ウマ娘で学ぶ競馬史 #08 不屈の帝王伝説 (1993〜94)

※本記事は2021年6月13〜17日にnoteに投稿した記事を再構成したものです

みなさん、ウマ娘やってます?

タイシンって、かわいいですよね。
自分としてはちっこいキャラは守備範囲外だったのですが、育成シナリオ、性格、声、解像度の高い絵師さんの二次創作を見て完全に沼に落ちました。
やはりツンデレは世界を救う。

タイシンたちのために課金した金がウマ娘の品質向上に繋がっているなら痛くないし、そしてCygamesは我々から巻き上げたお金で競走馬を買うと。じゃあ実質無料じゃん。

未来の名馬(馬主:藤田晋)に思いを馳せて、本編へ参りましょう。#ドーブネ #ジャングロ #チャンスザローゼズ #スキアラバコビウリ

今回は1993年。アニメ2期最終盤。いよいよBNW、そしてアニメに出られなかった牝馬たちのクラシック。テイオーとマックイーン、2頭の王者の行方はいかに。

この時代を描いたウマ娘作品

・アニメ『ウマ娘プリティーダービー Season2』
7話〜13話

・アプリ『ウマ娘』
メインストーリー第2章9話〜3章13話

前年のあらすじ

1992
  • 4月上旬
    帝王復帰

    故障明けのトウカイテイオーは大阪杯をノーステッキで快勝。帝王健在を証明した。

  • 4月下旬
    TM対決

    連覇を狙うメジロマックイーンと無敗継続を狙うテイオーが天皇賞(春)で激突。マックイーンに軍配が上がったが、テイオーはレース後、マックイーンは次走の調整過程で骨折が判明。休養となった。

  • 5月
    二年連続の無敗二冠馬

    ミホノブルボンが朝日杯からGI3連勝で無敗二冠を達成。三冠が期待された。

  • 6月
    メジロの春ふたたび

    天皇賞のマックイーンに続いて、宝塚記念はメジロパーマーが勝利。人気薄の逃げ切り勝ちとなった。

  • 11月上旬
    大荒れの天皇賞

    テイオーの復帰戦となった天皇賞(秋)はメジロパーマーとダイタクヘリオスが作り出したハイペースで先行勢総崩れ。勝ったのは後方で待機していたレッツゴーターキンだった。

  • 11月上旬
    ライスシャワーが菊花賞制覇

    無敗三冠が期待されたミホノブルボンを差し切り菊花賞を制覇したのはライスシャワー。ブルボンはその後故障で引退となった。

  • 11月下旬
    ダイタクヘリオス、マイルCS連覇

    史上2頭目のマイルCS連覇。イクノディクタスに競りかけ、そのまま先頭に立ち粘り切った。

  • 11月下旬
    ジャパンカップ親子制覇

    史上3頭目となる日本馬によるJC制覇を達成したトウカイテイオー。父シンボリルドルフ以来の快挙となった。

  • 12月中旬
    天才少女、短距離に咲く

    桜花賞馬ニシノフラワーはエリザベス女王杯(2400m)3着からスプリンターズSに直行し、なんと勝利。強行ローテをものにした。

  • 12月下旬
    大番狂わせの春秋グランプリ

    メジロパーマーがまたまた逃げ切って有馬記念を勝利。テイオーは馬群に沈み、またも長期休養に入った。

宿る“鬼”

93年、春。空白の92年になんとかパーマーが繋いだ勝ち星を力に、メジロ最強馬が舞い戻る。

前走から約10ヶ月。昨年テイオーが勝った大阪杯の舞台に、骨折を乗り越えたマックイーンがいた。

ライバルが地の果てまで駆けた場所で、マックイーンは翔んだ。

2着のネイチャに5馬身差、レコード勝ち
もう後は走りきるのみ。敵は己自身。

天皇賞(春)

3週間後。淀の舞台は絶好の晴天だった。
大衆の本命はマックの春天3連覇&武豊の春天5連覇

武豊はスーパークリーク、イナリワン、マックイーン×2で天皇賞春を初挑戦から4連覇している。中々クレイジーな記録だ。

完全にマックイーン陣営に追い風が吹いているので、単勝も1.6倍と圧倒的人気だった。

一方で、打倒マックに燃えていたのが…

鬼宿りライスシャワー
©2018 アニメ「ウマ娘プリティーダービー」製作委員会

ライスシャワーだった。

ライスは単勝5.2倍とマックから大きく離された2番人気。日経賞1着からの臨戦過程でこれだからいかにマックが期待されていたかがわかる。

この日の為に陣営は「やり過ぎ」とも言えるハードな調教を重ねた。ただでさえ小柄なライスが、日経賞から1ヶ月で12kgも落とすほどのトレーニング。

鞍上の的場均が「初めて馬を怖いと思った」と語るほどに極限まで削ぎ落とした肉体。さながら肉食獣のような気迫。
周囲の馬はただものではないその馬の気配に慄いた。

一方、アニメウマ娘ではゲート前でマックが自分自身のしっぽ引っ張って「前に進めない!」というめちゃくちゃシュールな光景が展開されていた。史実は騎手が引っ張ってゲート入りせようとしてた。そりゃそうよ。

これはライスの気迫に押されたからかと聞かれると、そうとは言えない。

マックは年齢を重ねるごとに気難しくなっていき、徐々に騎手や調教師の言うことを聞かなくなってきていたらしい。大阪杯の調整過程でも調教を嫌がりながらなんとか坂路を走らせていた。この一件もそれの表れだろう。

なんとかマックがゲート入りし、レースはスタート。


レースは予想通り4番人気のメジロパーマーが引っ張る展開に。4番人気でも前走は阪神大賞典レコード勝ち。どこまで期待されてないんだ…

パーマーは強い競馬をした。
第4コーナーまで全く先頭を譲らず、最後の直線に入って急速にペースが上がる中、それでも粘っていた。本来なら勝ち切ってもおかしくない展開だ。

残り200mマックイーンと並び、ほんの少しマックが抜け出す。

しかしその数完歩先には、あの黒き影があった。

背水の陣で挑んだ、極限仕上げのライスシャワー。メジロの血を以てしても勝てないほどのスタミナ。

4着マチカネタンホイザと3着パーマーの差は6馬身。ステイヤー達の熱い頂上決戦となった。

2つ目のビッグタイトル。ブルボンを破ったあの日から続いた呪いを振り切った。しかし…

実況は言った。「関東の刺客」と。
人々は言った。「レコードブレイカー」と。

マックイーンと武豊ファンの悲鳴で溢れた淀のターフに、彼らの実力を正当に評価する者はそう多くなかった。

宝塚記念

最初は「ライスが強かった」より「マックイーンが衰えたのか」という声が多かった世間。

しかしマックは続く宝塚記念でずっと外につけそのまま外を回して余裕勝ち。

もちろん有力馬が軒並み回避でメンバーが薄い&メジロパーマー絶不調も理由ではあるが、それにしても完勝。
マックは気性の問題もあって、キャリア後半は長距離より中距離向きになっていたのかもしれない。

これにあんな差を付けて勝ったライスって相当強かったんじゃね…?と騒がれだすが、ライスは長期休養明けの秋競馬で嘘のような大敗を繰り返す。

善戦できていれば評価も変わっただろうが、結局「ブルボンとマックの夢を砕いた馬」としか見られなかった。

二強対決?

