになってる)。そしてイナリワンは柴田騎手。メジロアルダンには岡部騎手。
3強の戦いはこれ以上ないほど熾烈な接戦。デッドヒートの末、なんとか僅差でオグリが勝利を収める。
持ち前の勝負根性でゴール前わずかに前に出た。これがオグリの強さだ。
その戦いの裏、京都大賞典でクリークが復帰。しかもレコード勝ち。
秋天の出走権を確保すると共に、高速ステイヤーの健在をアピールした。
そしてついに、強者達が一同に会す。
三強対決の秋・第100回天皇賞
一度目の天皇賞(帝室御賞典)から五十年。毎年二回、東西で開かれた天皇賞も、ついに百回目を迎えた。
熱気に震える東京競馬場。今年は特別だった。
回数だけでなく、集まったメンバーもだ。
GII3勝の皐月賞馬ヤエノムテキに始まり、菊花賞馬スーパークリーク、ダービー2着馬メジロアルダン、春GI2勝のイナリワン、安田記念勝ち馬フレッシュボイス、今日で引退のレジェンドテイオーなど、昨年の有馬並の豪華さだった。
もちろん連戦の怪物オグリキャップは1番人気。昨年タマモに敗れた雪辱に燃えていた。
最後の一戦まで果敢に逃げてペースをつくるレジェンドテイオー。そしてそれについて行くのは、なんと大外枠ながら絶好のスタートを決めたクリークだった。
レース終盤、クリークはムテキやアルダンの仕掛けを待ってから追い出した。
クリークの強さはその真面目さ。近くに馬がいればしっかりと伸びてくれる。
だから、武豊はムテキとアルダンを“使った”。
彼らと馬体を併せたその伸びで、後ろからくる“宿敵”に挑もうとしたのだ。
対して、宿敵は苦戦を強いられていた。
ヤエノムテキが壁になりなかなか抜け出せない。
しかしひとたび進路が開くと、暴力的な加速でクリークに迫る。
最内を突いたアルダンと併せ、じわじわ伸びるクリーク。先頭に立って少し気を抜くも、もうゴールはすぐそこだった。
灰色の影は迫った。迫ったが、届かなかった。
1着スーパークリーク。
2着オグリキャップ。
3着メジロアルダン。
4着ヤエノムテキ。
さすがに展開の向き不向きはあったが、ステイヤーが中距離のレースを制するということは抜きん出た強さの証明。クリークと武豊の評価はうなぎ登りだった。
対して、悔しい思いをしたのはオグリキャップの関係者…ではなくオグリ本人(馬?)だった。ゴール後、オグリはしばらくクリークを睨み付けていたという。
さて、一方バンブーメモリーはマイルCS制覇に燃えていたが、ここで衝撃のニュースが入る。
なんと、オグリキャップがマイル戦線に参入するというのだ。バンブー陣営は大激怒。
秋天からマイルCSまでの期間は3週間も無い。3連戦に加え、日々の仕上げ調教の疲れを癒すには3週間では足りないのだ。
並の馬では。
しかし、なんとオグリはここでも勝ってしまう。届きそうもない距離から加速しバンブーメモリー武豊にハナ差で勝利をもぎ取ると、1週間後の戦いに備えた。
…何を言っているか分からないと思うが、オグリはマイルCSから1週間後のジャパンカップに出た。
3ヶ月で5試合消化した。
(ウマ娘育成シナリオ「Make a new track!」でも再現できないク○ローテ。この連戦に次ぐ連戦は馬主のいざこざが関係している。笠松→中央移籍で馬主が変わり、変わった馬主が脱税で捕まり、今度は数億円(一説には5億とか)で所有権を契約したという噂。要するに裏金の回収のためのク○ローテ。度々騎手の乗り替わりが発生するのもここら辺が深く関わっている)
考えてみてほしい。自分が陸上選手だったとして、3ヶ月で距離の違うレースに5連続で出るのだ。気が狂いそうになる。
正直オグリはもうクタクタだっただろう。
持ち前の負けず嫌いと勝負根性があるとはいえ、本気を出せないほど疲れていた。はずだった。
しかし、ジャパンカップ3日前のある日。転機が訪れる。
競馬場で飼葉を黙々と食べていたオグリキャップ。
オグリは大食いで有名で、飼葉桶に一度顔を突っ込んだら食べ終わるまで顔を出さずにひたすら食べ続ける馬だった。
しかし、そのオグリが生涯でたった一度だけ、食事中に顔を上げたのだ。
その目線の先には、ジャパンカップ出走予定のニュージーランド産芦毛牝馬、ホーリックス(シングレでは健康ランド師匠)の姿が。オグリは何も言わず彼女をじっと見つめ、見えなくなるとまた食事を再開したという。この一連の流れが2回あった。
これは…恋?
