【競馬】競馬初心者のためのよくわかる日本競馬血統史

みなさん、競馬やってます?

この記事は以前書いた「ウマ娘トレーナーのための(略)」の再編集版になるんですが、どんだけ読み返してもウマ娘トレーナー向けではなかったためタイトルを変えました。

今読んでるあなたがウマ娘から競馬に入った人なら、小難しい単語で埋め尽くされてますが頑張って読み切ってください。お願いします。

今回語りたいのは現代の競走馬の血統について。
Twitterでフォロワーさんと「日本古来の競走馬の血統いなさすぎ問題」について話してて盛り上がった(?)ので、書くに至りました。こういうのある度にモチベ上がるからもっとちょうだいもっと。

あなたの好きな馬にも親がいます。なんなら私の愛馬(オルフェーヴル)の親は愛馬(ステイゴールド)です。
そして前回話しました通り、全てのウマはエクリプスに通ず、でございます。

↓前回

ですが、「エクリプス以降のウマはどうなったんだよ!」「サンデーサイレンスってなんだよ!」って思った方も多いはず。
今回はそんな方のためのコーナーです。

ここに書いてることを知っておくと、より競馬やウマ娘に詳しくなれるかも。

では参ります。

↓続編

日本競馬の歴史

血統を語るならまず歴史を語らなければならない。
けどこれは本題じゃないので雑に解説する。許して。

日本競馬が今の原型に近付いたのは1930年代。ほんとはもうちょっと前から色々あったけど割愛。
当時はすごい重賞は帝室御賞典(天皇賞)などしかなかったものの、ダービーが創設されたり、有馬さんが中山グランプリ(有馬記念)作ったり、なんだかんだで少しずつ盛り上がっていった。

この頃に出来た重賞はだいたいオマージュ元が存在する。天皇賞はイギリスのバカ長い長距離GI、ゴールドカップが元。4000mある。
(めちゃくちゃ余談だけどそこを三連覇したストラディバリウスって馬とそれを乗りこなすデットーリって人が良い意味で狂ってるので見て欲しい)

(↑ここでチラッと触れてます)

そんな感じで海外のGIを元にレースを新設してきた。なので競馬的には後進国だ。
そもそも開国するまでサラブレッドの概念すら日本には伝わってなかったので仕方ない。
昔の競走馬もちゃんとヨーロッパの馬の子。

このへんは「競馬史」シリーズで解説するが、黎明期の日本競馬は血統面では死ぬほどつまらなかった。

なんせ海外から優秀な種牡馬や繁殖牝馬を買えた牧場が2つしか無かったからだ。
理由は簡単。資金力とか交渉力、血統に関する知識などに大きな格差があったから。

一つは国が管理している下総御料牧場
天皇陛下お墨付きのやつ。
もう一つは三菱財閥の小岩井農場
小岩井乳業の製品はここの牛さんから作られてる。

公営と私営、それぞれ特性の違うこの2つの牧場が合わせて何十頭かの牝馬を数年に分けて購入した。
これらの牝馬を「基礎牝馬」という。

※ちなみに、岩手の地方競馬は重賞「ビューチフルドリーマーカップ」や、盛岡JBC開催日に「フロリースカップメモリアル」みたいなレースが開催されるが、これらは全て岩手にある小岩井農場で繋養されてた基礎牝馬の名前だ。ビューチフル(略)はニッポーテイオー(ウララ父)の、フロリース(略)はスペシャルウィークの祖先にあたる。今では馬産地といえば北海道だが、戦前は盛岡、九州、青森なども勢力が強く、果ては朝鮮半島でも日本の馬が繋養されていた。時代感じるね。

マルゼンスキーがクラシックに参戦出来なかったり、20年くらい前まで外国産馬が出走できなかったGIが大量にあったことは、弊ブログで散々紹介してるのでなんとなく知ってるだろう。

昭和の競馬はあくまで「国内最強を決める」という考え方の元に成り立っていた。クラシックは「次世代の種牡馬選定のため行われる」という側面もあった。
なので国外で生まれてから日本に輸入され、他の馬と同様に育てられた馬も“マル外”の扱いを受け、出走できるレースが限られてくる。

だから「国内で生まれること」が何より重要。「国内で優秀な血統を根付かせること」を目標に馬産界は動いていた。

牧場は競馬開祖の国イギリスから牝馬を買い付け、日本に血を根付かせたのだった。

⓪1900〜 草創期

時は1907年。小岩井農場の買った牝馬は20頭。

前回の三大始祖の記事でも書いたが、当時ヨーロッパではセントサイモンという狂気の馬の血がめちゃくちゃ流行っていて、今の日本でいうサンデーサイレンスやディープインパクトみたいな、もうどこのレース見てもセントサイモン産駒が走ってるみたいな状況になっていた。