テイオーがまた離脱し、中長距離は層の薄くなった古馬戦線。
その穴を埋めるように若駒たちが暴れだす。

1993年、3歳春のクラシック戦線は“BW”の2強になると予想されていた。

関西期待の新星はトニービン産駒。
ホーリックスのJCで骨折し、日本で種牡馬入りしたあの馬の初年度産駒がBWのW、ウイニングチケットだった。

新馬戦(芝1200)こそ距離が合わず負けたものの、1週間後に1700mの未勝利戦を余裕勝ち。
続く1勝クラスも快勝、年末のホープフルS(OP戦)でも3馬身差で勝利していた。

今でこそ違和感が無いが、当時の強い2歳馬は朝日杯かラジオたんぱ杯(現ホープフルS)に出るのが正当なローテ。
チケゾーがただのオープン戦で2歳シーズンを終えたのには理由がある。


競馬の世界では、馬だけでなく騎手にもスポットライトが当たる。
トップジョッキーとされる者はみな「日本ダービー制覇」を目指している。

そして、騎手にダービーを取らせるために頑張る陣営もいる。アイネスフウジンがそうだったように。

当時中央競馬を牽引していたベテランジョッキーは、関東ならルドルフの岡部幸雄、関西ならラモーヌの河内洋だった。2人とも引退時には2000勝を達成している。
歴代中央2000勝ジョッキーは22年現在で8人しかいない。

そんな後の2000勝ジョッキーと同等に評価されていたのが、若手なのに兄弟子の河内騎手より勝ちまくっていた武豊(後の4000勝男)と、岡部騎手のライバル、柴田政人だった。

岡部騎手と柴田騎手は真逆のスタンスながら芯の部分は似ており、だから仲が良かった。

岡部さんは合理主義の人だった。
例えばGIで騎乗依頼が5頭から来ていたとしたら、それらの馬を総合的に分析し「最も勝てそうな馬」に乗る。メジロアルダンの主戦だったのにヤエノムテキに乗ってアルダンを負かして天皇賞を制覇したりとか。
これは彼の実力と人柄が伴っていたから出来たことであるし、むしろ「岡部に選ばれる」ことも競馬関係者にとって大事なことだった。

一方、柴田騎手は義理人情で生きているような熱い日本男児。どんな有力馬の依頼が来ても、昔からの縁がある厩舎の馬を優先して乗った。それのせいでルドルフとブライアンの騎乗機会を逃したこともある。三冠馬を2頭も見逃してしまっていたのだ。

幾つものGIを勝ってきた柴田騎手だが、ダービーだけは勝てていなかった。全ての騎手が憧れるダービー。ミホシンザンが故障して最大のチャンスを失い、それ以降も勝てないでいた。

さすがに焦っていた。ミホシンザンで二冠を手にしてから早8年。45歳。もう先は長くない。
「ダービーに勝ちたい…」
そう口にする機会が多くなってきていた。

そんな彼に救いの手を差し伸べたかったのがチケゾーの伊藤雄二調教師。ウマ娘になった馬を多数管理しているレジェンドで、武豊を愛してやまない人だった。

伊藤師はチケゾーに柴田騎手を乗せたかった。

チケゾーの血統は、前向きな気性が持ち味であり、欠点でもあった。
抽せん馬として初めて八大競走を制覇した名牝スターロッチ(それも3歳で有馬記念)の牝系。この牝系の馬は調教師の育成方針によってその後の距離適性や脚質が大幅に変わる馬が多かった。(なおサクラユタカオーは例外で、気性が穏やかだったという)

前進気勢をそのまま全面に押し出すと短距離志向になり、サクラシンゲキに代表されるような逃げ脚質になりがち。一方、折り合いを学べばサクラスターオーのように3000mも走れる強い差し馬になる可能性も秘めていた。
今でいうエイシンフラッシュ産駒と傾向が似ているように思う。(前者がタマモメイトウ、後者がヴェラアズール)

スターロッチ牝系にノウハウのあった伊藤師は、この血統の馬の特徴を熟知している腕利きの騎手であれば、この馬をダービーに連れて行けると考えていた。

あのじゃじゃ馬イナリワンで有馬を制覇し、スターロッチ産駒でチケゾーの祖母にあたるロッチテスコの主戦だった柴田政人なら、きっと乗りこなせるし、ダービー勝利も夢ではない。

だがなかなか予定が噛み合わないし、なにより本人が乗り気でない。
伊藤厩舎は栗東、柴田騎手は美浦。ローテの調整などが大変になるのではないかという不安があった。

んなことどうだっていいからとにかくチケゾーでダービーを勝って欲しかった伊藤師はラジオたんぱ杯を蹴ってまでチケゾーを中山遠征させ、柴田騎手の都合に合わせた。

これに折れた柴田騎手は晴れてチケゾーの主戦騎手となったのだった。

馬の方はとにかく順調で、折り合いも上々。年明け弥生賞(ここでも中山遠征)を2馬身差と、皐月賞のトロフィーはもう目前という感じ。

格の違う末脚と優等生な勝ち方で三冠を狙っていた。


そんな彼らに立ちはだかるのがBWのB。美浦所属の早田牧場生産馬、ビワハヤヒデ
ウマ娘でいう顔デカ炭酸抜きコーラ(バナナがだいすき)だった。

ウマ娘をプレイしてると「こいつそんな顔デカくなくね?」って思う時もあるだろう。
これは実際にそうで、「顔がデカい」というより「顔周りだけ白すぎて目立つからデカく見える」のだ。
ウマ娘でも髪の毛の影響でデカく見せてるので、そのへんしっかりしてるな〜と思う。

ビワはダイタクヘリオス主戦の岸騎手を鞍上にデビューすると、新馬戦は大差勝ち、続くOP戦とウマ娘民にも馴染み深いデイリー杯(当時は芝1400)をレコード勝ち

(赤メンコしてるとそんなに顔デカく見えないなあ…)

芦毛なので「オグリキャップの再来」と囃し立てられるようになる。実際負けず劣らずの名馬になるのが彼の凄いとこ。

しかし、朝日杯で外国産馬エルウェーウインに僅差負け、共同通信杯でも同じような負けが続くと、岸騎手は降板。馬主が熱烈オファーして自ら頭を下げに行き続けた岡部騎手が折れ、晴れて主戦となった。

乗り替わり初戦の皐月賞トライアル、若葉Sでは、鞭を1発も入れずに2馬身差を付けて勝ってしまう。

岡部は「うーん、もっと厳しいレースをさせたかったんですけどね…」と、まるでなろう系主人公のようなコメントを残した。
これで皐月賞はBWの二強対決になると思われたのだった。

二強から三強へ・皐月賞

迎えた皐月賞はここまでほぼ無敗のチケゾーが1番人気、全戦連対のビワハヤヒデが2番人気。3番人気以降は大きく離れていた。

レースは例年よりややスロー。
これはビワハヤヒデにとって最高のレース展開だった。
岡部騎手の十八番ともいえる前めに付ける競馬で楽に走り、後は最後の直線で粘るだけ。

対してチケットは苦戦を強いられた。弥生賞後にソエ(骨膜炎)の気が出て調整が乱れ、集中力を欠いていた。
道中はダービーを見据え馬群の中に入れて競馬をしたのが逆効果だったのか、やや興奮気味に追走。直線に入る頃には弥生賞ほどの余力が残っていなかった。

BWが互いに牽制をしあうも、ビワハヤヒデの方が遥かに優勢。
勝負は決した。そう思われたが…

時間が止まったように見えた。
その刹那、ビワハヤヒデの粘りを外から切り裂く。
人はそれを“鬼脚”と呼んだ。

鬼脚の申し子

ナリタタイシン

ナリタタイシン(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=naritataishin
世代1993
血統父 リヴリア(ナスルーラ系) 母父 ラディガ(リボー系)
成績15戦4勝[4-6-1-4]
主な勝ち鞍皐月賞 目黒記念 ラジオたんぱ杯3歳S
主な産駒ファヴォリート(新潟ジュニアC)

(クリスマスサポカの説明文がポエムすぎてBUMP OF タイシンって言われてるのすき)

タイシンは6月生まれ。これは馬にすると相当遅生まれだ。馬の成長スピードはだいたい人間の4倍と言われている。幼少期〜成長期はなおさら。1〜2月生まれの馬たちとは人間換算で1歳以上の差はあっただろう。

タイシンが生まれた6/10以降に国内で生まれ中央GIを制した馬は両手に収まるくらいしかいない。それ程までに格差は大きい。(芝の古馬GI勝者は6/12のダイユウサク、クラシックでは6/18のアグネスフローラが最遅)