伝説の一戦
ジャパンカップ
そして迎えたジャパンカップ。秋天を超える驚異の布陣が集った。
マイルCSを根性で勝ち取ったオグリキャップ。
菊花賞、秋天覇者スーパークリーク。
春古馬二冠のイナリワン。
2年前の安田記念を制したフレッシュボイス。
打倒オグリで強行ローテを組んだバンブーメモリー。
地方競馬史上最強牝馬ロジータ。
凱旋門賞馬キャロルハウス。
前年のジャパンカップ覇者ペイザバトラー。
芝2400m世界レコード保持者ホークスター。
GI含め4連勝中の英国馬イブンベイ。
その他海外勢は皆GI勝者。
中でもジャパンカップと同じ芝2400mの世界記録を持つホークスターは最有力とされた。タイムは2:22:8。
ちなみに、当時の2400m日本レコードは2:24:9。
それもJCで外国馬が出した記録だ。勝つのは到底無理だろうと思われた。
そしてゲートは開く。
開始数秒で今までのレースと速さが全然違うのがお分かり頂けただろうか。これが世界だ。
先頭で逃げたイブンベイは1800mの通過タイムが日本レコードを超えていた。そして2000m時点で1:58:0。これを日本馬で超えた経験があるのは、引退済のサッカーボーイただ一頭のみだった。
息もつかないハイペースな展開。置いて行かれたら負け。しかしオグリとクリークは食らいつく。
最終直線で抜きん出た馬が勝つ。この早さでなお馬達は脚を使う。真っ先に先頭に躍り出たのはホーリックス。もう既に2馬身程の差はあった。この速さで2馬身は致命的だ。
しかし、加速したのはオグリキャップ。意地でも食らいつく。既に日本最速。既に世界最速。それでもついて行こうとした。
根性なのか恋なのか。あと100mあれば追い越せていたと思わせる末脚で2頭並んでゴールイン。
勝ち時計は2:22:2。
世界記録を0.8秒、日本記録を2.7秒更新した。
ちなみに最下位になったロジータでも2:26:9。
ロジータは当時3歳牝馬。オークスのレコードより2秒以上速かった。
オグリはクビ差2位入線にこそなったものの、ゴールタイムはホーリックスと同じ。つまりオグリは実質世界レコード保持者となったのだ。
有馬記念
そうなったらもちろん有馬記念にも出ることになる。馬主が馬主だ。
さすがに世界レコードで2400mを走破してから1ヶ月で2500走らされるのはしんどい。それでも、ファンはオグリVSクリークの二強対決に期待していた。
だいたい秋の天皇賞と似たようなメンバーで開始した有馬記念。
オグリとクリークが積極的に前の位置を取りに行ったのを見て、他の馬もじわじわと動き始める。
2頭が前にいるのに、後ろにいても届くはずがない。
だって、あの2頭は絶対に沈まないのだから。
例年、有馬記念は消耗戦になる。
どの馬も秋競馬を転戦して疲弊しており、抜群の状態で戦える馬はほとんどいない。
限られた体力でどこまでやれるかが勝負の鍵。
クリークも手応えが怪しいが、豊は信じて追い続けることにした。なぜなら、斜め前のオグリがクリークよりも苦しそうに走っていたからだ。
中山の直線、馬群を抜け出し先頭に立ったクリーク。
もう勝ちは見えた。その時。
紫電一閃。
先頭に立つと気を抜く癖があるクリーク。このレースでもそれが悪い方向に出た。
外から影が迫った瞬間、武豊は思ったという。「またオグリか」と。
しかし、抜けてきたのはまさかの伏兵だった。
乗り替わりから連敗が続いていたイナリ。
