ウマ娘で学ぶ競馬史 #06 受け継いだ意志 (1990〜91)

※本記事は2021年5月3日にnoteに投稿した同名の記事を再編集したものです

みなさん、ウマ娘やってます?
先日カレンチャンを引き当てて歓喜していた僕ですが、その後すぐに友人も当ててきて真顔になりました。

5000円課金して出なかったミホノブも別の友人に秒で当てられてしまった…俺もガンダムSEEDみたいなスキル使いてぇよ…

ってことで今日は筆者が5000円ぶち込んでルマンドの代わりに手に入れたマックイーン回です。

追記:この記事公開から約2年経ってもまだブルボン引けてないですわ。結局デイリーレジェンドレースで解放しましたわ。憤死ですわ。

それでは参りましょう。

この時代を描いたウマ娘作品

・アニメ『ウマ娘 プリティーダービー Season2』1話〜2話

・アプリ『ウマ娘』メインストーリー第1章 4話〜14話

↓前回

前回までのあらすじ

1989年
  • 1月〜
    オグリ&クリーク、春全休

    前年の秋GIを盛り上げたオグリキャップとスーパークリークが、共に脚部に異常を来したため長期休養。古馬王道距離のGI馬が不在の春となった。

  • 2月〜6月
    大井の怪物、中央へ殴り込み

    東京大賞典を制覇し大井競馬から中央に移籍したイナリワンが、いきなり春の古馬二冠を制覇し話題となった。

  • 4月〜10月
    最弱世代?

    89世代の3歳戦は大混戦となっただけでなく、ダービー馬、菊花賞1、2着馬、桜花賞1、2着馬が故障で引退。ダービー2着馬、オークス馬、エリ女馬が古馬で全敗と散々な成績を残してしまった。

  • 10月
    長期休養明け同士の叩き合い

    天皇賞(秋)は長期休養から復帰したスーパークリークとオグリキャップが1着2着。3着も長期休養経験があるメジロアルダンで、レース後に屈腱炎を発症した。

  • 11月
    オグリ、地獄の連闘

    オールカマー、毎日王冠、天皇賞(秋)と既に秋3戦していたオグリキャップは、中2週でマイルCSからジャパンCを連戦。約1ヶ月でGIを3戦した。

  • 12月
    年度代表馬はイナリワン

    有馬記念を制覇し、GIを3勝したイナリワンが年度代表馬となった。

1990年(古馬)
  • 4月
    天皇賞秋春連覇

    天皇賞(春)はスーパークリークが勝利。GI3勝目で天皇賞秋春連覇達成となった。

  • 6月
    秋春マイルGI連勝

    安田記念はオグリキャップが勝利。GI3勝目でマイルGI秋春連覇。これで平成三強の3頭はともにGI3勝となった。

  • 6月
    最弱世代の伏兵が春の大一番を制す

    宝塚記念を制したのは89世代のオサイチジョージだった。オグリキャップ、ヤエノムテキ、イナリワンは伸びを欠き、伏兵の逃げ切りが決まった。

  • 11月
    オグリ、まさかの連敗

    イナリワン、スーパークリークが故障引退し、オグリの時代が来るかと思いきや、まさかの大敗続き。ジャパンカップは生涯初の2桁着順に終わった。

  • 11月
    バンブーメモリー、2年連続マイルCS2着

    平成三強の裏でマイラーとして非凡な活躍を見せていたバンブーメモリーだが、オグリ不在のマイルCSでも伏兵パッシングショットの豪脚に屈してしまう。

  • 12月
    GI・スプリンターズステークス

    この年からついにスプリンターズSがGIとなり、短距離馬の市場が拡大された。記念すべき初年度の覇者はバンブーメモリー。初の短距離二階級王者となった。

  • 12月
    感動のラストラン

    引退を控えたオグリキャップが、有馬記念で感動の復活勝利を遂げた。勝利に導いた武豊は「このレースをオグリと一緒に戦えただけで、今年は最高の年でした」と語った。

↑に書いてるけど紹介し切れてない短距離路線は9.5話にてまとめる予定。
そしていきなりですが、今回の時系列はオグリの地獄の連闘直後の1990年春に戻ります。よろしくお願いします。

1990クラシック・集う精鋭たち

3ヶ月半で6戦。オグリの地獄のローテは叩かれたものの、生み出したのは悪い影響だけでは無かった。

オグリキャップという凄い馬がいることは既に世間に認知されていた。「どんな馬か見てみたい!」と思ったら、週末テレビ付けたらだいたい走ってたのがオグリだ。

ファンは増えるし、オグリファンから競馬ファンが増える。更にこの頃には武豊も人気になり、バラエティ番組にも出演し話題に。アイドル的人気だったし、女性競馬ファンも増加。
競馬は国民的な娯楽になろうとしていた。


華々しいオグリブームの裏で、89年のクラシック馬達は皆古馬に淘汰された。強い馬が一頭も出てこない、「最弱世代」とすら云われる世代だった。

その反動か、90年組は名馬が揃った。

牝馬クラシックには、後の時代に名を残す名牝がいた。

血のドラマ

ルドルフやオグリなど、弊シリーズでは既に多数の「顕彰馬」(殿堂入り)を紹介してきたが、馬と同様、騎手にも「顕彰者」はいる。

野平祐二(スピードシンボリ)、福永洋一(エリモジョージ)、保田隆芳(ハクチカラ)、岡部幸雄(シンボリルドルフ、タイキシャトル)、河内洋(アグネスタキオン、メジロラモーヌ)、郷原洋行(ニッポーテイオー)、柴田政人(ウイニングチケット)。現状はこの7名だ。(いずれも敬称略)

(武豊(ディープ、キタサン)、横山典弘(セイウンスカイ、ホクトベガ)、福永祐一(コントレイル、シーザリオ)、蛯名正義(エルコン、アパパネ)も基準を満たしている。そのうち加わるはず。)

