ウマ娘で学ぶ競馬史 #07 祝福と雨 (1991〜92)

※本記事は2021年5月31日にnoteに投稿した同名の記事を再編集したものです

みなさん、ウマ娘やってます?

「ゴルシウィーク始まりましたね!ミッション終わる気がしないっす!頑張りましょう!」的なことを今回書こうと思っていたのに、投稿した頃にはもう終わってしまってました。
時の早さと投稿ペースの遅さを感じますね。許して。

今回の舞台は1991〜2年。アニメでは2期の5話〜8話らへん。
急にテイオーとマックがフェードアウトして、別のキャラ達が活躍し始めたころ。史実でもそうでした。

何があったのか詳しく解説していきます。

この時代を描いたウマ娘作品

・アニメ『ウマ娘プリティーダービー Season2』3話〜6話

アプリ『ウマ娘』メインストーリー第2章 1話〜8話

前回↓

前回までのあらすじ

1990(クラシック)
  • 4月
    無敗の桜花賞馬

    アグネスフローラが5戦5勝で桜花賞を制覇。母子2代でクラシックを制覇した。

  • 4月
    皐月賞親子制覇

    ハイセイコー産駒ハクタイセイが皐月賞を制覇。父子2代で皐月賞馬となった。桜花賞にも同馬の産駒ケリーバッグが出走していたが、惜しくも2着。2週連続GI制覇とはならなかった。

  • 5月
    万雷の日本ダービー

    19万6517人が来場した第57回日本ダービーは中野栄治騎手騎乗のアイネスフウジンが勝利。ゴール後にこだました「ナカノコール」は今なお伝説として語り継がれている。

  • 10月
    メジロでも?

    最後の一冠、菊花賞を制覇したのはメジロライアンではなくメジロマックイーンだった。クラシック大本命のライアンは無冠に終わる。

1991
  • 1月〜
    大規模なルール改正

    競馬国際化への対応策として、降着制度が制定。
    また、10月より今まで単勝、複勝、枠連のみだった馬券に「馬番連勝複式(馬連)」が追加。これにより単枠指定制度が廃止。フルゲート18頭となった。
    3歳(現2歳)競走は阪神3歳Sとラジオたんぱ杯3歳牝馬Sの役割が交替し、阪神3歳牝馬ステークス(GI)、ラジオたんぱ杯3歳ステークス(GII)となった。

  • 4月〜6月
    メジロの春

    天皇賞(春)をメジロマックイーン、宝塚記念をメジロライアンが制し、メジロ牧場全盛期の到来となった。

  • 4月〜5月
    一強の牡馬クラシック

    皐月賞、ダービーともに大外枠発走のシンボリルドルフ産駒・トウカイテイオーがあっさりと二冠馬に。三冠が期待されたが…

  • 5月
    裸足のシンデレラ、樫の女王へ

    オークスはイソノルーブルが勝利。松永幹夫騎手は初のGI制覇となった。詳細は後述。

  • 6月〜12月
    華麗なる一族、短距離に咲く

    デビュー時から活躍を期待されていたハギノトップレディの娘、ダイイチルビーが短距離GIを2勝した。詳細は#9にて。

  • 10月
    帝王不在の菊

    無敗二冠馬トウカイテイオーが骨折のため戦列を離れ、絶対王者不在となった菊花賞は、ダービー2着馬レオダーバンが順当に勝利した。

  • 10月〜12月
    大波乱の秋

    秋の古馬三冠競走はいずれもメジロマックイーンが1番人気に支持されたが、勝利には至らなかった。秋の天皇賞での18着降着が尾を引いた。

  • 11月
    圧巻の逃げ切り

    マイルCSでは、5戦連続連対で1番人気となったダイイチルビーを相手に、4番人気のダイタクヘリオスが逃げ切った。

  • 12月
    無敗の2歳王者たち

    朝日杯はミホノブルボン、牝馬GIとなった阪神3歳牝馬Sはニシノフラワーがそれぞれ無敗で勝利。翌年以降の活躍も期待された。

シンデレラストーリー

まずは91年の牝馬路線。テイオー大活躍の裏で起こった出来事を取り上げたい。

ウマ娘では『シンデレラグレイ』と題してオグリキャップの物語をメディアミックス化しているが、史実の彼はシンデレラに成り得ない。彼は牡馬だからだ。

だが、日本競馬界にシンデレラは存在した。オグリブーム全盛期。その馬は生を受けた。


抽籤馬」という制度があった。

競走馬は馬主が所有しなければデビュー出来ない。馬が馬主に受け渡される手順として最もメジャーなのがセリだが、セリにもあまり人気の無い馬や売れ残りはもちろんいた。
そういう馬の一部をJRAが競り落とし、日高と宮崎の牧場で育成。ドラフト会議的な抽籤システムで馬を再販売していたのがこの制度だった。
(※今は抽籤方式ではなく、「JRAブリーズアップセール」というJRA主催のセリで再販売されている。ヨカヨカやウメムスビもここ出身)