騎乗技術に定評があった鞍上・柴田政人は、ここにきて遂に彼を手中に収めた。
1着はイナリワン。
ルドルフの叩き出したレコードを1.1秒更新してゴールイン。
何がやばいって大外8枠15番からスタートでこれ。
有馬記念はスタート直後にコーナーなので外枠であればあるほど超不利。
15番で有馬を勝てた馬はイナリワンしかいないし、大外16番で有馬を勝てた馬はいない。
つまり、イナリワンは史上最も外の枠から有馬記念を制した馬ということ。
オグリのせいで霞んでいるがこの馬も相当な化け物である。
天皇賞(秋)、マイルCS、有馬記念。
それぞれがタイトルを獲得した秋。
平成三強の時代だった。
しかし、連戦連勝で来ていたオグリキャップは、ここにきて5着に沈んだ。生涯初の馬券外だった。
大きな希望と影を落として有馬記念は終幕。
そして競馬史上最高の時代、1990年代を迎える。
光と影
1990年、春。
クリークと武豊の春は、大阪杯から始まった。
3コーナーで馬なりのまま先頭に立ったクリーク。有馬のような負け方を避けるため、オサイチジョージに詰め寄られてもギリギリまで我慢して追い出し、着差以上の快勝を見せた。
2000mでも戦えるその強さを研ぎ澄まし、向かった先は春の盾。
天皇賞(春)
オグリは距離適性からここを回避。昨年の年度代表馬となったイナリも6頭立ての阪神大賞典を5着からの参戦となっていたため、スーパークリークが単勝1.5倍の圧倒的1番人気に支持された。
が、ゲートを出負けした上に行き足がつかず、最後方からのスタートとなってしまう。
並の若手ならここで焦るが、冷静に勝ちに行けるのが武豊。コーナリングで差を詰め、中盤に差し掛かる頃にはもう前に取り付いていた。
2000mでも強いから忘れられがちだが、クリークの強みはスタミナにある。3200で多少脚を使っても、終盤にもうひと伸びできる。
不気味にクリークをマークしていたイナリワンが最後まで懸命に詰め寄るも、粘りに粘ってゴールイン。
1着、スーパークリーク。GI3勝目。天皇賞秋春連覇達成。
そして鞍上の武豊は天皇賞三連覇。初挑戦から数えて三連覇だ。狂ってる。
しかも彼は93年春まで9戦連続で3位以内に入線。5位以内入線は騎乗しなかった時を除くと95年春まで続いた。
これが「平成の盾男」と呼ばれる所以だ。
もう国内で勝ちたいレースは勝てたスーパークリークは、新しい目標を海外に定めた。
欧州の最高峰、凱旋門賞へ。
安田記念
それに負けられないと気を吐いたのがオグリキャップ。
笠松時代は安藤勝己(ダスカ主戦)、ジャパンカップまでは河内洋(ラモーヌ主戦)、有馬は岡部幸雄(ルドルフ主戦)、それ以降は南井克巳(タマモ主戦)と来ていたが、ここに来てまた乗り替わりとなった。
オグリキャップの背には、武豊がいた。
ヤエノムテキがいた。バンブーメモリーがいた。大阪杯でクリークに迫ったオサイチジョージもいた。それでも、相手にならなかった。
あっさりと後続を引き離すばかりで、いとも容易くGI3勝。クリーク、イナリ、タマモに並んだ。
クリーク同様、勝負付けが済んだオグリは海外を目指した。
北米芝レース、夏の最高峰。
アーリントンミリオンへ。
宝塚記念
海外遠征。それは立ちはだかる大きな壁。
スピードシンボリ、タケシバオー、メジロムサシ、シンボリルドルフ、ギャロップダイナ。
世代の強豪が遠征し、何も得られなかった。
そして何より、遠征までの調整が障壁となる。