そんな遅生まれタイシンはもちろん期待されておらず、身体も小さかったので牧場関係者は不安を寄せたが、オースミロッチやナリタハヤブサで知られ、後にナリタブライアンやナリタトップロードで競馬界にその名を轟かせる山路秀則オーナーが競り落とし、競走馬生活をスタートさせた。

馬主の冠名「ナリタ」と、この馬の母の名前「タイシンリリイ」から「ナリタタイシン」と命名。

安直すぎんか?とお思いかもしれないが、ナリタブライアンも全く同じ命名方法である。(父ブライアンズタイム)
タイシンの父はリヴリアなのにあえて母から命名したのは、皐月賞でミホノブルボンの2着に食い込んだ「ナリタタイセイ」にあやかってのものかもしれない。

どうにか中央の競走馬になれたタイシンだが、めちゃくちゃ気性が荒く、調教中に乗った人を落とそうとしたり、目を離したら厩舎に帰ろうとしたり、急にふて寝しだしたりとなかなかフリーダムな馬だった。

気性が荒く、牝馬並の華奢な身体。これで果たして勝てるのかと疑問視されたが、丁度パーマーで宝塚を制した頃の大久保正陽師は、彼の身体の柔らかさに注目した。

「このバネがあれば、とんでもない末脚が炸裂するのではないか」と。

しかし、この華奢な身体ではトップスピードは長くはもたない。一瞬のキレを武器にしようと、ベテランの清水英次騎手とともに追込馬として才能を開花させようとした。


最初のうちは走り方が掴めず負けを繰り返すも、徐々に才能を開花させていく。
最初の栄光はラジオたんぱ杯(現ホープフルステークス、当時GIII)。

内に切れ込む鋭い脚で差し切り勝ち。
身体こそ小さいものの、ポテンシャルは相当なものを秘めていた。

タイシンは身体が華奢なため、馬群を割って突き抜ける競馬ができないのが難点だった。年明けのシンザン記念、弥生賞は2着に敗れたが、弥生賞から乗り替わった武豊は彼の才能を見出した。

「この馬は溜めれば溜めるほど強い」

そう信じたから、スローな皐月賞でも後方待機を徹底した。

そして最終直線で外を回し一気に全てを解放。次元の違う末脚を炸裂させた。
小さな身体で手にした栄冠は、何より大きく輝いた。

かくして“BW”は“BNW”の三強となった。

全てはこの一瞬のために・日本ダービー

予想外の伏兵に肩透かしを喰らったBW両陣営。元々武豊への乗り替わりを提案していたビワハヤヒデの浜田調教師は「やっぱ豊じゃん」と思ったことだろう。

残るはダービー。柴田政人にとって19回目のダービー挑戦。きっとこれが最後のチャンス。

この時ばかりはマスコミの取材を断り、皐月からダービーまでの1ヶ月間、ひたすら自分を追い込んだ。


騎手にとって、ダービーは最大のステータスだ。

柴田政人が師と仰ぐ野平祐二元騎手は、シンボリルドルフの母父スピードシンボリで幾度も海外遠征。KGVI&QESでは5着と大健闘した。
そんな野平師の心残りは、ダービーを勝てなかったことだった。

欧州遠征時にゴードン・リチャーズという名手に出会った野平元騎手は、彼の自己紹介を聞いて衝撃を受けたという。

リチャーズの自己紹介を聞いて、鼻の奥がチーンとしました。(中略)「ピンザで英国ダービーを制覇したリチャーズです」と口にしたからです。そのリチャーズの言葉に、英国ダービーの重みと個人の名誉、勝ち馬の名誉、言い換えれば、英国競馬の伝統と輝きに、心身ともに魅せられたのです。

野平祐二

リチャーズ元騎手は英国リーディングを26回獲得、当時の欧州競馬最多となる年間259勝、イギリス競馬史上最多となる通算4870勝、王室から騎手として唯一の“ナイト”の称号を授与されるなど伝説的な騎手なのだが、そんな彼でもたった一度のザ・ダービー制覇を何より誇りに思っていたのだ。

柴田騎手もこれと似たような経験をした。
豪、英、仏、米と遠征をした柴田騎手。日本のトップジョッキーとして遠征すると、やはりどこでも「ダービーを勝っているのか?」と聞かれたという。その度に悔しい思いをしてきた。

アローエクスプレスで、ミホシンザンでダービーに乗れなかったこともあり、ダービーにかける思いは誰よりも強かった。

そして迎えた日本ダービー当日。
一番人気はウイニングチケットだった。

柴田は数年前からずっと「ダービーを勝ちたい」と公言していた。その想いを競馬ファンは知っていて、「今日は政人に勝ってほしいから応援馬券だ」と、チケゾーの単勝を握りしめた人も多かったとされる。(パドックのチケゾーがガチガチに仕上がってた事も大きいが)

皐月賞1着馬が3番人気なのも不憫っちゃ不憫だが仕方ない。

野平師は柴田騎手を「過去に世話になった義理とかを守ってばかりで、走らない馬、ダメな馬ばかりに跨っている、妙な男」と評した。

その義理人情がみせたドラマが、数字ではなく、記録ではなく、記憶として確かに強く刻まれた。

これまでの経験が、彼らを導いた。

ビワハヤヒデの後ろにつけ、中団やや後方でレースを進める。そして4コーナーを回り、直線に入った時。

眼前に飛び込んできたのは、ぽっかりと空いた進路だった。

「勝つには今しかない」

柴田政人は早めに仕掛けた。
先頭に立った状態で、誰よりも早く鞭を入れた最終直線。

皐月賞の時とは比べ物にならない手応えを馬から感じていた。陣営の努力の結晶が、勝利を寸先まで手繰り寄せはじめていた。

しかし、後ろからビワハヤヒデとナリタタイシンが来ている。

「頑張れ!頑張れ!」
叫びながら目一杯に追った。
外にヨレるチケットを必死に矯正し、ビワハヤヒデと馬体を併せて最終局面へ。

絶対に負けたくない柴田政人。
初めての栄光を掴みたい武豊。
史上10人目のダービー2勝を叶えたい岡部幸雄。

一番強い思いが、レースを動かした。

勝利への片道切符

ウイニングチケット

ウイニングチケット(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=winningticket
世代1993
血統父 トニービン 母父 マルゼンスキー(ニジンスキー系)
成績14戦6勝[6-1-2-5]
主な勝ち鞍日本ダービー 弥生賞 京都新聞杯
主な産駒ベルグチケット(フェアリーS)
ウツミトップガン(盛岡・南部駒賞、オータムC) ウイニングマミー(北関東牝馬二冠) トサローラン(高知県知事賞)
母父としての産駒スマートオリオン(中京記念) ブラックシェル(NHKマイル2着) ドンプリムローズ(九州ダービー栄城賞)
主な子孫レイパパレ(大阪杯) シャイニングレイ(ホープフルS)

1/2馬身差。最後の最後は執念の勝利。
柴田政人とウイニングチケットが、ダービーを制覇した。

30年近く騎手をやってきて、ついに掴んだ夢の勝利。沸き立つマサトコールを、馬上からぼんやりと眺めていた。

勝利ジョッキーインタビューで聞かれた言葉。
「この勝利を誰に伝えたいですか」。

まだ勝利に浮かれて上の空だった彼だが、口をついて出た言葉があった。

「私が第60回日本ダービーを勝った柴田政人です」と世界中のホースマンに伝えたい

柴田政人

今までの悔しさ全てが報われた瞬間だった。
悲願の夢を、確かに手にした。多難な前途を、義理人情を貫いて打ち克った。

このダービーに込めた熱い思いが、ウマ娘版チケゾーにも引き継がれたのだ。(にしても泣きすぎだと思うんですけどね)