長く競馬の世界に身を投じていると、「自分の乗った馬の子で勝つ」というケースがよくある。
野平祐二氏は調教師としてスピードシンボリの孫にあたるシンボリルドルフを管理したし、福永騎手はシーザリオとエピファネイアでクラシック親子制覇。武騎手に至ってはディープとキズナでダービーを親子制覇した。

これらと比較しても、河内洋騎手は数奇な騎手人生を歩んでいた。


はじまりは1979年。TTG全盛期から少し過ぎ、クラシックがハイセイコー産駒カツラノハイセイコの大活躍で沸いていた頃。

24歳の河内騎手はアグネスレディーという馬に乗り、オークスを制覇。嬉しい八大競走初制覇となった。

その後河内騎手はあれよあれよという間にトップに上り詰める。同年の菊花賞を制覇し、カツラノハイセイコで天皇賞まで制覇。ヒカリデュール、ニホンピロウイナー、メジロラモーヌ、オグリキャップ(GIは未勝利)、サッカーボーイと名馬に立て続けに巡り会った。

そしてオークスから10年後の89年。34歳となった河内騎手に、サプライズが待っていた。芝1200m2歳新馬戦で10馬身差圧勝する牝馬と巡り会ってしまったのだ。

その馬は2戦目も楽々逃げ切り、エルフィンS、チューリップ賞と控える競馬をしても簡単に順応してみせた。

桜花賞

無敗で迎えるGI。もちろん1番人気。そんな馬が繰り出した作戦は、想像以上にシンプルなものだった。

豪快に大外一気。完膚なきまでに力の違いを見せ付けた、その馬の名は…

春の女王

アグネスフローラ

世代1990
血統父 ロイヤルスキー(ボールドルーラー系) 母父 リマンド(ブランドフォード系)
母 アグネスレディー(オークス馬)
成績6戦5勝[5-1-0-0]
主な勝ち鞍桜花賞
主な産駒アグネスタキオン(皐月賞) アグネスフライト(日本ダービー)
主な子孫牝系子孫:ブレイキングドーン(ラジオNIKKEI賞)
ダイワスカーレット(牝馬二冠) ディープスカイ(変則二冠) レーヴディソール(阪神JF)
ノンコノユメ(フェブラリーS) ニシノデイジー(中山大障害) アルクトス(南部杯連覇)

もうお分かり頂けただろう。
河内洋の騎手人生は、アグネスレディーに始まり、アグネスタキオンに終わる。
突き詰めれば、1頭の牝馬が、1人の男の人生をつくったのだ。

競馬はドラマ。あながち間違いでは無いのかもしれない。

オークス

無敗の桜花賞馬に待っていたのは、ある種の「血の宿命」とも言うべきものだった。

母アグネスレディーは不良馬場の宝塚記念で生涯唯一の大敗を経験しているほどに悪い馬場が苦手。

その産駒が重馬場の桜花賞を勝ち切った。しかも父の血統的に2000mまでの馬。オークスは厳しかった。

フローラは2着。そして左前脚の骨折が判明した。疲労が溜まっていたのだろう。その後も色々あって引退し、GI馬二頭の母になった。

後に彼女の代表産駒が無敗で勝ち上がった後、二冠目を獲れず引退した所も、血の宿命だったのかもしれない。


フローラをかわしオークスを制覇したのは、サラブレッド国内長寿記録13位のエイシンサニー。この世代の馬ながら2021年まで生きていたというんだから驚きだ。ちなみに記録はつい最近ナイスネイチャに抜かされたばかり。34年半生きた。(ネイチャさんのママは36年生きてる)

実況の通り、このオークスにはダイイチルビーやイクノディクタスも出走していたが、どちらも本格化にはまだまだ時間を要した。

一方、牡馬クラシックは牝馬以上の盛り上がりを見せていた。世代の注目株はこの馬。

雄々しき実力者

メジロライアン

メジロライアン(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=mejiroryan
世代1990
血統父 アンバーシャダイ(ノーザンテースト系) 母父 メジロサンマン(プリンスローズ系)
半姉 メジロフルマー(日経賞)
成績19戦7勝[7-4-3-5]
主な勝ち鞍宝塚記念 日経賞 京都新聞杯 弥生賞
主な産駒メジロドーベル(牝馬二冠) メジロブライト(天皇賞春)
母父としての産駒ムーンエクスプレス(フィリーズレビュー) スズカプレスト(京都ハイジャンプ)
主な子孫ショウナンラグーン(青葉賞) ホウオウイクセル(フラワーC)

(すっかり筋トレ狂のイメージが付いたけど、名前の由来は野球選手からです)

この年、最も期待されていた馬がメジロライアンだった。ラモーヌ、アルダンに続くメジロ牧場伝家の宝刀。こと中長距離においては彼に比肩する者はいないと思えるほどの出来だった。

騎手は後にサクラローレルやセイウンスカイに騎乗する新人、横山典弘。武豊がスーパークリークのおかげで成長できたように、ノリさんにはライアンが最強の相棒だった。

3歳直前で本格化すると以降は連戦連勝。弥生賞に駒を進めた。


もう一頭、この世代には強い馬がいた。
アイネスフウジンという馬だった。

乗ることになるのは、引退を決意しかけていた中野栄治騎手。
そんな彼に「お前、ダービー獲りたいだろ?」と声をかけたのが加藤修甫調教師だった。

朝日杯

中野騎手がアイネスに抱いたイメージは、「前輪のパンクした自転車」のようなものだった。
トモの仕上がりは抜群で、推進力も凄まじい。でも前脚の方がそれに追い付いておらずガタガタ。
成長を待つしか無かったが、現状でも戦えると確信できるほどの能力があった。

頑張りすぎてしまう馬のため、調教であまり負荷をかけすぎないよう無理をさせず、3戦目で未勝利戦を勝ち上がり。
4戦目がGI朝日杯
鞍上たっての希望での出走だった。

牝馬サクラサエズリが果敢に逃げるが、それを徹底マークし、捉えた。

1000m通過タイムが57秒を切る超ハイペースの消耗戦となったレースを、2馬身半突き放して勝利。
1:34.4。伝説のスーパーカー、マルゼンスキーの不滅のレコードタイムに13年越しに並ぶ激走