スーパークリークの脚部不安は年々酷くなってきており、大事をとって宝塚記念を回避。秋も国内専念となった。
オグリキャップVSイナリワンの宝塚記念。
阪神大賞典で62kgと過酷な斤量を背負い大敗したイナリは春天で完全復活を遂げたが、調整ミスで10kgの馬体重減。
オグリの背中には武も南井もいない。武と同期の岡潤一郎騎手が手綱を握った。
波乱の一戦は唐突に。
荒れた馬場で行われるこのレースは、後方からの差しは届きにくい。それも加味してオグリは4番手から先行策。
最後の直線に差し掛かるところを馬なりで上がってきて、粘るオサイチジョージを射程圏内に入れるオグリ。後方から追い上げるイナリ。オグリと共に上がってきたヤエノ。ここまではだいたい想定内。異変は次の瞬間だった。
オグリが、いつもの伸びを見せない。
岡騎手は左の手綱を懸命に引っ張り、何度も右ムチを入れた。それでもオグリは伸びない。
伏兵オサイチジョージが、オグリに3馬身半差を付けて逃げ切った。
オグリの弱点
なんでもないレースでオグリが負けるのは久々なこと。だが、敗因は明確だった。
オグリは、「手前」を替えられなかった。
「手前」はフィギュアスケートでいうジャンプの軸足、チャリを立ち漕ぎする時に踏み込む足のようなもの。
(「競馬 手前」で画像検索して上の方の記事や動画を見ると分かりやすい)
馬にも踏み込む脚が存在し、オグリは「右手前」を好んでいた。
右手前の場合だと左後脚が地を踏み込むメインの脚となる。コーナリングの時に左後脚から踏み込むともちろん右に飛ぶので、東京競馬場のような左回りの競馬場では外に膨れてしまう。
『シンデレラグレイ』87話でメジロアルダンが指摘していたオグリの“癖”はここから来ている。ほとんどのレースで右手前。手前変換が苦手だったのだろう。
ずっと同じ脚で踏み込んでいると疲れが来るため、最後のスパートでは騎手が手前を替えさせる。しかし、それが上手く出来ない馬もいる。
オグリは疲れが枷になり、ただでさえ荒れた6月の仁川の芝を強く蹴る事ができず、2着に敗れたのだ。(それでも2着)
(優秀な馬は騎手の指示で自在に手前を替えるが、馬も生き物だ。今の調教技術をもってしても、手前替えや利き手前じゃない方の手前が苦手な馬はいる。 2021年有馬記念ではエフフォーリアが終盤ずっと右手前で走り通していたし、22年大阪杯、宝塚記念では左手前に替えた時の反応の鈍さが仇になり大失速している。逆にライバルのシャフリヤールは直線で気を抜いて手前を替える癖がある。22年ジャパンカップとかがそう。)
代償
課題が浮き彫りになったオグリに襲いかかったのは、それだけではなかった。
宝塚記念でイナリワンは球節を痛め、最終的に引退。スーパークリークも京都大賞典連覇の後に繋靱帯炎を発症、引退。
最大のライバルが、いなくなってしまった。
「平成三強時代の終焉」である。
激走の代償は、あまりにも重いものだった。
天皇賞(秋)
今まで頑健だったイナリが脚の不調を伴うほど、熾烈な戦いだった春のGI戦線。もちろんオグリも例外ではなかった。
「衰え」。まだ5歳馬とはいえ、既に30戦近くを走り抜いてきたオグリにはもう余力が残されていなかった。
だが、世代交代の波はまだ訪れなかった。
オグリにはまだ、ライバルがいた。
この日、ヤエノムテキは絶好調で馬場入りした。調教もびっしり追って仕上げ抜群。
岡部騎手がメジロアルダンとの二択でヤエノに騎乗することを選ぶくらいには上々だった。