戦前は抽籤馬はメジャーで、対義語として「呼馬」という言葉があったくらいには定着していた。(初期の皐月賞(菊花賞)は「横浜(京都)農林省賞典四歳呼馬」という名称だった戦前名馬は殆ど呼馬限定競走出走している)

だが、平成初期ともなると抽籤馬は「クジ馬」と呼ばれ、売れ残りのイメージが強かった。


“シンデレラ”もクジ馬としてデビューした。零細血統、零細牧場で生まれた彼女はJRAに500万円で競り落とされ、日高で育成された。

集団調教ではいつも先頭を走りたがり、前を走ってる牡馬を見かけると度々追い抜こうとするほど勝ち気な少女だった“シンデレラ”。その前進気勢もあってか、彼女は逃げ馬になった。

デビューするとあれよあれよと言う間に2戦2勝。万全の体制でラジたん杯3歳牝馬S(京都1600m)に挑んだが…待っていたのは8番人気という極端な低評価だった。

恐らく理由は3つある。
①この年の牝馬路線がハイレベルであったこと
②ここまでの2戦が芝1000m→ダ1400mだったこと
③2戦目が「抽籤馬限定戦」だったこと

①は5番人気がGIII勝ち馬、1番人気ミルフォードスルーが阪神3歳S(GI)3着から参戦の時点で察せる。問題は③だ。

今はもちろん抽籤馬限定戦などない。しかし当時を知らない人でも、今の競馬を熱心に見ている方なら、これなら理解できるはず。

「2歳重賞を観戦する時、前走が九州産馬限定戦の馬はどうしても評価を下げてしまう」

あるあるだと思うし、実際のオッズにもそれが色濃く反映されている。だが、ウマ娘から競馬に入った人はその“例外”を見ている。

2021年の中央夏競馬の大トピックとなった、九州産馬の星として重賞戦線を駆け抜け、GIにも手が届きかけた名牝、ヨカヨカ。彼女は九州産馬というカテゴリにかかったバイアスを見事に打ち砕き、重賞で1番人気を得るに至った。

“シンデレラ”の一生は、これと少し似ていた。

イソノルーブルは稀代の快速牝馬だった。社台グループの期待馬スカーレットブーケに3馬身半付けて逃げ切り。

年明けもエルフィンSを勝利すると、鞍上を若手の中でも評価の高かった松永幹夫に変更し、報知杯4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー)に出走、もちろん逃げ切り。無敗で桜花賞へ駒を進めた。

桜花賞

阪神の改装工事の影響で京都開催となった桜花賞。上位人気は全て若手騎手とのコンビになった。

1番人気はイソノルーブル
ここまで無敗のGII勝ち馬。
鞍上松永幹夫(24)はGI未勝利。

2番人気はノーザンドライバー
デイリー杯勝ち馬。
鞍上岡潤一郎(23)はGI未勝利。

3番人気はスカーレットブーケ
GIII2勝馬。
鞍上武豊(22)はGI9勝。なんでそんな勝ってんの…?

4番人気はシスタートウショウ
ここまで無敗ながら重賞初挑戦。
鞍上角田晃一(21)はGI未勝利。

順当な人気順。誰が勝ってもおかしくない決戦だったが…競馬ブームの弊害は思わぬところで顕在化した。

レース前、イソノルーブルの右前脚が落鉄した。レース前の落鉄は良くある。問題は落鉄したのがルーブルだったこと。ただでさえ激しい気性の彼女は、本馬場入場時の大歓声に興奮しており、暴れて装蹄師を寄せ付けず、蹄鉄の打ち直しができない状態に陥ったのである。

調教助手は厩舎に戻って蹄鉄を打ち直したいと懇願したが却下された。ついに蹄鉄の打ち替えは断念し、裸足のままで桜花賞のスタートが断行された。発走予定時刻から11分遅れだった。