年々高速化が進む競馬において13年も記録に並ばれないマルゼンおかしいだろとは思うが、アイネスはようやく追い付いた。

それも身体の前後のバランスが非常に悪い中での走り。今後に期待が持てる内容だった。


皐月賞トライアルの弥生賞ではその年の注目馬が大体出揃ったが、ライアンは全員を蹴散らし勝利。
アイネスフウジンは4着に敗れた。

とはいえ不良馬場での開催。
ライアンとフウジンの二強の構図は崩れなかった。

皐月賞

フウジンが僅差の1番人気でスタートした皐月。スタートと同時に、ヨレてしまって他馬とぶつかってしまう。この不利が大きく響いた。

最後の直線で粘りに粘るも、外から差されて2着。
メジロライアンは直線のコース取りで度重なる不利を受け、3着になってしまった。

1着はハイセイコー産駒の芦毛馬、ハクタイセイ。輸送に弱い馬なため、きさらぎ賞(阪神開催)から弥生賞を挟まず直行したことによって、不良馬場で走らず体力を温存できたことが大きかった。

ゴルシ調教師の須貝尚介氏(当時は痩せてた)の馬だったが、皐月を前にタマモとオグリでおなじみ南井克巳騎手に乗り替わり。やはり芦毛専門家みたいになってる。

(父ハイセイコーについてはこちらの記事をどうぞ)

フウジンは中野騎手の騎乗が批判された。「中野を降ろせ」という声も上がったが、加藤師は「負けたのはお前のせいじゃない、次は勝とう」と優しく声をかけた。深い信頼関係があった。

ここからの陣営は本気だった。加藤師はこれ以上ないほどアイネスを仕上げにかかった。

鞍上、中野栄治は中堅36歳。少し前に起こした交通事故の影響で、信頼は地に落ちていた。それでも拾ってくれたアイネス陣営。期待を裏切れない。

ウマ娘でやるとただのGIの日本ダービーだが、馬は一生に一度しか出られない。騎手も何度出られるか分からない。一世一代の大舞台だ。

万雷の日本ダービー

オグリキャップ効果で競馬人気が増していた時代。
日本ダービー当日、超満員の東京競馬場には20万人近い観客が集まっていた。

ここでも1番人気はメジロライアン。
前走は明らかな不利による敗北。多くの競馬ファンは「次は勝てるだろう」と読んだ。

しかし、彼より執念に燃える存在が一頭いた。

アイネスは3番人気。馬ではなく騎手の差で人気を落としたのは明らかだった。

「武豊が何だ、横山がどうした。俺は、ヤツらが幼稚園に行ってる頃からダービーを見て、馬にまたがっていたんだ。」

下馬評には目もくれず、アイネスと中野は風神となる。

この馬の持ち味はスピードとスタミナ。末脚のキレは皆無。相手を引き離して逃げ、脚を使わせることが唯一の勝ち筋だった。

首を下げた独特のフォームで加速し、追い付かれるか追い付かれないかの距離感を保ちながらハイスピードで逃げを打つ。
距離感が変わっていないことから、後ろの騎手達は加速していることに気付かない。

最後の直線に入る頃には並の馬は崩れてきた。
追いかけるハクタイセイもズルズルと下がっていく。

先頭から殿までかなり距離が伸び、追い込み勢は届きそうもない。

焦るライアンと横山。抜群の末脚で先頭に迫る。
負けるものかとアイネス。意地のもうひと伸びを見せる。

時計は2:25:3。サクラチヨノオーのダービーレコードを1秒更新する世紀の大激走。

つけた1 1/4馬身差は、執念の重さ。
最後に笑ったのは、アイネスと中野だった。

風神

アイネスフウジン

アイネスフウジン(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=inesfujin
世代1990
血統父 シーホーク(エルバジェ系) 母父 テスコボーイ(ナスルーラ系)
成績8戦4勝[4-3-0-1]
主な勝ち鞍日本ダービー 朝日杯 共同通信杯
主な産駒ファストフレンドは届かにゃい(東京大賞典)
母父としての産駒フォーティファイド(大井記念)

(声優さん変わったのめちゃくちゃショック)


東京競馬場に、強い風が吹いた。
一瞬のざわめきの後、湧き上がる歓声。
賭けに負けた者も、勝った者も、皆勝者を称えた。

激走の後のアイネスは消耗しきっており、走ることすらできなくなっていた。
よろよろでウィナーズサークルに向かうまでの間に、誰かが言い出した「ナカノ!ナカノ!」のコール。
小さな声はやがて場内に伝播し、20万人の大歓声へと変わった。
日本競馬史上初めての出来事だった。

万雷のナカノコールに包まれる府中を見渡し、今までの人生を噛み締めるかのように、中野騎手は小さく、こう呟いた。

「ざまあみろ、この俺だってジョッキーだ!!」と。

罵詈雑言と外れ馬券と煙草の煙が舞う鉄火場だった府中に、人馬を讃える20万人の歓声がこだまする。

「こういうシーンは見たことがないですねえ。競馬というスポーツが大衆に認められたということでしょう」

「競馬の神様」と呼ばれた解説者、大川慶次郎はそう言った。

日本競馬がギャンブルからスポーツに変わったのは、競馬がスポーツとして認知されるようになったのは、紛れもなくこの瞬間からだった。


アイネスフウジンは屈腱炎を発症したため、ダービーを最後に引退してしまった。風神はターフの上で風塵となり、やがて東京競馬場に息づく不朽の伝説となった。

14年後、2004年の4月に息を引き取ったフウジン。
その1ヶ月後、堰を切ったようにキングカメハメハがダービーレコードを更新し、伝説は静かに幕を下ろした。

アイネス引退後は様々な不運が連続し、悲惨な事にはなってしまったものの(各自調べてほしい。ウマ娘アイネスが働き詰めなのもこれが理由)、アイネスフウジンと中野栄治の名前は競馬ファンにとって忘れられないものとなった。