しかし日本に輸入されてきたほとんどの馬は、それより前世代の覇権血統の子達であった。(種牡馬でいうとイボアなど)でも産駒がめちゃくちゃ走った。前世代とはいえ覇権血統だからだ。

一応セントサイモンの血が入った種牡馬を同時期に輸入していた日本。(チャペルブラムプトンなど)
ここから日本競馬は海外に大きな遅れを取りながらも少しずつ前に進んでいく。

①30〜 黎明期

いきなり飛ばして1930年代。
ここまで進展がほぼ無かったが、ようやく時代が変わる。

小岩井農場が海外の有力種牡馬を買ってきた。

その名もシアンモア。こいつもしっかりセントサイモンの血が入っていた。

基礎牝馬を20頭買ったあの時よりさらに前にイギリスで起きたインブリード革命が、超うっす〜いクロスながらできるようになったのだ。

さっきも貼った前回のやつで、「競馬はインブリード因子ガチャ厳選だ」と言った。インブリードを掛け合わせることで、よりその馬に近い馬を再現できる可能性が高くなる。

日本にもセントサイモンの血を引く種牡馬はいたし繁殖牝馬もいたが、そこまで質がいいものでは無かっただろうし、それよりもレース体系が整備されてなかったので、何が強いかいまいちパッとしなかった。

30年代に入りようやく五大クラシック(牡馬三冠、桜花賞、オークス)が生まれ、「ここで勝てた馬が最も強い」という基準が設けられる。

で、シアンモアの子がめちゃくちゃ勝った。
シアンモア自体が元々優秀だったため、優秀な馬が大量発生した。

もちろんセントサイモンのインブリードの影響もあった。シアンモアとチャペルブラムプトンはどっちも5代父がセントサイモン。リーディングサイアーなので彼らの血を継ぐ馬はめっちゃいた。

なのでオークス、ダービー、菊花賞の鬼畜変則三冠を達成したクリフジセントサイモンが5×5×5×6×6×6で15.63%という、血統表に写りきらん範囲でうっす〜いけど濃いインブリードがあった。たぶんこういう馬が多かったはず。

そしてこの頃にもう一つの変革が起こる。

基礎牝馬

今まで紹介したのは全て私営の小岩井農場の買った馬だ。それもそのはず、この時代になるまで御料牧場は小岩井農場の馬を借りて生産していた。

しかし、時は戦前。
軍部の「戦争に使える強い馬を作れ」という声や、競馬自体が盛り上がってきたのもあり、御料牧場も繁殖牝馬を買った。1926年のことだった。

最初に買った2頭は名前を改名され、種正、種道とされた。実に戦前の日本らしい。

そしてこの翌年に種牡馬も輸入した。
この馬が飛び抜けて優秀だった。

トウルヌソル
語源はフランス語トゥルヌソル。意味はひまわり。この馬が種正種道に付けた子や、小岩井の繁殖牝馬に付けた子がまあ走った。
一時期の八大競走を見てみたら大体の優勝馬が同じ父母から産まれた兄弟。だってみんな輸入牝馬の産駒だから。

こうしてトウルヌソルと基礎牝馬から日本の競馬の躍進は始まった。

※ちなみに東京の目黒競馬場跡地には今もトウルヌソル像が立っている。物好きな方は観光に行ってみてもいいかも。

そして1931年。目に見えてトウルヌソルが成功したあたりから、繁殖牝馬をもっと買おう!という動きになった。

今まで「海外から購入した」と言っていたが、これらは全てイギリスの馬だ。イギリスこそ競馬の本場なのでなんらおかしいことではない。

しかしここで御料牧場は、何を狂ったかアメリカから繁殖牝馬を購入した。

アメリカもイギリスと同様競馬大国であり、歴史はイギリスの次くらいに古い。しかし、アメリカの馬場は芝でなくダート。博打では?

2年に分けて6頭を購入。アメリカの星条旗にちなんだ名前がそれぞれ付けられた。

そしてなんとこれが大大大成功してしまった。

このうち、31年に買った馬がすごいので紹介したい。

星旗、星若、星友。

この三頭は秒でダービー馬を輩出しただけでなく、なんと現代に至るまで血が繋がっている

つい先日引退したオークス馬ユーバーレーベンの血統。父ゴルシの母母母…を辿っていくと、なんと星旗に辿り着くではないか。ゴルシ(ウマ娘)はあんなに頭ハジケリストなのに、実はマックと同様お嬢様家系(?)だったのである。