ガラスの靴…いや、白銀の蹄鉄を落としたシンデレラは、レースの主導権を握ることができなかった。

それどころか、先頭が破滅的ペースでラップを刻み続けた結果、1000m通過が57秒8という狂気の展開に。

2番手で粘っていたイソノルーブルは直線で失速。最速でゴールを駆け抜けたのは、抜群の手応えでコーナーを回ってきたシスタートウショウだった。

1分33秒8。コースが違うとはいえ、今までとは比にならぬほどのスーパーレコードだった。

トウショウの悲願

シスタートウショウ

世代1991
血統父 トウショウボーイ(テスコボーイ系) 母 コーニストウショウ(シラオキ系)
全弟 トウショウオリオン(北九州記念)
成績12戦4勝[4-2-0-6]
主な勝ち鞍桜花賞

メジロ牧場やシンボリ牧場、カントリー牧場(タニノ)のように、トウショウ(藤正)牧場もオーナーブリーダー(※自分達で馬を生産して馬主もやる人たちのこと)として名を馳せていた。

ウマ娘の影響もありトウショウといえばスイープのイメージが強いが、この時代のトウショウ牧場には天馬トウショウボーイがいた。

オーナーブリーダーが年度代表馬、まして顕彰馬を生産できることはこの上ない誉れ。もちろんトウショウボーイの子でGIを勝ちたいと思っていたが…千明のミスターシービーに先を越され、未だに逸材を出せずにいた。

生産牧場には牧場固有の「牝系」が存在する。どこかしらから牝馬を購入し、その産駒から血統地図を広げていく。
メジロならアマゾンウォリアー、アサマユリ、シェリルにメジロボサツと良質な牝系が多数存在するし、社台ファーム早来(現ノーザンファーム)も当時はファンシミンやスカーレットインクを輸入し、隙あらばノーザンテーストの産駒を産ませていた。そうして生まれたのが↑のスカーレットブーケ。後のダイワスカーレットの母である。

それと対比すると、トウショウ牧場はソシアルバターフライ牝系に拘りすぎていたのかもしれない。牧場の繁殖牝馬はトウショウボーイの母、ソシアルバターフライ牝系の馬が多数を占めていた。

この牝系からは名馬が続々誕生したが、彼女らにトウショウボーイを付けるとインブリードが濃くなりすぎるため、トウショウボーイには他の馬が選ばれた。

(インブリードについてはこちらをどうぞ)

それがシラオキ牝系のコーニストウショウ。彼女の父はソシアルバターフライとの相性を見込んで種を付けられたダンディルートだった。彼女がトウショウボーイの交配相手となるのは、いわば必然だったのだろう。

そうして生まれたシスタートウショウは均整のとれた素晴らしい馬体のまますくすく育ち、坂路調教で脚力もパンプアップ。無敗でGIを制覇するまでに至ったのだった。

ちなみに、この桜花賞制覇を見届け、口取り写真撮影にも参加していたのが池添謙一少年。後に同じ勝負服の馬ですごいガッツポーズと共にGI制覇を果たす。

この活躍からトウショウ牧場はシラオキ牝系を強化するかと思いきやそんなことは無く、むしろ何頭も手放している。コーニストウショウも当初は整理する予定だったらしい。

その手放した馬の子孫からウマ娘になった馬が2頭生まれ、牧場に置いといた馬からはGI馬が生まれなかったのは不幸としか言いようがない。それさえ無ければ、今もトウショウ牧場の馬が走っていただろうか。


シスターの背に乗り、牝馬三冠すら夢見た角田晃一騎手。彼が歴史を変える名馬に巡り会うのは、もう少し先のことだ。(角田パパが乗ってGIを制覇した馬はゆくゆくは全部ウマ娘化しそうな気がするので、密かに期待している)

それに対してイソノルーブル主戦、松永幹夫は絶望に打ちひしがれていた。

あの桜花賞のスタート前は、悔しいという気持ちにすらならなかった。ああ、終わったな、と思いました。ぼくはよほど運に見放されているんだな、と。GIなんて一生勝てないんじゃないかと、情けなくなりました

Numberより

着実に勝利数を重ね、既にGIIを3勝。GIにも手が届きかけていた松永騎手。それだけに今回の大チャンスが目前で遠ざかっていった絶望感は想像を絶する。

立ちはだかる大きな壁。
魔法は解けたか。

オークス

追い討ちをかけるように、運は彼らを見放した。

イソノルーブルは、大外20番枠となった。

ほとんどのGIにおいて大外枠は不利だ。余分に外を回らされる。逃げ馬で出も悪くないルーブルならこなせる枠だが、東京2400mはゲートの位置が観客の真ん前。それの大外20番枠となるともう至近距離だ。桜花賞の悲劇はもう見たくない。