終わらない熱狂

80年代後半。
2頭の芦毛が伝説をつくった。

芦毛の馬は走らない。
そんなジンクスはデータ不足に過ぎない。

最強の2頭が鹿毛も栗毛も超えて、全ての馬の頂点に立った。
そして、歴史は繰り返す。


菊の舞台には、悠然と先頭を走る馬がいた。

他の追随を許さない優美なる走り。
主演を蹴落として先頭に立った名優。

新たなるスターが生まれた。
“最強の芦毛”の後継者が。

ターフの名優

メジロマックイーン

メジロマックイーン(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=mejiromcqueen
表彰JRA顕彰馬
世代1990
血統父 メジロティターン(パーソロン系) 母父 リマンド(ブランドフォード系)
半兄 メジロデュレン(有馬記念)
成績21戦12勝[12-6-1-2]
主な勝ち鞍天皇賞(春)連覇 宝塚記念 菊花賞
阪神大賞典連覇 京都大賞典2勝 産経大阪杯
主な産駒ホクトスルタン(目黒記念) ディアジーナ(フローラS) ヤマニンメルベイユ(中山牝馬S)
母父としての産駒オルフェーヴル(三冠) ゴールドシップ(二冠) ドリームジャーニー(春秋グランプリ) タイセイレジェンド(JBCスプリント)
主な子孫ウシュバテソーロ(🇦🇪ドバイWC) ラッキーライラック(エリ女連覇) マルシュロレーヌ(🇺🇸BCディスタフ) エポカドーロ(皐月賞) ショウナンナデシコ(かしわ記念)
ユーバーレーベン(オークス) ヴェルトライゼンデ(日経新春杯) スピーディキック(南関東牝馬二冠) ドゥラエレーデ(ホープフルS)

アニメではまとも、うまよんとゲームではエキサイティングお嬢様。キャラ崩壊が逆にキャラになっている稀有なウマ娘。(個人の感想です)


メジロ牧場はこのシリーズでも度々取り上げてきた名門牧場だ。個人馬主と違い、牧場で自家生産したサラブレッドを自分達でマネジメントしていたメジロ牧場。彼らには夢があった。

天皇賞で勝てる馬をつくること。

初代メジロ牧場のオーナー・北野豊吉氏は天皇賞に並々ならぬ思いを抱いており、ひたすら長距離を勝てる馬の育成に励んでいた。

努力の甲斐もあって、自家生産馬・メジロティターンで秋の天皇賞を制覇する。(勝利後、豊吉さんは舞い上がって、牧場従業員全員分の高級スーツを仕立てたらしい)

しかし、夢が叶ってわずか数年で豊吉オーナーはこの世を去ってしまう。最期の言葉は「メジロティターンの子で天皇賞を勝て」だった。

意志を継いだのは妻の北野ミヤさん。
ここからメジロの快進撃が始まったのだった。

ミヤさんが継いでから活躍したのがメジロラモーヌメジロデュレンメジロアルダンだったが、天皇賞の制覇はなかなか難しかった。

しかし、1987年。運命の子たちが産声をあげた。
この年には期待できる若駒が4頭もいた。

メジロルイス
メジロライアン
メジロマックイーン
そしてメジロパーマー

特に、陸上100mで9秒9の壁を破り世界記録を樹立したカール・ルイスからその名が付けられたメジロルイスは、牧場随一の期待馬だった。

父は後にライスシャワーを産むステイヤー系種牡馬リアルシャダイ、母はメジロティターンを産んだシェリル。天皇賞制覇には持ってこいの良血だったのだが…

90年。ルイスは遅咲きのデビューを果たすが、育成中の事故により腰を痛めた影響か、全く走れなかった。
あえなく引退となってしまう。

マックイーンもマックイーンで病弱であり、皐月とダービーを諦めることになる。

普通なら何としてでもダービーには間に合わせようと治療するだろう。しかし、マックイーンに無理はさせなかった。

絶対にダービーを獲れる馬、メジロライアンがいたからだ

メジャーリーグの最多奪三振投手、ノーラン・ライアンから名付けられたその馬はルイスに次いで有望とされ、馬体も大きくトモもしっかりしていて欠点という欠点が無かった。陣営は世代最強を狙えると確信していた。

ライアンは期待通り弥生賞を勝利。皐月賞は不利を受けて3着に敗れたものの、ダービーでは間違いなく1着だろうと思われた。

そしてダービーで屈指の差し脚を見せるが…

競走馬としての命を捧げたアイネスフウジンの特攻には、あと一歩及ばなかった。

菊花賞にむけて

夏が明け9月。
メジロライアンはダービー2着からゆとりをもって菊花賞へ向かえるため、夏は休養。
一方、マックイーンにゆとりは無い。

成長曲線が遅めの馬は夏に勝ち上がって菊を目指すため「夏の上がり馬」などと言われるが、マックの場合はかなり特殊な上がり方をしていた。

3歳の2月。遅めのダート新馬戦を勝利したマックは芝に切り替え連勝を狙ったが、ソエ(骨膜炎。体質の弱い若駒はよくなる)の影響で体重は落ちるし善戦続きで勝てない。前述の通り春のクラシックはライアンに任せ、長めの休養に入る。

体調も万全となった頃にはもう9月。11月の菊花賞に向けて賞金を重ねておく必要があった。

新馬戦を勝ち現在1勝クラスのマックは、最低でもあと3勝はしておかないと出走確定にはならない。
後々の連戦を考え、脚の負担が軽いダートの条件戦に挑んだ。

しかし、後にダート重賞を制覇する強豪、マンジュデンカブトの猛攻に敗れ2着。
さすがにまずいので、中一週でもう一度ダート戦に挑戦、なんとか勝つ。

疲れが溜まっていないと判断した陣営は、わずか1週間で芝の条件戦に出場。雨の影響で不良馬場だったがなんとか勝利。

(ウマ娘アプリのストーリー3章でマックが「連戦ってめちゃくちゃしんどいんですのよ!?」的なことをチケゾーに言ってたのはこの経験からだ)