ちなみに星友はトウカイテイオー、種正はバンブーメモリーやイナリワンの先祖にあたる。

冒頭に書いた問題が一瞬で否定されてしまった。牝系だけなら全然残ってる。その血が今もなお脈々と受け継がれているからこそ「基礎牝馬」なのだ。

で、御料牧場はしれっと3年後に種牡馬ダイオライトを輸入し、三冠馬セントライトを生み出した。

②1945〜 混迷期

さて、ここから戦争が始まる。血の戦争とかではなく普通に戦争だ。1945年。日本は負けた。負けたけど日本は続いたので競馬も続いた。

以前にいた馬は有名な馬を除き結構な数が行方不明()になったりしたが、大牧場の所有馬はもちろん皆無事。そして戦後わずか1年でもう新たな世界が開かれた。

シラオキ
マチカネフクキタル(ウマ娘)のせいで有名になってしまったシラオキ様。
彼女は1946年、小岩井農場に生まれた。

母母父シアンモア、母父ダイオライト、父は戦前に輸入された大種牡馬プリメロ(女の子みたいでかわいい)という恵まれた血統。もちろんどの種牡馬もセントサイモンのインブリード持ち。

実はシラオキ自体はダービー2着だったり、主な勝ち鞍が函館記念だったりで、圧倒的に強いというわけではない。ただこの馬は牝馬です。牝馬でダービー2着はすごいということをご理解頂きたい。

シラオキは残した遺産もぶっ飛んでいた。

まず第一子に二冠馬かつ現環境のGI級タイトルを5勝してるJRA顕彰馬のコダマを輩出。
他にも重賞勝ち馬を続々と出したものの、GI級は皐月賞馬が一頭のみだった。

がしかし、彼女の子孫の牝馬はことごとく優秀な繁殖牝馬ばかりで、生まれる子孫達がめちゃくちゃいい結果を残した。

その代表例がスペシャルウィークウオッカマチカネフクキタルの三頭だ。
(ウマ娘ではマチカネちゃんだけがシラオキに感謝を告げているが、本当にほんわかハッピーしなきゃいけないのはウオッカとスペもだったのである)

それにしても、1950年代から子孫が途切れず結果を残している強さ。国内でこんな例はなかなかない。

ウオッカこそ繁殖牝馬としての成績は全然ダメだったものの、スペシャルウィークがシーザリオという競走成績も繁殖成績もS級のぶっ壊れ馬を出してくれたお陰で、シラオキの血は今でも残っているどころか第一線で活躍している。

シーザリオの孫デアリングタクトが無敗三冠牝馬になったので、この流れでクラウンプライドもGI馬になってくれれば、シラオキは間接的にGI競走約50勝分くらいの貢献をしたことになる。

シラオキが凄かったとはいえ、戦後間もない時期で物資も少なく、そもそも競馬自体盛り上がらない。本格的に元に戻ったのは60年代になる。

ヒンドスタン
1960年。前述したコダマが二冠を取った年。ここらへんから日本競馬が競馬らしくなる。
1955年に日高軽種馬振興会という会がシンジケートを結成し、輸入した馬。それがヒンドスタンという馬だった。

アイルランドのダービー馬なこともあり、最初は種付料が高すぎて使われなかったものの、60年代になるにつれ徐々に使われだす。景気も良くなってきたし。

そして64年。伝説の名馬シンザンが史上2頭目の三冠馬となり、偉業を達成する。
ちなみにこの馬は小岩井農場の基礎牝馬ビューチフルドリーマー牝系。

この馬以外にも強い馬が続々と生まれ、一気にヒンドスタン系の馬が名を馳せだした。

③1970〜 繁栄期

好景気の70年代に入ると個人牧場が力を持ちだし、様々な馬が輸入され、馬の血の選択肢が大幅に広がった。それゆえに様々なタイプの馬が生まれ、競馬の幅が広がった。

個人的には現代競馬はここらへんから始まったと思っている。

シンザンの成功でウッキウキの日高軽種馬農業協同組合は、また新たな種牡馬を輸入した。

テスコボーイ
あまり馴染みが無いかもしれないが、世紀の名馬トウショウボーイの父である。何故テスコボーイが流行ったかというと、農協所有のため種付にかかる金額が高くなく、それでいていい馬が生まれたからだ。

テスコボーイはゴールドシチーとアイネスフウジンの母父、サクラバクシンオー、ユキノビジン、ダイイチルビー、エアジハードの祖父にあたり、キタサンブラックにも血は受け継がれている。

ちなみに、父方の血統で日本で現在まで直系が繋がってる種牡馬はテスコボーイが最古

テスコボーイ→サクラユタカオー→サクラバクシンオー→ビッグアーサー→現在(ビッグシーザーが最有力後継者)

日本は国産種牡馬の直系が3世代までしか続かないという謎のジンクスがあり、それは現在も続いている。ビッグシーザーが種牡馬入り&成功すればジンクスは壊せるので期待してる。