府中2000で皐月を制したその脚は、秋の盾でも輝く。最内にぽっかり空いた進路をロス無く突き、後は仕上げの良さを活かして粘り込みを図るのみ。
最後の最後に外からきた馬に追い詰められたが…
1着、ヤエノムテキ。
2着、メジロアルダン。
3着、バンブーメモリー。
上がり最速でヤエノに迫ったのは、オグリではなくメジロアルダンだった。
安田記念でヤエノムテキを完封したあの脚はもう、見る影もなくなっていた。
ジャパンカップ
オグリの衰えはあっという間に訪れた。
というより、体調が優れぬ中で走らされ続けていた。
調教から格下相手に先着され、天皇賞でも乗り替わった増沢騎手との相性が悪かったのか凡走。
本来なら休養も待ったなしの体調の中、オグリは走っていた。もうボロボロだった。
ジャパンカップはヤエノムテキが6着、ダービー3着の3歳馬ホワイトストーンが4着。
ダイナアクトレスの87年ジャパンカップと同じ。日本勢が海外馬に蹂躙される展開。
万全の状態なら勝ててもおかしくなかった。
しかし、オグリは11着。生涯初の2桁着順。
走破タイムは2:24:1。去年より2秒も遅かった。
もうオグリは終わった。そう思われていた。
ありがとう
オグリキャップの引退レースは有馬記念に決まった。
鞍上は武豊。スーパークリークが引退したので騎乗を決意した。
誰もが「オグリは終わった」と口にする中、豊だけは一縷の望みを抱いていた。
「オグリを左手前で走らせることができれば」
1988年の有馬記念、オグリはタマモに抜かされそうになった時、わずか100mの間ではあるが左手前で粘り切った。今は王者不在。その粘りがあれば希望を持てるのではないか。
調教からオグリに跨った豊は、何度も何度も入念に左手前の稽古をした。
しかし、手前替えが苦手なオグリ。何度教えようとしても、左手前では走ってくれなかった。
望みは潰えたかに思われた。
有馬記念
年の瀬の中山。約18万人の観衆が、オグリの最後を見守った。
オグリと同じくここで引退の天皇賞馬ヤエノムテキ、JC4着となった芦毛の新星ホワイトストーン、オサイチジョージ、ランニングフリーなどが集まったが、中でも注目されたのがメジロ牧場の2頭。
この頃のメジロ牧場にはアルダン、ライアン、マックイーンと役者が3頭も揃っていた。
しかし、マックイーンの菊花賞までのローテが過酷すぎたことと、「ライアンに有馬記念を勝たせてやりたい」という陣営の思いから、メジロアルダンとメジロライアンの2頭のみが有馬に出走した。
発走前に大事件が起こった。
オグリと共にこのレースで引退を予定していたヤエノムテキがゲート入りを嫌がって暴れ散らかし、放馬したのだ。(ウマ娘ではデフォルメされているが、タマモクロス、ヤエノムテキ、セイウンスカイの3頭は中々に気性が荒い)
暴走後はひと仕事終えたかのような涼しげな顔でゲートに入るヤエノ。
馬体検査などもあったため、この間に気性の荒い馬は相当に入れ込み、体力が削られ始めてきていた。
一方、オグリは落ち着いていた。
オグリにはあるルーティーンがあった。
ゲートに入る前に武者震いをすることだ。
晩年のオグリはあまりこの仕草を見せず、どこか全盛期と違う表情をしていた。
有馬記念当日、そんなオグリキャップに発破をかける武豊。
スーパークリークで、バンブーメモリーで、何度もその強さを思い知らされてきた彼だからこそ、かけられる言葉があった。
おいお前!自分を誰やと思ってんねん!オグリキャップやぞ!!