それでもまだ賞金が足りないので挑んだ準オープン3勝クラス、嵐山ステークス。
陣営はマックに大いなる期待を抱いていた。

同週に京都新聞杯に出走するライアンと調教で併走した時、ライアンがどれだけ促されてもマックイーンを追い抜けなかったのだ。しかもマックイーンは楽な手応えのまま。

ライアンが調教で走らない馬なこともあり話題にはならなかったが、ライアンを管理する奥平調教師はかなり焦っていたらしい。

(世代トップの馬の調教で格下の併走相手が食らいつき、後に大激走することは稀ではない。2022年も秋華賞の追い切りで二冠馬スターズオンアースと併せたゴールドスミスが予想以上の手応えだったが、秋華賞の日に開催された裏メイン、オクトーバーSを7番人気で快勝している。筆者は馬券を当てたのでよく覚えている)

一方マックの池江陣営には嬉しい誤算だった。

本格化どころの騒ぎでは無い。きっとこの馬ならGIを勝てる。そう思って迎えた嵐山ステークスだが、なんと最終直線でやらかしてしまった。
馬群が思ったよりバラけず、抜け出せずに2着。
乗っていたのは池江厩舎所属の新人騎手、内田浩一。明らかな騎乗ミスだった。

賞金加算できず抽選組となったが、出走予定の馬が回避したことにより確定で出走可能になった。

菊花賞

迎えた菊。
重賞挑戦は初だというのに、マックは4番人気だった。

勝負は京都新聞杯を快勝したメジロライアンと、セントライト記念勝ち馬ホワイトストーンの一騎討ちと予想されていた。

マックの背には変わらず、内田騎手がいた。
ライアンがいること、池江師が愛弟子想いだったことももちろんだが、メジロ総帥、北野ミヤさんの「一度のミスで若い人を降ろしてしまったら可哀想ですよ」という言葉に救われた。

生憎の雨で重馬場の京都。こういう馬場で強い彼にはもってこいの条件だった。

しくじったら負け。
下手な小細工は打たない。ただ力で押し切る。

横山典弘とメジロライアンは馬場が堪えたか直線で伸びあぐね、ベテラン柴田政人とホワイトストーンも迫るが追い付けない。

圧倒的な実力で頂点に立ったマックイーン。
主役交代、世代交代の時が近付いていた。


さすがに連戦が続いたマックは長期休暇に入る。そしてライアンは有馬記念へ。

「りゃいあんっ!!りゃいあんっ!!」

謎の声が響く直線。壮絶な叩き合いの末、勝利したオグリ。

「右手を挙げた武豊!!」

実際には左手だったが、オグリはスーパーホースの意地を見せつけ最後を飾った。

(りゃいあんっ!!の声の主は「競馬の神様」と呼ばれた競馬予想家、大川慶次郎御大。それっぽい理由で釈明しているが、大川さんはライアンの大ファンだったらしい。あんなガッツリ声拾うとは思わんもんね)

大スター達がターフを去り、迎えた91年。
陣営は決断した。

二十余年の時を越え

「メジロティターンの子で天皇賞を」
この言葉には深い深い意味があった。

時は1964年。メジロ牧場創始者の北野豊吉はシンボリ牧場の和田と共同である馬を購入した。

馬の名はパーソロン。後のシンボリルドルフの父だ。

1970年。その血を受け継いだ馬が天皇賞を制した。
メジロアサマ。第62回天皇賞馬。メジロの名を持つ者の中で初めて天皇賞を制覇した馬である。

1982年。アサマ産駒メジロティターンが第86回天皇賞を制覇。
天皇賞馬の子供で天皇賞を制した。

1987年、そして産まれたティターン産駒メジロマックイーン

今までのティターン産駒は抜けて強い馬がおらず、種牡馬としては苦戦していた。
そこで目を付けたのが繁殖牝馬メジロオーロラ。
後のビワハヤヒデやクロノジェネシスがそうであるように、繁殖牝馬側の能力が高ければ、どんなマイナー種牡馬を付けても強い馬が生まれる爆発力を秘めている可能性がある。

オーロラの代表産駒はメジロデュレン。サクラスターオーやメリーナイスといった有力馬が次々事故って大波乱になった有馬記念を制したあのメジロデュレンだ。

(↓の第32回有馬記念の項を参照)

期待通り、マックイーンという優れた競走馬が生まれた。

ライアンという強者を実力で倒したマックイーンへの期待は、デュレンをゆうに超えていた。

「この子でダメならもうティターンは無理だ」

アサマとティターンが勝ったのは秋の天皇賞。
しかしティターンの頃までは春も秋も天皇賞は3200mだったので、春天を取れば親子三代同一GI制覇の快挙を果たせる。


重くのしかかる期待。悲願の夢。
迎えた阪神大賞典
鞍上には、武豊がいた。

真っ先にゴールに飛び込んだ白銀の馬体が見据えるは春の盾。
昨年、ダートで負けたマンジュデンカブトに影も踏ませず、ただ先へ進んだ。

天皇賞(春)

同じく春のGII大阪杯は去年のクラシック三冠で全て3着以内に入った屈指の芦毛善戦マン、ホワイトストーンが制した。

一方のライアンは、中山記念で2着。また2着。ここまでなのか。

この3頭がもう一度争う時が来た。

春の盾。悲願の舞台。
そして伝説は作られる。

重くのしかかる重圧。
しかし、導いた。その血に流れる天皇賞の記憶が。
3200mの栄光への階段を登るための決意を。強さを。

次元が違った。他馬が鞭を入れられる中、馬なりで進出し、マックと武豊は突き抜けた。悲願を果たした。

涙を流したミヤさんは「やっと勝てた」と涙を浮かべた。
豊が掲げた豊吉氏の遺影を、春の日差しが優しく照らした。

主役は替わった。

宝塚記念

春のグランプリは、天皇賞を制したメジロマックイーン、そしてメジロライアンホワイトストーンが上位人気3頭。
この頃になるとこの3頭は「平成新三強」と位置付けられていた。