テスコボーイのような成功が相次ぎ、「とりあえず海外から強い馬引っ張ってきたら走る」理論がより強固になった70年代以降。

シンザンも種牡馬になったものの、そういう経緯もあってやや冷遇された。なんせシンザンの最高傑作をボコボコに倒したのが個人牧場が輸入した種牡馬の子だったからだ。

パーソロン
度々出てくるこの名前。メジロ牧場とシンボリ牧場の共同所有でシンボリルドルフやトウカイテイオー、メジロマックイーンの祖となった名種牡馬だ。

まずシンザン産駒最高傑作のミホシンザンをルドルフが数馬身突き放して勝つ。
やがてヒンドスタン系は「終わった血」となる。競馬業界は数年ごとにトレンドが変わる。その度に昔流行っていた血統は古くなる。

そしてジャパンカップが創設され、海外馬に勝てないと言われていた所をカツラギエースやルドルフがちゃんと勝ったので「やっぱ海外血統だわ」となり、また日本古来の血統の冬の時代が訪れる。

④1980〜 激動の時代

そして冬の時代をさらに極寒にさせたのがとある馬だ。

日本だけでなく海外の数多の血統を淘汰し、今なお世界一の影響力を秘めている、まさに世紀の大種牡馬。

ノーザンダンサー

この馬はやばい。競馬ゲームをやった人ならわかると思うが、80年代から90年代で使われてた血統が全部ノーザンダンサー系に入れ替わる。これは海外もそう。

とにかくスピードの絶対値が抜けているので、「ノーザンダンサーの血は金と同じくらい価値がある」とか巷では言われていた。

ノーザンダンサー自体が産んだ馬もダービー馬が何頭とかそういうレベルじゃないのだが、ノーザンダンサーが産んだ馬がまたえげつない馬を産んで…みたいな連鎖が多発。
ノーザンダンサーの血入ってないと勝てないみたいな、ノーザンにあらずんば馬にあらず状態になってしまったのだ。

このあたりで三大始祖(ウマ娘でいう三女神)の均衡は大幅に崩れ、ダーレーアラビアン直系の一強に変わりつつあった。

とりあえずノーザンダンサーが変えた時代の名馬をみていこう。

パシフィカス(牝馬)
これがノーザンダンサー直系の繁殖牝馬でありビワハヤヒデとナリタブライアンの母。

ノーザンテースト
これはマチカネタンホイザの父。(ウマ娘でいう某扇子持ち理事長)
あとメジロライアン、ドーベル、アルダンもこの系統。
あまりにノーザンダンサーの産駒の価値が高騰していて日本では到底買えなかったのだが、なんとか輸入できたのがこの馬。大成功した。

ニジンスキー
これはマルゼンスキーの父。無敗三冠馬。
あとスーパークリーク、チヨノオー、ヤエノムテキのオグリ世代クラシック組もまとめてこの系統。

ヴァイスリージェント
これはクロフネとかカレンチャン、ソダシの系統。辿っていけば数代でノーザンダンサーに行き着く。

リファール
キングヘイローやカワカミプリンセス、ニッポーテイオーやハルウララ、ツインターボ、シリウスシンボリなんかはこの系統。他にもテイエムオーシャンとか多数。ディープインパクトの母もここ。欧州で栄えた血統。

ナイスダンサー
ナイスネイチャ直系。

ヌレイエフ
ヒシアマゾン直系。

ダンジグ
ビコーペガサスやファインモーション直系。直近ならブラストワンピースやナミュールもここ。オーストラリアやアメリカで繁栄した。今でも大勢力。

サドラーズウェルズ
テイエムオペラオー直系。エルコンドルパサーもえげつない量この血が入ってた。欧州の馬はだいたいこいつのひ孫。

その他
サトノクラウンやシンコウウインディ、メイショウドトウらもノーザンダンサーの系統。

時代変えすぎとちゃいます???

こいつが種牡馬入りしたのは1966年。わずか30年で世界の全ての血統を埋めつくたのだ。
こうなったらもう日本どころか世界の古来の血統も廃れていく。さらに日本に追い打ちをかけたのが他の海外種牡馬の活躍だった。

⑤90〜 狂気の時代

90年代に入っても、GI馬こそ少ないにしろ、かろうじて国内の血は繋がれていた。

この頃の日本はまだ競馬的に海外に遅れを取っていて、ジャパンカップも結局そんなに勝ててない。

しかし、また時代が変わる。以下の馬の子孫達が種牡馬として日本に殴り込みに来たからだ。

ミスタープロスペクター
ダーレーアラビアン直系。アグネスデジタル、シーキングザパール、エルコンドルパサー、エイシンフラッシュ、ドゥラメンテ、パンサラッサはこの系統。アメリカで繁栄したが、産駒のキングマンボが日本で大成功したため、日本の主流血統にもなりつつある。

ヘイロー
キングヘイローの母父ヘイロー。こいつが産んだ1頭の馬が日本を変えてしまう。

そしてここからが90年代の種牡馬三強と言われたものの、実質一強になってしまったやつら。この3頭が日本に来て時代が変わった。

トニービン
ジャパンカップ中に骨折して日本で種牡馬入りした凱旋門賞馬。オグリキャップやタマモクロスと対戦経験あり。チケゾーやエアグルーヴ、ジャンポケらの父。
産駒はみな東京競馬場◎、中山競馬場×のスキルを持って生まれる。