武豊
そう言いながら首筋を叩いた、その瞬間。
失われた闘志が息を吹き返したのだった。
競馬の世界は、ドラマでも見ないようなありえない奇跡が起こる。それも、何度も何度も。
久方ぶりの武者震いを済ませ、ゲートに入るオグリ。
パドックで手綱を引いていた厩務員は、いつもは感じない力強さを感じ、奇跡を予感したという。
当時の雰囲気を感じながら、オグリの最後を観て頂きたい。
レースはスローペースで流れる根比べ勝負。
掛かったら負け、落ちても負け。先行策有利の展開。89世代は敵ではない。
まるでオグリのためのお膳立てのようだった。
2周目の3コーナーを抜けると、オグリは自分から加速していったという。まるでこれが最後だと分かっていたかのように。
沈み込むように、馬の走りが変わった。
「勝てるかもしれない」
そう思った瞬間を、武豊は今でも鮮明に覚えているという。
誰もが終わったと思っていた。勝てないと思っていた。それでもオグリは戦った。
最後の直線の大歓声。3歳世代の雄、ホワイトストーンとメジロライアンがオグリの呑みこまんと襲いかかった。豊は手綱を動かし、オグリを観客の方へ向けた。その時。
オグリは“左手前で”スパートに入った。
騎手の扶助が上手かったか、調教の努力が身を結んだか、大歓声があの日の有馬記念を思い出させたかは知る由もない。
だが、伝説の名馬は皆、自分の置かれた立場や競馬が分かった上で走っていたという。オグリも例外ではなかったのだろう。
神はいる。きっと誰もがそう思った。
メジロライアンを振り切り、1着でゴールイン。
振り絞って掴み取った、根性の栄冠。
最後の最後で苦手を克服し、衰えに打ち克った。
オグリキャップらしい、素晴らしいラストランだった。
18万人のオグリコール。最上のドラマ。感動の一戦。
かくして芦毛の怪物は神話となった。
オグリの強さ
武豊は、とある番組で平成三強それぞれの印象を聞かれた時、こう答えた。
イナリワンは「怖い」(気性的な意味で)。
スーパークリークは「大人しくてとても乗りやすい」。
オグリキャップは「何考えてるのか分からないところがあって、嫌いです」と。
このコメントきっかけで武豊アンチが増えたことはよく知られているし、これはウマ娘オグリの史実をまとめた記事でもよく引用されている。
しかし、これは1990年の「笑っていいとも」でのコメント。もちろん冗談混じり。しかもオグリに乗る前の感想だ。
クリークが好きすぎてオグリを敵対視していたのか、関西人特有の「多少反感買ってもいいから話にオチを付けたい気持ち」が災いしたかは別として、本気と取らなくていい発言だろう。
では、今はどう思っているのだろうか。
イナリワンは調教で武豊でも止められないくらい暴走していたらしいので、今も昔も怖かった事に変わりは無いだろう。
クリークに関しては「あの馬がいたから今の僕がある」と語っている。
初めてのGI制覇の味だけでなく、レースの乗り方を教えてくれた馬。彼にとってクリークは、ディープインパクトやサイレンススズカ、スペシャルウィークらと並び、思い入れのある一頭なのだ。
クリークで凱旋門賞へ行けなかった事は今でも心残りらしい。
そして、オグリキャップは「最も乗りやすかった馬。あんなに賢い馬はいない」と。
これは53歳の武豊の発言だ。キズナ、キタサンブラック、ドウデュースなど賢そうな馬に何度も乗ってきた武豊が「断然オグリキャップ」と言うのだ。
だからこそ、オグリは記憶だけでなく記録を残し、強いまま引退する事ができたのだろう。
オグリはスピードシンボリ、シンボリルドルフ以来の有馬記念2勝馬、スピードシンボリに並ぶ中央重賞12勝馬となった。どちらも未だに破られていない大記録である。
生涯獲得賞金は9億円を超え、当時の最高記録となった。
最強神話は競馬界だけでなく日本全土に広がり、オグリ効果で増えた競馬ファンが、騎手が、馬主が、何もかもがこれから生まれる名勝負の布石となった。
第1次競馬ブームはハイセイコー引退と共に下火となり、そのまま緩やかに下降していった。
だが、オグリが着火剤となった第2次競馬ブームの後には、日本競馬の黄金期が待っていた。
1991年、オグリの穴を埋めるように、稀代の名馬がターフを駆ける。
芦毛伝説は、まだ終わらない。
あとがき
めちゃくちゃ長いオグリ編最終章になりました。
シンデレラグレイ期は終わり、アニメ2期時代が始まります。忙しい。
長いような短いような、6回で7年進みました。このまま行くと2021は#30くらいかな…(ガバ計算)
さて、次回はアニメでおなじみの名タレントばかりの91年。ここからオペラオーまでが全盛期すぎて休まる暇がねえ。
情報量が多くなりますが読みやすさを心がけて書いていきます。
今後ともよろしく頼むぞ、トレーナー!
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