乗り越える強さ

こうして柴田政人はダービージョッキーになり、3強対決の軍配はウイニングチケットに上がった。

ビワハヤヒデ陣営は対策に迫られた。
負けた理由は瞬発力不足だと分析していた。

皐月賞、ダービー2着。埋まらなかった僅差を埋めるため、夏にあえて放牧せず、ハードなトレーニングを課した。

ミホノブルボンの戸山氏を倣ったトレーニングだ。スパルタ一直線である。

最初のうちは苦しんでいたものの、徐々に力がつき、調教タイムも大幅に更新した。

同時に取り組んだのがメンコを外す特訓だ。
ああ見えて臆病な性格の彼は、物音に敏感だったためメンコを付けていた。

しかし、そのままでは勝てない。騎手の指示に対する動きを敏感にする為にも、2週間かけて少しずつ物音に慣らしていき、完全に克服させた。

菊花賞

メンコを外してからの彼はとても強かった。
神戸新聞杯で快勝するとへ臨んだ。

最大の敵は京都新聞杯を勝ち進んだウイニングチケット。
ナリタタイシンは肺出血で体調を崩しており、とても戦える状況ではなかった。

ここでビワハヤヒデは覚醒する。

レースは逃げ馬不在。先頭が入れ替り立ち替りのスローペース。こうなるとチケゾーは厳しい。

早めにスパートをかけるも、前で折り合っていたビワは悠然と着差を広げていく。

今までの戦いが嘘のような、2着以下を子供扱いするような疾走。

ライスシャワーの執念の走りで刻まれたレコードを0.2秒更新する、5馬身差の余裕

三強の構図は、いとも容易くひっくり返った。

最優の兄

ビワハヤヒデ

ビワハヤヒデ(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=biwahayahide
表彰JRA年度代表馬(1993)
世代1993
血統父 シャルード(フォルティノ系) 母 パシフィカス 母父 ノーザンダンサー
半弟 ナリタブライアン
成績16戦10勝[10-5-0-1]
主な勝ち鞍菊花賞 天皇賞(春) 宝塚記念
京都記念 神戸新聞杯 デイリー杯3歳S オールカマー(GIII)
主な産駒ジェーピーバトル(盛岡・せきれい賞)
母父としての産駒マツノショウマ(金沢・百万石賞)

唯一の欠点だった瞬発力を克服したビワハヤヒデに死角はなかった。ここからが彼の本領。

マックイーンから受け継がれた芦毛伝説。ビワハヤヒデはその後継者になった。

その一方でナリタタイシンは長期休養に入り、ウイニングチケットも陰りが見えた。明暗が分かれた。

星彩と黎明

ここからはBNWが争う中で繰り広げられた、もう一つのクラシック戦線の話をしよう。

以前から日本の競走馬業界に旋風を巻き起こしていたノーザンテースト

金銀財宝と同じくらい貴重とされたノーザンダンサーの血。(諸説あり)その血がノーザンテースト(秋川理事長の元ネタ)を介して日本に広まり、優秀な馬が続々誕生。

国内で種牡馬入りしたトニービンらの影響も相まって新世代の競走馬の質が上がり始め、徐々に日本競馬のレベルが海外に近付きつつあった。

その中で競走馬達のパワーバランスも是正され始めた。
今回取り上げるのは、牡馬と互角に戦った女傑や、女帝たちの先駆けとなった時代の名牝たちである。


1993年の牝馬路線は、群雄割拠の時代だった。

阪神3歳S(現JF)が9人気-12人気-6人気で決まった大波乱の一戦だったので、本命不在のまま3歳に突入。桜花賞も大混戦かと思いきや、意外と上位ははっきりした。

2歳女王スエヒロジョウオーが8番人気で迎えた桜花賞。その出走馬を人気順に見ていこうと思う。

まずは1番人気から。

西の一等星

ベガ

世代1993
血統父 トニービン 母父 ノーザンダンサー
成績9戦4勝[4-1-1-3]
主な勝ち鞍桜花賞 オークス
主な産駒アドマイヤベガ(日本ダービー) アドマイヤドン(JBCクラシック3連覇)
アドマイヤボス(セントライト記念)
主な子孫ハープスター(桜花賞)
ブルーメンブラット(マイルCS) キストゥヘヴン(桜花賞) テイエムドラゴン(中山大障害)

もうネタバレしてしまっているが、文字数と展開の都合上許して欲しい。

アニメウマ娘には「ペラ」として登場しており(もうちょっとマシな名前無かったんか)
ゲームウマ娘には「ハープアルファ」として登場するベガさんだ。(そういうのでいいんだよそういうので)


肩書きを見ればわかる通り、一言で言えば「強かったけど惜しまれながら早くに引退し名馬をポンポン出した名牝」である。

主な産駒が全部アドマイヤなのは、アドマイヤの馬主さんがベガの子を全て買ったから。孫世代は社台グループがほぼ全て所有している。
その結果、アドマイヤベガがウマ娘に出てハープスターやベガが未登場という状況になった。今後の動向を待とう。

ウマ娘ファンに馴染みの深いアドマイヤベガ。
アドマイヤベガはウマ娘でも美人だが、実際も顔立ちの整った馬だった。

netkeibaトップの写真は横のトプロも抜けてグッドルッキングホースのため伝わりづらいが、顔の形と流星が整ってることはわかるはず。
これはさぞかしママさんも美形なのでは…?

ベガ(宣材写真)
引用:競走馬のふるさと案内所

あれぇ…?
実はベガは残念な見た目で有名だった。

顔の形は整ってるが、流星が曲がってて斑点が付いてて、ちょっと残念な見栄え。
マチタンが流星曲がってるだけで「ハナモゲラ」なんてあだ名を付けられるくらいだから、ベガは相当だったのだろう。
ベガ単体だと何も思わないけどアドマイヤベガ見ちゃうとそう思ってしまう。

せめてウマ娘に実名で出てくる時は美人になりますように。

ベガの母アンティックヴァリューは、社台グループが必死で購入したノーザンダンサー直系の繁殖牝馬。
前オーナーの吉田善哉氏が溺愛していた83年桜花賞馬、シャダイソフィアと血統背景が近い事もあり、かなりの期待を受けていた。
同じく社台が買った大種牡馬、トニービンと掛け合わせて産まれたのがベガ。強くならないわけがなかった。

しかし、懸念していた嫌なポイントが遺伝してしまう。

アンティックヴァリューは内向といって、生まれつき脚が内に曲がっていた。ベガがそれを引き継ぐどころかより酷い内向になってしまい、じっと見ると誰でもわかるほどだった。それも左前脚だけ。

こうなると普段の歩行にも影響を及ぼすし、競走馬になれるかどうかもわからない。なったとして常に故障の不安が付きまとう。

マルゼンスキーは誰もが認めるほど強かったが外向で、脚部への配慮からあまり鞭を使われなかった。(そこも含めて伝説)

外向だろうが内向だろうが、どちらにせよ競走馬にとって致命的なディスアドバンテージに変わりない。
「競走馬になれたら御の字」。そんな認識だった。

しかし、坂路調教をしてみると思ったより走れた上に、何回か続けるうちに動きが良くなってきて「これはいけるんじゃないか」と思えるまで好調に。賢かったからゲート入り試験も一発合格。デビューが決定する。

元々クラブ馬になる予定だったが、脚が曲がっちゃってるのでこれからどうなるかもわからないし、社台の吉田氏の奥様が所有することに。
お孫さんが顔の斑点を見て「星座みたい」と思い、皆の願いを叶えられるように、織姫星のベガと命名。なんて純粋な…


デビュー戦は調教師の厩舎の所属騎手が乗って2着。

後の未勝利戦もその騎手が乗るはずだったのだが、調教に遅刻したのでめちゃくちゃ怒られていた。そこにたまたま通りかかった武豊。また武豊。

で、豊さんがベガに乗り調教。調教終わりに一言。
この馬、オークス勝ちますよ

当時20代前半でこれ言えちゃうのマジでレジェンドって感じ。そりゃそんな事言われたら武豊乗せるし、そりゃ武豊が乗ったら2戦目も4馬身差で勝ちますよ。

しかしやっぱり脚の調子が崩れたため、しばらく休ませることに。オークスを目標に復帰を目指したが思ったより調子が上向いたため、チューリップ賞に出走。3馬身差で勝った。