4番人気にはバンブーメモリー。オグリやメジロが激戦を繰り広げる中で、彼も幾多の勝利と敗北を味わった。

中々勝てないメジロライアン。今日勝てなかったら今後は岡部幸雄騎手に乗り替わる予定らしい。
だが横山典弘は負けられない。
この年の宝塚記念は京都開催。京都芝2200mのレコードはライアンが出している。
そして、ライアンを一番よく知っているのは横山に他ならない。

メジロライアンが一番強いんだ。何度負けようと、その気持ちだけは変わらなかった。

意地と意地のぶつかり合い。横山は賭けに出た。

過去最高の出来でレースに臨んだライアン。それだけ極限の仕上げとなると、馬の気合乗りも尋常ではない。

1コーナーで他馬と接触すると、ライアンは前に行きたがる素振りを見せる。ノリさんはそれに逆らわず、前につけてレースを進めた。追込のライアンが先行策をとった。

そして、3コーナーの下りで早くも先頭に立った。明らかな早仕掛け。しかし、これがうまくハマった。

京都の直線は坂が無い。外を回されたマックイーンは苦しい。ライアンの敵はマックイーンただ1頭。マックは瞬発力よりスタミナタイプなため、一瞬で差を付ければ抜かせない。

坂を登り切ってライアンはやや減速し、マックイーンが猛然と追い込んできたが、渾身の騎乗でなんとか粘り切り。

中距離ではライアンが一番強いんだ。
そう背中で語る走りだった。

主役は2頭になった。

帝王

時を同じくして91年、皐月賞。
クラシック戦線の幕開け。
90年代は全世代が強い。この年も期待を超えてきた。

今年の目玉は阪神3歳S、弥生賞で連勝を重ねたイブキマイカグラかと思われた。2歳王者。世代の星。強いに違いない。

しかし1番人気に押されたのは、他でもないあの馬だった。

不屈の帝王

トウカイテイオー

トウカイテイオー(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=tokaiteio
表彰JRA顕彰馬
世代1991
血統父 シンボリルドルフ(パーソロン系) 母父 ナイスダンサー(ノーザンダンサー系)
半弟 トウカイオーザ(アルゼンチン共和国杯)
成績12戦9勝[9-0-0-3]
主な勝ち鞍無敗二冠(皐月・ダービー) ジャパンC 有馬記念 産経大阪杯(GII)
主な産駒ヤマニンシュクル(阪神JF) トウカイポイント(マイルCS)
ストロングブラッド(かしわ記念)
母父としての産駒シングンマイケル(中山大障害) ブレイブスマッシュ(🇦🇺マニカトS) レーベンスティール(セントライト記念)

アニメではちみーのうたを歌うと必ず怪我して走れなくなることでおなじみテイオーさん。(そんな馴染みあってたまるか)マックとは同い年じゃないというのはウマ娘ファンには衝撃かもしれない。

カイチョーに憧れていたのは父親だったから。カイチョーと違って大衆に愛されたウマだったのも原作準拠である。

そしてこのテイオー、競馬界きってのイケメンホースだった。

このページとか見るとわかりやすいかも。

大河ドラマとかで使われそうな劇場映えする気品高き馬という感じ。その影響か、ウマ娘ではかっこかわいい主人公感溢れるキャラデザに。

イケメンホースは数あれど、GI複数勝っててここまで気品漂ってる馬はテイオーとキタサンブラックが頭一つ抜けてる気がする。

そういうとこもあってキタちゃんはテイオーに憧れてたんですかね。知らんけど。

皐月賞

話を戻して皐月賞。
重賞初挑戦とはいえ4連勝中。
1番人気。ルドルフの子。弱いわけがない。

連勝を重ねてきたイブキマイカグラが嘘のように散っていく。
蛙の子は蛙なら、皇帝の子は皇帝なのだろうか。

日本ダービー

圧倒的な強さを見せ、迎えたダービー。

この年までは今のようにフルゲート18頭制限が無かったため、20頭が出走した。(翌年からは18頭固定となり、紛れが少なくなった。「ダービーポジション」も風化していく)

テイオーは大外20番枠というあまりに不利な枠順となってしまったが、彼には枠の有利不利など些末なことだった。

ご覧の通り。ぐうの音も出ない完勝。
親子二代で無敗二冠
皇帝の子の名に恥じぬ圧倒的な強さ。
父ルドルフ以来の無敗三冠馬の誕生に、皆が胸を躍らせた。

しかし…

はちみー♪はちみー♪はっちっみー♪

…ということである。(察して)

菊花賞

テイオー不在で行われた菊花賞は、彼がダービーで2着に沈めたレオダーバンが制した。

レオダーバン

世代1991
血統父 マルゼンスキー 母父 ダンサーズイメージ(ネイティヴダンサー系)
成績9戦4勝[4-1-1-3]
主な勝ち鞍菊花賞 青葉賞(OP)
主な産駒マイサクセス(九州ダービー栄城賞) レオスティーク(金沢・サラブレッド大賞典)

(ウマ娘ではモブ、リオナタールとして登場)

その後も活躍が期待されたが、マルゼンスキーの血の影響か、脚部不安で引退となった。

4着にはおなじみのあの馬。善戦マンとしての片鱗はここからあったのかもしれない。

骨さえ折れていなければ確実に無敗三冠馬だっただけに、テイオーの悲劇は競馬界に大きな波紋を呼んだ。
テイオーは年内のレースには出ず、休養を取ることになる。

崩れる歯車

日本競馬過渡期は故障の連続だ。

念願のGI初制覇を達成したメジロライアンも屈腱炎を発症し、有馬記念で復帰するも大敗。本当の強さを誰も知らぬまま、彼は引退してしまうことになる。しかし、種牡馬になって産んだ2頭がメジロの栄光を繋ぐ希望の星となった。

対するメジロマックイーンは京都大賞典を勝利、天皇賞連覇を目指していた。親が制覇したのは距離こそ違えど東京で行われた秋の天皇賞。ここも取っておきたかった。
中距離でマックイーンに勝てるのはライアンだけ。もう敵などいない。

天皇賞(秋)