ブライアンズタイム
ナリタブライアンやマヤノトップガンの父であり、ウオッカの父タニノギムレットを輩出した。ダートに強く、ファルコンのライバルフリオーソやタイムパラドックスもこの産駒。

そしてヘイローが産んだ最強かつ最恐の種牡馬が…

サンデーサイレンス

彼は米国でGI6勝を挙げ、高い評価こそ受けていたものの、血統面であまりいい評価を受けていなかった。

だが、社台グループの吉田善哉氏は「いける」と確信していた。

金額にして16億5000万。90年代でだから今基準ならもっとかかっている。当時の社台グループの売上のほとんどをBETして賭けに出たのだ。

そうして買ったサンデーサイレンス(以下SS)。最初は「日本人が超高値でヘイロー産駒買ってったぞ!走るわけねーじゃんw」と笑われていた。

実際ヘイロー系はさほど成功していなかったし、国内でも似たような評価だった。ただしそれはヘイローはの話。

背水の陣で牧場内の牝馬にひたすらSSを付け生まれた初年度産駒から、フジキセキやジェニュイン、マーベラスサンデーといったGI馬が生まれると評価が変わりだす。

3年目でサイレンススズカとステイゴールドが出た頃にはもう次の覇権はこいつだと決まったようなものだった。

そしてSSの評価を決定付けた出来事が一つ。
4年目の産駒、スペシャルウィークの活躍だ。

エルコンドルパサーが凱旋門賞にてモンジューと戦い、僅差で2着となった。

1999年ジャパンカップ。宿敵モンジューが日本に来た。

エルコンが唯一勝てなかったサイレンススズカがこの世を去り、国内に敵はないと挑んだ凱旋門賞。そこでエルコンに勝った馬だ。国内勢が勝てるわけがない。そう思われていたのだが…

スペシャルウィークは勝った。完勝だった。

もしかしてSS産駒ってめちゃくちゃ強いのでは…?と評価が更に上がっていく。

⑥00〜 SS以降

この頃になると90年のノーザンダンサー系の立場にSSはいた。覇権中の覇権だ。

ちなみにこの頃になるとパーソロン系(バイアリーターク直系)は壊滅状態。テイオーやマックをもってしても優秀な直系子孫に恵まれなかった。ゴドルフィンアラビアン直系はより絶望的だった。

SS産駒は日本芝において最強の適性を持って生まれてくる。天皇賞でスタミナ血統のメジロブライトを圧倒的スピードで負かしたスペシャルウィークのように、産駒はスピードの絶対値が違う。逆にSS系以外を買う理由が無かった。

革命はつづく。

01年。アグネスタキオンとマンハッタンカフェの大躍進。

02年のゴールドアリュールでダートも勝てることを証明。

03年、スティルインラブで牝馬三冠。

04年、ダイワメジャー。この年も強かった。

そして05年、伝説の馬がデビューした。

ディープインパクト

無敗三冠GI7勝14戦12勝。こんな馬が存在していいのかと誰もが思った。周りは誰も歯が立たず、ゴール前では彼だけが倍速みたいな動きを見せる。

産駒の最高傑作が出た。そして同時にSSは息を引き取った。

SSが良くも悪くも日本競馬をぶっ壊してくれたので、日本の馬場でSSの血が入っていない馬は総じて時代遅れになりつつあった。

しかし、もう彼はいなくなった。元の日本競馬に戻るだろうと思うかもしれないが…

SSのやばい所は、SSの子もやばかった所にある。SS系は日本競馬の土台と塗り替わってしまった。SSが日本競馬の爆心地となったのだ。

だから結果として社台グループが日本競馬を代表する団体になったという部分はある。

以下にSSの産駒を紹介していこう。

SS系種牡馬の大躍進

フジキセキ
ダートGI7勝のカネヒキリを輩出。他にもキンシャサノキセキ、ストレイトガールなど。短距離やダートで強い馬が多め。

ダンスインザダーク
菊花賞馬なこともあってか、長距離で強い馬が続々誕生。メルボルンCを勝ったデルタブルースなどが有名。ツルマルボーイなどマイルで勝てる馬もそれなりにいた。

ステイゴールド
言わずと知れた大種牡馬。オルフェーヴルやゴールドシップ、ナカヤマフェスタ、ドリームジャーニー、フェノーメノ、ウインブライト、オジュウチョウサンらの父。マックイーンを母父にした子が成功したので、間接的にパーソロンの血の絶滅を救った。
産駒は気性荒いのに長距離でめちゃ強い。