これは桜花賞も勝てるのでは?と陣営は期待を膨らませる。が、この年は強者揃いだった。
2番人気はこの馬。

“究極”の子

マックスジョリー

世代1993
血統父 リアルシャダイ(ロベルト系) 母 マックスビューティ
母父 ブレイヴェストローマン(ナスルーラ系)
成績6戦2勝[2-2-2-0]
主な子孫ココロノアイ(チューリップ賞) ボヌールバローズ(笠松・ラブミーチャン記念)

父は豊の恋人とも呼ばれた桜花賞馬シャダイカグラを輩出したリアルシャダイ、母は牝馬二冠の究極の美女マックスビューティという、もはや牝馬三冠を勝つためだけに産まれてきたような血統。

母に騎乗した柴田政人を主戦にデビュー。OP戦での敗北や骨折に見舞われたこともあり、年末の阪神3歳牝馬Sは回避したが、それでも当時のレーティング(合同フリーハンデ)的にはスエヒロジョウオーと同じレート。1勝クラスを勝っただけでこれだ。相当に期待されていた。

十分に休みを取って5ヶ月。3月上旬のオープン戦、桜花賞トライアルのアネモネSで復帰。楽に勝てると思ってたら1馬身差を付けられ2着。
不安を抱えながら桜花賞本番を迎えることに。

アネモネSの勝者は3番人気だった。

ヤマヒサローレル

世代1993
血統父 ノーリュート(リュティエ系) 母父 フリートウイング(ナスルーラ系)
成績12戦4勝[4-3-1-4]
主な勝ち鞍報知杯4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー) サンスポ賞4歳牝馬特別(現フローラS)

シュヴァルグランのようなぶっとい流星を額に携えたヤマヒサローレルは、厩舎の方針で怒涛のハイペース出走に駆り出されていた。

11月デビューでなんと桜花賞までに8戦。月1.5回ペースで出走している。今の日本では考えられないローテだが、オセアニアでは常識の範囲内である。

4番人気マザートウショウはクイーンCを勝ち進んだが、この後取り上げる機会が無いため割愛。

5番人気がこの馬だ。

みちのくの美女

ユキノビジン

ユキノビジン(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=yukinobijin
世代1993
血統父 サクラユタカオー(テスコボーイ系) 母父 ロイヤルスキー(ボールドルーラー系)
成績10戦6勝[4-2-0-2]
主な勝ち鞍クイーンS

(最近の岩手育ち女子じゃ絶対言わねぇような言い回しばっか使う方言女子キャラになってしまったウマ娘ユキノビジンさんかわいいべ)

スーパーホワイト陣営の寵愛を受け育ったアイドルホース。

父は名種牡馬サクラユタカオー。母父ロイヤルスキーはエアジハードやアグネスタキオンの母父としても有名。ちなみにマルゼンスキーやニジンスキーとは全く関係ない。

父ユタカオーに似て端正な顔立ちと栗毛の馬体、そしてたてがみには厩務員さんお手製の白いリボンの編み込み。その綺麗さから人気に火がつき、美少女と呼ばれるようになった。

ちなみにユキノが日本初「GI勝ってないのに公式でぬいぐるみになった競走馬」らしい。相当人気だったのだろう。

この白リボンはウマ娘ではカチューシャに落とし込まれている。制作陣のこだわりがすごい。

ではここで実際のユキノビジンを見てみよう。現役時代の写真はメンコ付けたやつばっかなので、実際ビジンだったのかどうかわからない。

引退後の写真がこれだ。

ユキノビジンの大ファンの方と厩務員さんが結婚して生まれたのが優希乃さん。今では佐賀競馬の公式ライブに出演しており、タップダンスシチー鞍上佐藤哲三さんとよく共演している。

画像見てもわかる通り、確かに美人だ。そんなわけでウマ娘のユキノビジンかわいすぎないか問題を訴えたい。それ以上にスケート靴で走れるのか問題の方が大きいけど。
(追記:無事修正されました。ちゃんとした靴で走れてよかった)

ユキノは岩手出身だが、元より中央でデビューする予定だった。
馬主が希望していた久保田厩舎で面倒を見てもらう予定だったのだが、諸事情で厩舎の空きが無かった。

そこで馬主が「2歳の間はダートを走らせよう」と思い立ち、厩舎に空きが出るまで岩手の旧盛岡競馬場で走らせることになった。

盛岡は地方競馬で唯一芝コースがある所。実際調教とかで使ったかどうかは分からないが、色々と好都合だったのだろう。

ユキノは8月とかなり早めのデビュー。
ダート850mの新馬戦(そんなのあったんだ)で5馬身差で圧勝。
3週間後、距離延長し1420mで走らせると、同じく5馬身差で快勝。能力を見せつけた。

9月に入り、ビギナーズカップ(たぶんオープン戦)も楽勝。
10月に初めての重賞、南部駒賞(1600m)に挑むも、騎手の乗り替わりや重馬場、外枠などが災いして5着に沈む。

ここで馬主は、3歳からの転厩の関係や血統的にも明らかに芝向きなユキノのことなども総合的に考え、暫く休養させることにする。

復帰戦は2月末のクロッカスS(中山芝1600m)。
当初は岡部幸雄を主戦にする計画が立てられていたが、バッサリ断られてしまったためにテン乗りの名手安田富男に依頼。

一度も芝走ったことないし牝馬ということで10頭中9番人気。
しかし余裕の走りで岡部の乗った牡馬を抜かすと、2着に3馬身差を付けゴール。
一気にクラシック有力候補に名乗りを上げた。

いけると判断した陣営はトライアルレースには出さず、桜花賞本番まで調教に徹した。

そしてもう一頭。6番人気のこの馬までが三冠に絡んでくる。

砂の女王

ホクトベガ

表彰NARグランプリ特別表彰馬(地方競馬殿堂入り)
世代1993
血統父 ナグルスキー(ニジンスキー系) 母父 フィリップオブスペイン(ハイペリオン系)
成績42戦16勝[16-5-4-17]
主な勝ち鞍GI エリザベス女王杯
GII フェブラリーステークス
GIII 札幌記念 フラワーカップ
重賞(現JpnI) 川崎記念連覇 帝王賞 マイルチャンピオンシップ南部杯
現JpnII エンプレス杯連覇 浦和記念 ダイオライト記念

ユキノビジンと同じくダート出身…というより芝も走れるダート馬だ。

父ナグルスキーはダート馬を多数排出した種牡馬で、中でも強かったのがナリタハヤブサとホクトベガ。ちなみにマルゼンスキーの半弟。決して殴ることが好きなわけではない。

前述したマックスジョリーと同じ牧場で産まれたホクトベガ。たまたま付けた名前がベガと被った。


ジョリーが期待を背負っていたのに対し、ホクトベガは身体つきもパッとしないし、そんなに期待されていなかった。
しかも坂路調教を始めたら絶望的にスタミナがなく、「これ競走馬になれるのか?」と思うほど体力面で他の馬より劣っていた。

だが、トレーニングを重ねるうちに才能が開花したのだ。

それでもやっぱ不安感は拭えないので、芝より負荷のかからないダートでデビューさせた。

鞍上は加藤和宏。#2.5の某回し蹴り事件で被害をモロに喰らった騎手だった。(シリウスシンボリ主戦)

走らせてみると…

1200mで9馬身ちぎった

???????