一方で、秋の天皇賞は魔のレースだと言われていた。

過去25年、まだ秋天が3200mだった頃も含めて、1番人気でここを制した馬はミスターシービー、ニッポーテイオー、シンザンの3頭のみ。何かしらの波乱がある。

今年も何かあるんじゃないか。
不穏な影を潜めたまま、天皇賞(秋)は始まった。

全馬を圧倒する驚異の走り。6馬身差。
ライアンに負けたなんて言わせない。

しかし点った審議のランプ。

スタート直後の斜行が進路妨害と見なされ、メジロマックイーンは18着に降着となった

動画後半のパトロールビデオを見てほしい。事故になってもおかしくない騎乗だが、これにも理由が無い訳ではない。

東京競馬場のコース
JRA公式HP(https://www.jra.go.jp/)

これが東京競馬場のコースマップ。2000mの開始地点がかなり辺鄙な場所にあることがお分かり頂けるだろうか。

東京競馬場の空撮
Map data ©2023 Google

これは現在の衛星写真(Googleマップのスクショ)。2000mのスタート地点には一応直線という直線はあるので、本気で先行すればある程度の不利は打ち消せなくもない。

だが改修前は…

ギリ昭和の東京競馬場
地理院地図(https://maps.gsi.go.jp) 東京競馬場1986年の画像

曲がっとる。

一回外に膨れてから内に行くので、外枠の馬には地獄だっただろう。

↑天下の東スポ競馬さんですらこう言うんだから、改修前のコースは相当なものだったに違いない。

まして2200mでライアンにキレ負けしてしまっているマックイーン。そしてこの不良馬場。今の武さんならまだしも、この頃なら序盤から積極的に出していくのも頷ける。事故にならなかっただけ良かった。

当時は今と降着の基準が違った。圧倒的な1番人気の馬の最下位降着はこれが最初で最後。それだけに「マックイーンは見せしめにされた」などと言われたりもした。

デビューから5年でGIを10勝していた武豊は、今では考えられないが荒っぽい騎乗も多く、制裁の数もかなりのものだった。勢いに乗っていただけに、この降着騒動は彼の今後の人生を大きく変えた。

当時大人気だったマックと武豊。そして前代未聞の1着馬の降着。世間からの批判も絶えず、武豊はスランプに陥る。

一方、逃げ馬プレクラスニーで2位入線した江田照男騎手は最年少の天皇賞ジョッキーになった。とはいえ、インタビューでも笑顔は見せなかった。マックイーンに6馬身も引き離されていたんだから、勝ったとは思えなかっただろう。(でも本当はすごく嬉しかったとか)

幸い、江田騎手は後に自力で中央GIを制覇するし、未だに現役バリバリ。穴馬に定評がある。

ジャパンカップ

ほとぼりの冷めぬまま迎えたJC。
マックイーンは生涯初の4位入線となった。

無難なレース運び、見せ場のない展開。
日本馬としては一番の好成績だったが、またしても武は批判された。
「なんでもっと攻めないんだ」と。

武豊は当時22歳。圧倒的なメジロマックイーンの人気と、かかる非難の声を受け止めるには、背負う物が多すぎた。

どのレースに出ても勝てなくなった。
有馬記念の頃には、連敗記録は41に膨れ上がっていた。

大波乱の有馬記念

それでもファンは応援した。ファン投票も単勝人気も1番はメジロマックイーン。秋の天皇賞で繰り上げ1位になったプレクラスニーは3番人気、ライアンは5番人気だった。

それではここで他の有力馬を紹介しよう。

愛しき名脇役

ナイスネイチャ

ナイスネイチャ(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=nicenature
世代1991
血統父 ナイスダンサー 母 ウラカワミユキ
成績41戦7勝[7-6-8-5-15]
主な勝ち鞍高松宮杯(GII) 鳴尾記念(GII) 京都新聞杯
主な善戦記録GI3着4回、4着4回 GII2着4回、3着2回
記録JRA重賞勝ち馬長寿ランキング歴代4位

ウマ娘ではいつもキラキラテイオーさんに憧れてるネイチャさん。
同じレースで度々戦ったのはもちろん、同じナイスダンサーの血を引く者だからこそ、あんな風になれたらと思ってるのかもしれない。
アニメ2期最終回のライブは最高でしたね。惚れた。
ネイチャのウイニングライブだけで30分のOVA作ってほしいまである。

3歳馬にして有馬記念出走が決まったネイチャ。当時の彼は大きな期待を受けていた。菊花賞は4着だったものの、小倉記念、京都新聞杯、鳴尾記念を勝利。GI初制覇は目前。

晩年のネイチャからは考えられない、まさかの2番人気だった。


そしてマイラー界からニュースターが参戦。

愛すべきバカ

ダイタクヘリオス

ダイタクヘリオス(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=daitakuhelios
世代1990
血統父 ビゼンニシキ(リュティエ系) 母父 ネヴァービート(ナスルーラ系)
成績35戦10勝[10-6-1-18]
主な勝ち鞍マイルCS連覇 マイラーズC連覇 高松宮杯 毎日王冠 クリスタルC(GIII)
主な産駒ダイタクヤマト(スプリンターズS)
母父としての産駒ピエールタイガー(大井・マイルグランプリ) ツルオカオウジ(大井・黒潮盃)

ウマ娘ではおけまる水産あげぴっぴ系ウェイウェイJK、ダイタクヘリオス。

マジ大逃げしかありえんてぃ、大逃げしか勝たん精神でパリピってきたものの、阪神3歳S、安田記念で2着と、勝ちきれなくてぴえん超えてぱおん丸🥺な内容が続いていた的な。

てか当時のヘリオスにはいつメンですきぴなかわちいカノぴっぴ候補がいた。
その名もダイイチルビー。(近日紹介予定)
ヘリオスはルビーがいるとレースもバイブスブチ上げあげみざわで走り切り、だいたい1着か2着で走り切ることができた。ウケる。