スペシャルウィーク
世界の名牝シーザリオ、GI6勝ブエナビスタを輩出。直系にはクラウンプライドなど。
シーザリオがエピファネイア、リオンディーズ、サートゥルナーリアと大種牡馬3頭を産んだので今後半世紀はシラオキの血も安泰。

アグネスタキオン
ダイワスカーレット、ディープスカイなど。
ただ上記2頭も含め脚の弱さまで遺伝してしまったので後継は絶望的となる。アルクトス産駒次第。

ゴールドアリュール
エスポワールシチー、スマートファルコン、コパノリッキー、クリソベリル他多数。こいつの子供だけでGI41勝してた。
ダート界のサンデーサイレンス。

アドマイヤグルーヴ(牝馬)
ドゥラメンテの母。ダイナカール→エアグルーヴ→アドマイヤグルーヴ→ドゥラメンテで4世代GI制覇達成。

ダイワメジャー
アドマイヤマーズ、レシステンシア、セリフォスなど。とにかくマイルに強く2歳から活躍する馬が多い。

ハーツクライ
ジャスタウェイ、リスグラシュー、ドウデュース、サリオスなど。トニービンの血が入ってるからか産駒もトニービンっぽく、晩成で東京に強い馬が多いが、母親によっては早熟にもなる。

そしてディープインパクトは…

GI7勝三冠馬ジェンティルドンナ、そしてジェンティルドンナの2着をとり続けたヴィルシーナ、春天連覇のフィエールマン、GI6勝グランアレグリア、無敗三冠馬コントレイル、無敗でコントレイルを破ったレイパパレなどの父となった。

もう全部じゃん

どこ見てもSSとディープ。日本ではSSの血が入ってない馬の方が少なくなってしまった。この辺りで血統好きな競馬ファンは競馬をやめたことも多かったとか。

SS系の馬は繊細でピリピリしている馬が多いという。なので欧州の馬とは全然違うし、個人の見解にはなるが普段から気性の荒い短距離馬をゴリゴリ走らせてるオーストラリアの騎手は日本馬の扱いが上手い気がする。

非SS系の抵抗

SS系全盛期。しかし、こんな時代にもめげずに頑張った非SS系種牡馬はいる。

クロフネ
数代辿ればノーザンダンサー。カレンチャンやソダシを輩出。ちなみに馬主はディープと同じ金子さんなので、ソダシはもちろんディープの血が入っている。自身はダートで鬼のように強かったが、産駒は芝で強い牝馬が多め。距離適性もなんか短め。

シンボリクリスエス
2世代上を辿ればディープと同じ家系。
ヘイルトゥリーズンから派生したロベルト系のボリクリは、サクセスブロッケン、ルヴァンスレーヴ、エピファネイアなどの父となった。

まあサクセスブロッケンは母父がSS、ルヴァンスレーヴも母の祖父がSS、エピファネイアも祖父SSなんですけどね。もう逃げられない。

キングカメハメハ

これもディープ同様金子さんの所有馬。種牡馬として成功したおかげで、日本はサンデー時代になりつつも二強を保てている。
三冠牝馬アパパネ、海外GI馬ルーラーシップ、世界のロードカナロア、ホッコータルマエ、チュウワウィザードを輩出しているが、チュウワは母父がデュランダル(SS系)。

そしてアパパネの子アカイトリノムスメは父ディープ、ルーラーシップの子キセキは母父ディープ。

年を経れば経るほどSSが濃くなっていく現象。
わずか10年で全競走馬の大半をSSの血が占めるようになっていった。

⑦15〜 現行世代

ディープも最近いなくなったので、ここからは現役でバリバリ頑張ってる種牡馬を紹介したい。

もちろん日本の血統はSSとディープにボコボコにやられてしまい、もう逆にSSが日本の原点になりつつあるので、SS視点で解説していく。

こちらが2022年のJRAリーディングサイアーランキング。
JRAで賞金を稼いだ全ての馬たちの父親の中で、最も賞金を(産駒が)稼いだのは誰だったのかがわかるランキングだ。

ディープが10年連続1位というSS大国らしい結果になっているが、その他の馬も見ていくことで今の競馬の情勢がわかる。

現行世代の人気種牡馬たち

まずは2位から。

ロードカナロア
世界のロードカナロア。競走馬としては芝スプリントGI最高峰の香港スプリントをレコード勝ち&連覇している。

キングカメハメハの産駒。現行の主力種牡馬で唯一SSの血が入ってない。

種牡馬成績も世界レベル。九冠馬アーモンドアイと芝ダート国際GI両制覇の怪物パンサラッサを産み落とした。他にもサートゥルナーリアやダノンスマッシュなど。自身はスプリンターながらマイル〜中距離で強い馬が多い。

(3位はハーツクライなので割愛)

キズナ
4位はディープ産駒。まだGI馬はソングラインなど牝馬だけだが、牡馬も春天2着のディープボンドや、海外遠征に強いバスラットレオンなどもいる。爆発力より安定感という感じ。