いくら牝馬限定戦とはいえ規格外すぎる強さ。

上がり3ハロン(最後の600m)で他の馬は40秒くらいで走ってるのを、1頭だけ38秒5で駆け抜けた。ちなみにこのタイムは当時オープンクラスでも普通に通用する速さだったという。

次戦は1勝クラスの朱竹賞。初めての牡馬との対戦。

雨で不良馬場だったのと新馬戦から連戦だったこともあり、半馬身差で敗れる。それでも3着との差は9馬身あった。

1ヶ月後のカトレア賞を楽に勝つと、陣営はホクトベガを芝牝馬GIII、フラワーカップに挑戦させ、無事勝利した。

有力馬がいなかったとはいえ、初の芝で勝利。桜花賞まで2週間。英気を養った。

西の星か、東の星か・桜花賞

迎えた本番。仁川の舞台に未来の名牝が集う。

1番人気は栗東所属、西の一等星ベガ。
2番は同じく栗東、期待の良血マックスジョリー。
3番人気も栗東、5ヶ月で8戦したヤマヒサローレル。
4番人気に美浦、GIII3勝マザートウショウ。
5番人気は美浦、岩手の美女ユキノビジン。
6番人気も美浦、東の一等星ホクトベガ。

阪神競馬場で行われるGI。当時は輸送技術も今みたいに進歩していなかったこともあり、国内でも輸送疲れは顕著に現れた。(今でももちろんある)
判断材料が少ない3歳馬のGI戦なので、栗東勢が推されるのは当然の流れだった。

注目されたのはベガVSベガの対決。
そしてジョリーの親子2代桜花賞制覇。

夢の扉が開かれた。

それは、鮮やかな走りだった。

道中2番手から仕掛け、そのまま粘った。理想的なレース展開で武豊は2度目の桜花賞制覇。この翌週にタイシンで皐月賞を制している。天皇賞でマックが圧倒的1番人気になったのは武豊効果も大きい。

2着争いは大接戦。ベガ、マックスジョリー、ユキノビジンと3強体制が形成されつつあった。


実はこの桜花賞、後にJRAのCMでも使われ(る予定だっ)た。

2011-13年の、名馬を紹介するCMだ。当時見た人も、ウマ娘効果でYouTubeなどで掘り返されたのを見た人もいるだろう。

↑こういうやつ

これの第1弾CMがベガの予定だったのだが、震災の影響でお蔵入りになっている。

新聞広告も展開されており、その時の秘話を作者さんが語っている。

TVCM版のキャッチコピーがこれだった。

93年、桜花賞。
曲がった左脚で勝利したベガ。
ハンディは、強くなるためにある。

2022年までは公式サイトでCMを閲覧出来たが、年明けに消されてた(筆者確認)ので、出してはいけないもの扱いだったのだろう。ちょっと悲しい。

オークス

ベガはダービー出走も検討されたが立ち消えに。オークスで勝てたらフランスGI、ヴェルメイユ賞に参戦する意向が明かされた。これはフランス版秋華賞(当時で言うエリ女杯)にあたるレース。(00年代中盤からは古馬にも解放されているので、秋華賞でありエリ女でもある)

一時は反動で体調を崩したが本番までに立て直し万全。夢の二冠へとゲートは開いた。

先に抜け出したユキノビジン。しかし奥から差し切る一等星。マックスビューティ以来6年振りの牝馬二冠

フジテレビ版実況では「西の一等星は東の空にも輝いた!!」という名実況が残されている。カンテレ競馬さんアップロードお待ちしてます。

3着まで桜花賞と全く同じ着順。逃げたヤマヒサローレルは距離が長すぎて失速したが、ホクトベガも6着と大健闘。最後の一冠に望みをかけた。

ベガはこうなったら日本馬初の海外GI勝利も狙っておきたかったが、筋肉痛が重く国内で休養することに。
クリークのように脚が弱いため、レース毎の反動が大きかったのだろう。

ヴェルメイユは凱旋門賞と同じコース設定。善戦したらその未来も開けただろうと思うと残念だ。

エリザベス女王杯

マックスジョリーは母ビューティが僅差で負けた三冠目に向けて調整していたが、骨折が相次ぎ引退。
繁殖牝馬入り初年で大動脈破裂で逝去という、悲しい最期を迎えてしまった。

出産直後の逝去だったため、遺された牝馬ビューティーソングは競走馬にはせず、マックスの血を継ぐ牝馬として大切に育てることに。

そしてその子の第8子、ココロノアイが2014年、見事に重賞制覇。

ココロノアイも繁殖牝馬入りし現在までに5頭を出産。3頭がデビューし、3頭とも勝利をあげている。初年度産駒のルージュアドラブルが繁殖入りしたし、血統構成がガチすぎるので、今後も重宝されていくだろう。

5代血統表に収まりきらない範囲でここで紹介した種牡馬の血が多数入ってるから魅力的。活躍が待たれる。


一方ユキノビジンとホクトベガは9月、クイーンSから始動。

ユキノビジンがホクトベガを差し切って実力を見せ付けると、ユキノはエリ女に直行。

ホクトはローズSへ向かい、ここで3着と敗れてしまった。夏の上がり馬スターバレリーナがレースを制した。ヤマヒサローレルは大敗し、引退となった。

ベガ、ユキノビジン、ホクトベガに加えて、ローズS勝ち馬スターバレリーナ、府中牝馬S勝ち馬ノースフライト(#9で解説予定)の新勢力が入り乱れる一戦。

ベガは疲れが抜けずぶっつけ本番。ホクトベガはローズS3着だし決定力に欠ける。

スターバレリーナかユキノビジンか、ベガの意地かが争点になった。

展開を決めたのは、ローズS2着のケイウーマン田原成貴の大逃げ。
元々武豊が先行脚質で走らせてた馬だっただけに、この展開にはどよめきが上がる。

1000m通過が58秒台、そこから極端にペースが落ちたが、前に居る馬から順に失速。
最後の最後は末脚の決め手勝負となった。

熱戦の末のレコード決着。

ベガは序盤に脚を怪我。ユキノビジンも岡部幸雄への乗り替わりが響いたのか本領発揮できず。スターバレリーナ河内洋も伸びない。

伏兵ノースフライトが差し切るかと思った瞬間、内から突き抜ける一等星。

ベガはベガでもホクトベガ。戦略勝ちだった。

今まで彼女は輸送疲れで負けていた
美浦(茨城)から京都競馬場までは結構な距離があるので、その間をトラック(閉鎖空間)に揺られ続けるのは馬にとってかなりのストレス。
輸送だけで平気で体重が10kg落ちる牝馬も少なくない。
当然、そんな状態では本来のパワーが発揮出来るはずもない。

そこで取ったのが長期滞在作戦。ローズSからずっと栗東に滞在させることで疲れを軽減させようとした。今では一般的な盤外戦術(?)だ。

その結果がこの勝利。強い。

ホクトじゃない方のベガは以降も現役を続けるも、脚のバランスが崩れ以前のような走りが出来なくなり、その後骨折が見つかり引退。繁殖牝馬として大成功を収めた。

ユキノビジンはその後OP戦で1勝した後に骨折引退。あまり産駒には恵まれなかった。

ノースフライトはマイル路線、ホクトベガはダート路線で伝説を残したので、ここではなくまたの機会に紹介する。

万感の逃亡

ここからは古馬の話に戻る。

これから語る事実は、競馬史に残るような歴史的なものではない。ただの1逃げ馬の好走だ。

それがおよそ30年の時を経て、伝説の名レースとして語り継がれるようになったのは、間違いなくウマ娘の影響だ。

脚色があった。過度な誇張があった。
しかし、それらがあまりにも美しすぎたことで、まるでそれが正史のように受け止められ、高く評価された。

アニメウマ娘2期とは、令和の三国志演義なのだと思う。


1993年。熱狂のクラシックの裏で、この馬もまた伝説を生んだ。

逃亡者ツインターボ。

ターボ師匠は3歳の時にラジオたんぱ賞を勝ってから、ずっと勝ち星に見放されていた。
4歳は体調不良でほぼ丸々休養。気付けば5歳も半ば。

そんなターボ師匠に転機が来た。
逃げ馬大得意の中舘騎手が「一度ターボに乗りたい」と思っていたところ、騎乗依頼が寄せられたのだ。

この一戦で師匠は覚醒する。

いつも通りバカみたいに先を行く。

超長距離ガチ勢アイルトンシンボリ含め5頭が逃げ馬なのにその中でも先陣を切る大大逃げ。
1000m57秒4。ものすごいハイペースでの展開に後ろの馬はついていけない。

最終盤でもムチを叩いても加速しない追い込み勢。ペースが速すぎたから使う脚が残っていない。

福島は小回りで坂も緩く直線が短い。逃げ馬には絶好の舞台だった。

吼えろツインターボ!!!!全開だターボエンジン逃げ切った!!!!!