しかし肝心のルビーは有馬には出なかった。これはやばたにえん。ガン萎え案件でしかない。

でもゆーてヘリオスには爆逃げしかない。9番人気でサゲぽよでもやるしか。

そんな爆逃げ街道に華を添える人気者が、もう1頭いた。

誇り高き逃亡者

ツインターボ

ツインターボ(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=twinturbo
世代1991
血統父 ライラリッジ(リファール系) 母父 サンシー(ファイントップ系)
成績35戦6勝[6-2-0-25]
主な勝ち鞍オールカマー(GIII) 七夕賞 ラジオたんぱ賞

(かわいい)

ヘリオスの項では真面目に書けなかったので、2頭について解説する。

この時代の有馬記念は距離適性ガン無視で、一発を狙うため、あるいは年の瀬を盛り上げるために、逃げ切りを試みる馬が毎年のようにいた。それがヘリオスでありターボ師匠でありパーマーだった。

ヘリオスは父がビゼンニシキ。ルドルフの同期で、ダービーまではライバル関係にあった能力の高い馬だ。ビゼン自体は逃げに固執する馬でもなかった。

人間でいう叔父が“狂気の逃げ馬”と称されたカブラヤオーなので、牝系が災いしたのかもしれない。実際、逃げっぷりは少し似ている。


一方のターボ師匠は、有馬出走時点では重賞はまだラジオたんぱ賞(現ラジオNIKKEI賞)しか勝てていなかった。それでも人気投票で選ばれたのは、彼のレーススタイルが要因だった。

ただ逃げる。
ひたすら逃げる。
途中でスタミナが尽きる。
けど頑張る。
終わる頃にはへばり切ってる。
でも走り切る。

小さな身体で必死に逃げる姿が多くの人に愛されたのだ。

ただ、ウマ娘2期のようなヒーロー的な愛され方ではなく、最近で言うならTwitter芸人と化した逃げ馬、アフリカンゴールドの立ち位置に近かったのだろうと思う。

(本人)ってなんだよ

ただの愛されホースを英雄に変えてしまったウマ娘2期の功罪はデカすぎる。


そんな彼らがぶつかり合ったなら予想されるレース展開は…

ヘリオスとターボ爆逃げ

中盤に大失速

プレクラスニーがペースを握る

マックとかネイチャとかが迫る

僅差でマックが勝利

こんな感じだっただろう。
そして、概ねそのような展開でレースは進んだ。

中盤までは。

ターボが逃げ、プレクラスニーが2番手。ヘリオスは3番手に控えワンチャンに賭ける。それをマークするオサイチジョージ。

終盤、やはりプレクラスニーが先頭に立つ。ヘリオスもいい手応えで上がってきたが、最後の坂がどうにも苦しく失速。

武豊はようやく吹っ切れて、抜群の手応えと共に最終局面へ。これは勝てる、そう思った瞬間に何かが横切った。

点灯するレースレコードの文字。

大波乱が飛んできた。

これはびっくり

ダイユウサク

世代1988
血統父 ノノアルコ(ニアークティック系) 母父 ダイコーター(ヒンドスタン系)
母母 クニノハナ(ビクトリアC(現エリザベス女王杯)勝ち馬)
成績38戦11勝[11-5-2-20]
主な勝ち鞍有馬記念 京都金杯
主な産駒グランオラシオン(名古屋・グランドミックス)
(ウマ娘ではダイサンゲンとして登場)

これはびっくりダイユウサク。実況は思わずそう叫んだ。
重賞2勝目を有馬記念で飾る。そうはならんやろ。

しかも彼は88年世代。オグリやクリークはもう引退したくらいなのに、全盛期の年下相手に全力を出し、勝ったのだ。

ダイユウサクの父はヒシアマゾンやエフフォーリアらのご先祖さまノノアルコ、母母はエリザベス女王杯の前身ビクトリアカップ勝ち馬クニノハナ、母父は菊花賞馬ダイコーターと、血統的には申し分ない馬だった。

しかし体質面で不安があり、古馬になるまでは強い調教が出来ていなかったのだ。

陣営はこの有馬に向けて、究極の仕上げを施した。その結果がこれだ。

ようやく弾けたその強さ。ここから覚醒するかとおもいきや、以降は全敗。フロック(まぐれ)の象徴として語り継がれることになる。


しかし、彼の功績は偉大だ。

新馬戦から負け続きで重賞も中々勝てなかった馬が有馬記念に出走し、世代最強馬を蹴散らし、レースレコードで完勝したのだ。
100年に一度あるかないかの大偉業と言っていいだろう。

しかも、飛び出したレコードは一昨年イナリワンが出したそれより1秒以上速かった。2500mを2:30:6。ゲームで超えようとしても結構難しいタイム。

そしてダイユウサクが出したレコードは、ナリタブライアンやオペラオーをもってしても更新されず、11年間もレコードであり続けた

2022年の走破タイムより1.8秒速く、ウマ娘になった馬でこのタイムを超えられた者はシンボリクリスエスとゼンノロブロイしかいないと言えばヤバさが伝わるだろう。

この1戦だけでダイユウサクは余生の平穏を掴み取った。ちなみに、ダイコウサクになる予定だった馬名が調教師の見間違えでユになったらしい。波乱万丈な馬生である。


そんな波乱を残して1992年へ。

いよいよテイオーとマックイーンが完全復活。
そして現れる新世代。
その黒き影は、ヒールか、ヒーローか。

あとがき

毎回毎回書くこと多すぎて怖いね。投稿スピード思ったより伸びないね。心の中にライスを飼ってがんばるぞ〜。

さて、次回は…どうしようか迷ってます!

しばらく王道部門(クラシック&中長距離馬)をメインにして短距離路線をサブで書くか否か。
そして将来的にダートをダート編でまとめるか否か。

ダートに関しては十中八九そうなるんでしょうけど、同時並行で進めるのか後から書くかも迷ってます。最初に決めとけよ。

ちなみに僕はウマ娘のトレーナーになるならマックかネイチャがいいです。マックはコッテコテの庶民に染め上げてやりたい。ネイチャに下町の良さを教えてもらいたい。

田舎って、いいよね。(ド田舎育ち)(電車全然こない)(バスもこない)(もう帰りたくない)

住むならそこそこの都会がいいね。
それでは。

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