ドゥラメンテ
神。キングカメハメハ産駒で祖母エアグルーヴ。日本競馬の結晶みたいな血統。
自身は二冠馬で暴力的な強さもあるのに成績は安定している異次元の馬だったが、種牡馬としてもそれは変わらない。3世代がデビューしててGI馬は既に5頭。これからも増加予定。

だが2021年、たったの5世代を遺して夭折。ウマ娘から競馬を始めた人でもこのニュースは記憶に新しいと思う。

(6位はキングカメハメハなので割愛)

ルーラーシップ
7位もキングカメハメハ産駒。しかもエアグルーヴの子なのでドゥラメンテと似たような血統。自身は出遅れ癖が凄かったが、産駒はむしろスタートが上手い馬も多い。全体的に晩成傾向で、本格化したら連勝が止まらない印象。

モーリス
8位はグラスワンダーの孫。自身はマイル〜2000mの日本と香港のGIをほぼ制覇したが、産駒は2500くらいまでならなんとか走れる。2歳では壊滅的に弱いが、4歳あたりから覚醒しがち。気性の荒い馬が多く、その気性を飼い慣らせるようになって覚醒する印象。

エピファネイア
9位はシンボリクリスエス産駒。ジャパニーズスーパースター、シーザリオの子。

代表産駒はデアリングタクトとエフフォーリア。父同様強い産駒は道中掛かり続けながら勢いだけでぶっちぎりがち。でも掛かるほどの前向きさが枯れると本当に走らなくなる。全盛期は2〜4歳春までという印象。

(10位はダイワメジャーなので割愛)

オルフェーヴル
ステイゴールド産駒。三冠馬ながら本当はダートで強かったのでは説が囁かれていた本馬の産駒はダートと芝長距離で強い。

こちらも2歳シーズンは壊滅的だが4〜5歳から手の付けられない強さになり、行くところまで行くと海外のハイレベルGIにすら手が届くようになる。安定感はまるでない。爆発力全振り。

ヘニーヒューズ
ノーザンダンサー系ストームキャットの孫。シニスターミニスター、パイロと並んで日本のダート競馬を支える三大種牡馬(勝手に呼んでるだけ)の一角。早熟で3歳でも強く、強い馬は一度伸び悩むものの古馬になってもう一度咲く印象。産駒に外れが少ない。

ハービンジャー
ノーザンダンサー系デインヒルの孫。英GIキングジョージを11馬身差圧勝した馬なのでスタミナとパワーが持ち味。札幌や馬場が重い時の阪神や中山で強い馬が多い。スピードが出る馬場だとキレ負けしがち。

キタサンブラック
神。期待を超えることしかできない馬。
ディープの全兄の子の割に自身は逃げ先行戦術を得意としていたが、産駒はSS系特有の瞬発力とキレのある馬が多い。関係者曰く種牡馬SSの正当後継者と言われている。ガイアフォースみたいなスタミナ型からダート馬まで幅広い。

スクリーンヒーロー
グラスワンダー産駒でモーリスの父。
2〜3歳時点でもそこそこ戦えるし、古馬になると本格化する馬が多い。長期に渡って走り続けられる故障の少ないタフな馬が多い。

さらっと15位まで紹介した。

SS系が6頭、キングマンボ系が4頭、ロベルト系が3頭、ノーザンダンサー系が2頭(ストームキャット系とデインヒル系)。

だいたい日本で走る血統はこれらとエーピーインディ系、ミスタープロスペクター系(特にエンドスウィープ系とか)に集約される。ここら辺覚えとけば走る血統は大体わかる。

あとは芝もいけるダート種牡馬ドレフォン(ストームキャット系)
牝馬は芝短距離、牡馬はダートで強いという謎の特徴があるミッキーアイル(父ディープ)
やたらとダート馬出すジャスタウェイ(父ハーツ)
本格化すると止められないダート種牡馬シニスターミニスター(エーピーインディ系)
長距離で強いゴールドシップ(父ステゴ)
地方で強いパイロ(エーピーインディ系)
GI馬誕生目前のホッコータルマエ(父キンカメ)
芝短距離界の新星ビッグアーサー(父サクラバクシンオー、テスコボーイ系)
1年目からGI馬出したマインドユアビスケッツ(フレンチデピュティ系)

などが有力どころだろうか。サトノクラウンも結構調子がいい。

コントレイル、サートゥルナーリア、ルヴァンスレーヴ、ブリックスアンドモルタル、カリフォルニアクロームもこれから産駒がデビューする期待値高めの種牡馬だ。

ここらへんに注目して日本競馬を見ていくと楽しいかも。

おまけ:海外(欧州)