最高の実況とともに1着ゴールイン。2年振りの勝利の味を噛み締めた。

普通はただのGIII勝ち馬にこんな熱い実況が用意されることはない。当時からツインターボが大人気だったからこそ出たフレーズだろう。

次戦はオールカマー。天皇賞の前哨戦。
GIIIといえど敵は手強い。GI馬ライスシャワーと天皇賞有力候補のホワイトストーンがいた。
しかも中山。小回りとはいえ坂はキツいし200m伸びる。

しかし構わず単騎の大逃げ。神懸りの走りを存分に見てほしい。

単独2番手ホワイトストーンはターボを追わない。というか、追えなかった。

休養から復帰初戦。鞍上の柴田政人は「これ以上追ったらホワイトストーンが潰れると思った」と語るほど強烈な逃げだった。

同じく先行馬のライスシャワーもGI馬なので斤量が1kg重い。ターボ師匠を追いかけることに脚を使いたくなかった。

本来なら逃げるはずだったハシルショウグンですら遥か後方。

普通逃げ馬は悠々と逃げて後方の勢いを窺い、終盤でスピードを調整しながら逃げ切るようなスマートな勝ち方が求められるのだが、ターボは常に全力。
ペース配分なんて言葉は知らない。
それ故に走ってる方も見てる方も手に汗握る。

中山の直線は短い。
直線に入るまでに差を付けていれば、追い付かれずに勝てる。

ただ一頭、ツインターボだけが迎えた終盤。
到底ラストスパートとは思えない走り。
それでも着差は縮まらない。

ヘトヘトになりながら付けた5馬身。
中山競馬場は歓声に沸き立った。

ツインターボが逃げ切ったぞ」と。


実はこのレース、ツインターボは勝つべくして勝っている。

鞍上の中舘騎手はテン乗りだった七夕賞である程度この馬の個性を掴んだ。
今回のオールカマーでは前半200m10秒台後半のラップを刻んだ前よりかなり抑えて走っていた。しかし2番手のホワイトストーンが本調子でないことと、それ以降の騎手達が(七夕賞の先入観から?)必要以上に抑えたことから少し余裕ができた。

なのでターボ師匠のバテるタイミングが遅くなり、ラチ沿いキワッキワのコーナリングも相まって、直線に入った時点で圧倒的セーフティリードがあったのだ。完璧なエスコートが勝利を導いた。

彼は少し気性がぶっ飛んでただけで、それ以外はきっと優秀な馬だった。そうじゃないと中山のGIIIでGI馬相手に勝てない。


このレースが日本アニメ史にも残りそうな伝説の名シーンとなって蘇ると誰が予想できただろうか。

アニメ2期の製作にあたり、監督はテイオーと同期の馬のレース動画をひたすら見漁った。
その中で監督はツインターボにハマり「このレースをメインストーリーに絡められないか」と模索し、3ヶ月くらいかけて“伝説の10話”の脚本を作り出したのだ。頭が上がらない。

史実では存在しなかった「ターボの激走がテイオーの未来に繋がる」描写が、大衆の心をぐっと掴んで離さなかった。

アニメウマ娘にてターボが叫んだ言葉。

「これが、諦めないってことだあああああ!!!!」

この言葉にツインターボの生き様が詰まっていると思うのだ。

ターボエンジン逆噴射と馬鹿にされようと、ネタ馬扱いされようと、ただただ必死に先頭を走ることだけを貫徹し続けた。

どれだけの馬に抜かされようが関係なかった。諦めたことなど一度もなかった。
それがツインターボの唯一であり無二の強さだった。

クタクタになりながら浴びた歓声は、ターボにどう響いたのだろうか。
人間には分からないが、逆に人間だから分かることもある。

当時の人間で、ツインターボの走りに涙したものはよほどの物好きだろう。だが、彼の走りが数十年越しにアニメ監督の心を動かし、伝説の回が生まれた。

GIを勝てていない。着内にすら入っていない。それでも彼の走りがレースを作り、時を超えて勇気をくれた。その事実だけは決して揺るがない。

これから先も語り継がれていくだろう。ファンも増えていくだろう。どれだけ時代が流れようとも、480pのガビガビディスプレイを食い入るように見ながら、「頑張れ、頑張れ」と拳を握るファンが。

そんなきっかけを作ったウマ娘スタッフに、心から「ありがとう」と言いたい。


アニメ4期はパンサラッサをよろしくお願いします

痛哭

(史実的には)波乱のオールカマーの裏で、関西では大本命が動き出した。

もうメジロマックイーンは後がなかった。

降着を受けたあの日から、ずっと願っていた天皇賞春秋制覇。連覇こそ叶わずとも秋の盾はゆずれない。

マックはもう6歳。本来であれば引退していてもおかしくない歳。それでも現役を続けたのは秋の天皇賞のため。

京都大賞典

前哨戦にて、マックイーンは最高の走りを見せた。

1000mを58.2で暴走したパーマー。ペースは緩む間もなく淀の下り坂へ。

粘るパーマー。かわすマック。外に張るレガシーワールド。それをもろともせずに外から抜ける。

離して離して3馬身半。
2:22:7。京都競馬場2400mのレコードを更新しての勝利。

マックイーンは獲得賞金総額が10億円を突破。当時の世界一位の記録となった。

もう敵はいない。秋の盾は見えた。そう思った矢先。

繋靭帯炎を発症してしまった。
競走馬にとって最も大きな絶望。
回復まで一年。再発の可能性は極めて高い。

6歳だった彼に残された選択肢は、引退だけだった。

京都2400mを2:22.7。オグリは2:22.2で東京2400mを完走しているが斤量は57kgだったし、直後大きくパフォーマンスを落としている。
対してマックは59kgで外を大きく回してこのタイム。数字以上の負荷がかかっていたことは想像に難くない。

時速70kmで走る競走馬。彼らも生き物だ。
もちろん脚は熱を持つし、負荷もかかる。
調教を何度も繰り返すことで、ダメージが蓄積されていく。
どの馬も大なり小なりダメージを抱え、生涯を送る。
それがどこかで支障をきたすか、その前に引退するかの違いだ。

春の天皇賞で魅せた、天と地の頂上決戦。2500の有馬記念でなら…と期待された2回目の対峙。全てが泡と消えた。

天皇賞秋はヤマニンゼファーが勝利。
ライスシャワー、ツインターボ、ホワイトストーン、ナイスネイチャは馬群に沈んだ。

一つの時代が終わったような、そんな一戦になった。

ジャパンカップ

王者不在の93年。JCは外国馬がさらっていくだろうという見解が多数派を占めた。

日本の総大将はウイニングチケット。菊花賞からの参戦であり、馬体重を大幅に落としていた。

外国馬もトニービンのような圧倒的強者がいるわけではなかった。
1番人気の米国馬コタシャーンはBCターフなどG1を5勝していたが、本格化してから初の海外遠征。不安要素はあった。
2番人気はヨーロッパのホワイトマズル。不良馬場の凱旋門賞2着からの参戦。
3番人気は米国のスターオブコジーン。GI2勝だが前走が5頭立て4着と不安が残る内容。

1〜12番人気が全て単勝5〜20倍に収まったことからも、混戦具合がお分かり頂けるだろう。

マックイーンとテイオーがいないジャパンカップ。新たなるヒーローの誕生を、誰もが待ち望んでいた。

逃げるメジロパーマーは最後粘るも力尽き、外からウイニングチケットと併せてコタシャーンが迫ってくる。

日本VSアメリカの死闘かと思いきや、コタシャーンが残り100mでまさかの失速。これはデザーモ騎手の凡ミスで、「残り100m」の標識をゴールと勘違いしてしまったらしい。外国人だから仕方ないよな。(なお翌年からは撤去された)

結果として勝ったのはこの馬。

レガシーワールド

世代1992
血統父 モガミ(リファール系) 母父 ジムフレンチ(リボー系)
成績32戦7勝[7-5-2-18]
主な勝ち鞍ジャパンカップ セントライト記念

日本馬、レガシーワールドだった。

この馬も苦労人(馬)なので、簡単にキャリアを振り返っていく。

父モガミはシンボリ&メジロ牧場が共同で輸入した繁殖牝馬ノーラックから産まれた種牡馬。
「モガミに付けると血が汚れる」と言われるほど、モガミ産駒は気性の荒い馬が多かった。マシな例でいうとメジロラモーヌ、悪い例でいうと回し蹴りのシリウスシンボリが有名。

レガシーはとにかく気性が荒かった。

身体的なポテンシャルは非凡なものがあったのに、言う事聞かんし暴れるしでデビューから5連敗&骨折。このままじゃ無理やろということで去勢されて騙馬になった。

日本で競走馬を騙馬にするのは中々の覚悟がいる。去勢した時点でクラシック三冠に参戦出来ないからだ。また、今ではOKだが当時は天皇賞にも出場できなかった。
そのリスクを背負ってでもまともに走らせることを選んだ戸山調教師。これが功を奏する。

切った直後は変わらなかったものの、戸山式スパルタ教育で3歳夏にレースに駆り出されまくってようやく本領発揮できるように。
セントライト記念でライスを相手に辛勝。気性の問題は解決された。

そんな感じで善戦を続けていたレガシー。92年有馬はものすごい足で追い詰めてパーマーの2着。
93年に戸山師が亡くなり森秀行厩舎に移籍したタイミングで、鞍上がメジロラモーヌの河内騎手に変更。京都大賞典でマックの2着からJC勝利。

勝てない日々を乗り越えてようやく辿り着いたGI勝利。切り捨てたモノ(意味深)の分だけ、それは大きく輝いた。

成績だけ見れば順当な勝利だが、コタシャーンのアレがアレすぎて過小評価を食らってる気がする。ラッキーっちゃラッキーだが、相手が普通に走ってても勝ってたんじゃないだろうか。

こうして日本の騙馬史上初のGI馬となったレガシー。まさか一年後のJCも日本の騙馬が勝つとは…

おけまる水産よいちょまるとレガシーワールド(偽)
©2021 アニメ「ウマ娘プリティーダービー Season2」製作委員会

ちなみにアニメウマ娘にもモブとして登場している。

青ギャルの背後のこの子。かっこかわいい。

夢をかける・有馬記念

そして来る12月。
トウカイテイオー、復活。

日数にして364日。トウカイテイオーが戻ってきた。

マックイーンがいない今、王座に君臨するテイオー。

しかし、一年ぶりの復帰戦は、とても勝てるとは思えないほど豪華なメンツだった。
枠順で出走馬を紹介していこう。

最内枠1番は日経新春杯の勝ち馬エルカーサリバー
2番は毎日王冠、秋天と連続で2着、GI勝利が期待されるセキテイリュウオー
3番は牝馬二冠馬べガ。牡馬相手ではどうなるか。
4番、トウカイテイオー。364日振りの復帰戦。無事に完走してくれればそれでいい。
5番は秋天3着のウィッシュドリーム。GI2度目の挑戦。強さは未知数。
6番はライスシャワー。レコードブレイカーの真価を発揮できるか。
7番はホワイトストーン。善戦続きの芦毛のアイドルホース。
8番はマチカネタンホイザ。まだただの善戦マンだった頃。
9番は前走のジャパンカップで1着、レガシーワールド。有力馬の一頭。
10番はエルウェーウイン。復帰2戦目でどれだけやれるか。
11番はウイニングチケット。ジャパンカップ3着。ダービー以来のGI制覇なるか。
12番はナイスネイチャ。昨年は3着。今年は上を目指せるか。
13番は2着以下を取ったことがない抜群の安定感を誇るビワハヤヒデ。3歳馬だが最有力候補。
大外14番はメジロパーマー。この枠で昨年のような爆逃げをかませるか。

最後に走ってから一年。あの時と似た光景。父シンボリルドルフに似てとても聡明だったテイオーには、何か感じる事があったのかもしれない。

例えば、「同じ舞台で二度負けて、帝王を名乗れるものか」と。

当時の空気を感じながら見て欲しい。

誰もが勝てないと思っていた。
ファンですら無理だと思っていた。
1年ぶり。それも復帰初戦。
骨折や故障を経ての長距離戦。
常識的に考えて、善戦できるかどうかすら怪しいほどのものだ。

しかし、テイオーは説いた。その走りで。
競馬に絶対は無いのだと。

故障する名馬は皆、自身の性能に身体が耐えられなくなる。テイオーも恐らくそうだった。

普通の馬なら一度の故障で二度目を怖がり、以前と同じ走りが出来なくなる。
しかし、テイオーは最後まで全力を出し切った。

飽くまでも最強で在ろうとした。
ターフの上を翔ける、誰よりも輝く流星。

父ルドルフは絶対であろうとした。息子のテイオーは奇跡を現実にした。

帝王は皇帝を超えたか。
敢えて答を出すのなら、皇帝は最強、帝王は最高の名馬だった。

テイオーはこの後また骨折してしまい、もう二度とターフに戻ることは無かった。
しかし、最後に勝った有馬記念はどんなGI勝利よりも重く、尊いものだっただろう。

こうして2頭の織り成す伝説が終わりを告げた。
引退したテイオーとマックイーンは顕彰馬になり、未来永劫日本競馬史に残る大きな存在となった。

年度代表馬はビワハヤヒデが受賞した。
菊花賞勝利と有馬2着、一年間全連対の好成績が評価されてのことだった。

安田記念、秋天1着、スプリンターズS2着のヤマニンゼファーを差し置いての受賞。批判的な意見も大きかった。今なら間違いなくヤマニンゼファーが年度代表馬だ。

こうしたこともあり、短距離路線が整備されていくことになる。

ヒーローは去り、またヒーローが生まれる。
最優秀3歳(現2歳)牡馬に、新たな伝説はいた。

最強の弟。世界にすら手が届くと言われたその走りは、全ての者を圧倒した。

時代は受け継がれた。

“不屈の帝王”から

“シャドーロールの怪物”へ。

強さは絶対じゃない。

塗り替えるものだ。

あとがき

競走馬達の歴史を調べていると「ウマ娘スタッフ流石だな」と思うことが多々ありすぎて困りますね。

作品化する範囲が完璧すぎるんですよね。

やっぱ競馬が盛り上がる時代って

シンデレラグレイのオグリ時代
アニメ2期のテイオー時代
1期とゲームシナリオの98時代
OVAのBNW時代
スターブロッサムのナリブ〜ローレル時代
ゲームシナリオのオペタキオンマンカフェ時代
上の続編のボリクリロブロイアドグル時代
OVA2のヴァーミリファル子エスポ時代
劇場版のダスカウオッカプスカ時代
4期&ゲームのエイシンピサ〜ゴルシジャスタ時代
OVA3のタルマエリッキーゴルドリ時代
アニメ3期のキタサトドゥラシュヴァル時代
公開未定のリスグラ〜アモアイラララ〜グランラヴズクロノ〜タクトソダシソングの女王の時代
イクイノックスパンサラッサドウデュースの世界に羽ばたく新時代

ここらへんですもんね。流石だわ〜やっぱ(存在しない記憶)

TTGとマルゼンスキーの歴史を掘り下げる漫画もシングレが終わったら久住先生が描いてくれるらしいんで期待しかないですね!(デマ流すな)

次回はダイタクヘリオスもサクラバクシンオーもニシノフラワーもヤマニンゼファーとケイエスミラクル(以下略)の短距離路線を総まとめしたいと思います。

それではまた。

はちみ〜はちみ〜はっちっみ〜♪

(2年前に書いたあとがきだけど、なんやかんや現実になりそうな勢いなのがすごいよウマ娘)

コメント

タイトルとURLをコピーしました