いずれどこかで紹介すると思うが、日本競馬の主流血統は欧州競馬と全く違う。血統ごとに走り方の傾向も異なり、体質も異なるため、馬場が変わると走る血統も変わってくる

日本競馬には明確な分岐点が存在する。
それは90〜00年代の馬場大改造期(勝手にこう呼んでる)。

オグリキャップの時代は芝とは言えないレベルのものだったが(当時の有馬とか見ると砂埃すごい)、オーバーシードという技術や造園のノウハウが蓄積され、いつでも綺麗な馬場を保てるようになった。なので地面を掻き込むような馬ではなく、ディープやウオッカみたいな「地面を跳ねるように蹴る馬」が強くなれた

たぶん80年代にディープが生まれてたらあんなに勝ててなかっただろう。

その馬場大改造期で日本競馬内で淘汰されたのが欧州由来の血統。特にアローエクスプレスやタマモクロスなどに代表されるグレイソヴリン系、セイウンスカイなどのハイペリオン系がごっそりいなくなった。そしてほぼ全てが米国由来のスピード血統に変わった。

一方で欧州の馬場はほとんど変わっておらず、向こうはずっと中長距離ではスーパークリークやメジロマックイーンみたいなスタミナとパワーのある馬が強い。

欧州の主流血統はノーザンダンサー系。サドラーズウェルズという大種牡馬からガリレオ→フランケルと親子3世代に渡ってリーディングサイアーを何年も獲得している。

日本もサドラーズウェルズ直系のテイエムオペラオーが無双した時代はあったが、同じく直系のメイショウサムソンの頃(2007年頃)になると重馬場でしかベストパフォーマンスを発揮できなくなり、現在はガリレオ産駒が日本でデビューしても絶望的に走らない。

実際、サドラー系の馬は欧州でのみ強いケースがほとんどで、その他の国では稀に見る程度。

ここでも書いたが欧州だけ馬場が違うので、きっとそういうのも影響している。

対してアメリカ血統由来の欧州馬ドバイミレニアムの産駒ドバウィ系は世界中で結果を出していて、欧米だけでなくオーストラリアや香港でもGI馬が多数生まれている。
ドバウィ系のベンバトルという馬が最近日本に輸入されたので、この産駒が日本での適性を確かめる試金石になる。

ここで言いたいのは米国血統こそ至高とかそういうことではない。むしろ欧州血統は日本競馬に必要不可欠だ。

父が欧州血統だと中々走らない日本馬だが、母の父が欧州血統だとどういう訳か強くなる。母父モティヴェーターのタイトルホルダー、母父ファルブラヴのハープスターなどが代表例。

ここには配合理論などが絡んでくるので詳しい説明は省くが、マルゼンスキーやキングヘイローの直系が繋がらなかったのに血統表で嫌というほど名前を見かけるのは偶然ではないだろう。サトノクラウンもそうなるかも。


じゃあ海外で日本の血統はどうなっとんねんという話はあらかた上の記事で触れたが、欧州に関しては触れていない。

実は今、欧州でディープインパクト産駒が密かに流行っている
以前から欧州の名伯楽エイダン・オブライエン調教師がディープの血を欲し、定期的にディープ産駒を走らせていた。

そして生まれたGI馬サクソンウォリアーが種牡馬入りし、ついこの間産駒のヴィクトリアロードがGIブリーダーズCジュベナイルターフを制覇した。

ディープ産駒最後の世代のオーギュストロダンも欧州2歳マイルGIを制覇しており、2000ギニー制覇も期待されている。

こんな風に、日本土着の血統が長年育っていなかった状態から、サンデーサイレンスやディープインパクトが日本近代競馬の始点となりつつあるのだ。

日本の血統を辿っていったら海外の歴史的名馬に辿り着く時代が、もうそこまで来ているのかもしれない。

まとめ

お分かり頂けたでしょうか。

いかにして日本古来の血統が淘汰されてきたか、そしてSSがいかに異常か。

SSのせいで零細血統がどんどん無くなっていったのも事実だし、SSのおかげで日本競馬のレベルが高くなったのも事実です。

ここまで血が広がった以上、もう日本の競走馬からSSの血は消えません。恐らく100年後もどこかでSSの血が入った馬がGIバンバン勝ってます。

一方で牝系は残っているものも多数あります。2024年からダート三冠が施行されますが、そこで大活躍しそうなダート種牡馬ルヴァンスレーヴとチュウワウィザードは「ファンシミン系」と言われる社台グループが力を入れてきた牝系。このファミリーからダート界を変える名馬が生まれてきてもおかしくありません。

SSまみれの日本の血統をつまらないと見るか面白いと見るかはあなた次第。
そしてウイポでSSをいなかったことにしてプレイするのもしないのもあなた次第。

さあ、みんなでウイニングポスト10をプレイしよう。体験版は3月19日解禁。

それでは。(以上コーエーテクモの回し者でした)

コメント

  1. わかりやすかった。

  2. 勉強になりました!

  3. ゴチャゴチャしててよく分からなかった部分が丸ごとスッキリした!

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