二重のメンコとブリンカーを着用し、騒音対策を完璧にしたルーブルがゲートに入る。

なんとそこで待っていたのは、桜花賞とは真逆のレース展開だった。

靴を拾ったルーブルは当然先頭へ。一方、シスターはかなり後方から前を見る形でコーナーを曲がる。

ルーブルは「桜花賞で沈んだ馬」。血統面や気性面、クジ馬という背景から「どこかで自滅するだろう」というバイアスがかかっていたのか、あるいは有力馬の騎手がだいたい若手だったからか、誰もこれに競りかけずレースは進む。

1000m通過が61秒7。かなりのスロー。松永自身もゆったりしたペースだと感じるほど、ルーブルはマイペースで逃げられていた。

大けやきに差し掛かるくらいで河内洋とツインヴォイスが仕掛ける。それに追従して武豊スカーレットブーケも上がっていくが、それでもルーブルは直線までゆったり逃げていた。

坂を登り切って二の足を使い、後続を振り払うルーブル。それに唯一食らいついてきたのは、爆速の追い込みで伸びてきたシスタートウショウだった。

2頭の頭が並びかけるところでゴールイン。

写真判定の結果、ハナ差で勝利を掴んだのは、他でもないシンデレラだった。

裸足のシンデレラ

イソノルーブル

世代1991
血統父 ラシアンルーブル(ニジンスキー系) 母父 テスコボーイ
成績8戦6勝[6-0-0-2]
主な勝ち鞍オークス 報知杯4歳牝馬特別(GII) ラジオたんぱ杯3歳牝馬S(GIII)
主な子孫モンストール(新潟2歳S) ディアマンミノル(現役)

500万円と格安で買い取られ、クジ馬として始まった馬が、連戦連勝の末に靴が脱げ敗北。悲嘆にくれるも鞍上や陣営の軒目な努力により、見事に返り咲いた。
しかも鞍上の王子様はイケメンで、愛称が「ミッキー」。(まさかのディズニー繋がり)

これをシンデレラと呼ばずして何と呼ぶか。

京都で落とした靴を東京で拾った彼女は、見事世代の女王(王女?)の座に立ったのだった。


勝利後に落涙した松永幹夫騎手はこの後も堅実に活躍を続け、やたらと牝馬で好成績を収める。というか牝馬でしか中央GIを勝ってない。
調教師になっても「牝馬のミッキー」は健在で、障害や地方GIは牡馬でも勝てるのに何故か中央平地GIになると牝馬でしか勝ててない。謎だ。

牝馬初のフェブラリーS制覇を期待されていたギルデッドミラーも松永厩舎なので、なんかもう、そういう星の元に生まれた人なのだろう。

ウマ娘から競馬に入った人から見ると「平成のヨカヨカ」(ヨカヨカも生まれたのは平成だけど)みたいな視点から楽しめるイソノルーブルだが、孫世代のディアマンミノルがオープン特別を勝ったり、今でも子孫は繁栄している。応援してみよう。

ということで、91年クラシック2冠目、最後の20頭立てとなったGI2レースは、どちらも大外20番枠の馬が勝つという、奇妙な結果に終わったのだった。

消えた天才

牝馬三冠最後を飾る、エリザベス女王杯当日。
1番人気に支持されたのは、シスタートウショウでも、イソノルーブルでも無かった。

幻の桜花賞馬」と呼ばれた馬がいた。


降着制度が導入されたことは前回のトウカイテイオーであらかた話したし、あらすじでも軽く触れた。

その新制度のあおりを真っ先に食らったのが、幻の桜花賞馬リンデンリリーだった。

須貝尚介騎手(後のゴルシ調教師)を乗せ紅梅賞(現紅梅S)を先頭で駆け抜けたその馬は、直線で斜行したと判断され13着に降着。しかも脚の骨折もついてきて長期休養に入った。

復帰後なんとか1勝しローズSにギリギリ滑り込み出走。後方から追い込んでなんとここで重賞初制覇。そしてエリザベス女王杯に挑んだ。

エリザベス女王杯

春の四強はそこにはいなかった。

シスタートウショウは屈腱炎で休養、ノーザンドライバーは故障で後に引退。イソノルーブルも調整が上手くいかず馬体重大幅増でぶっつけ本番、スカーレットブーケは武豊が前走と例の天皇賞でやらかしたためか、乗り替わり。みな不安材料を抱えていた。

リンデンリリーにはノーザンドライバー主戦の岡潤一郎がローズSから継続騎乗。結果こそ残せなかったがオグリキャップの宝塚記念などで鞍上に抜擢されているように、若手騎手の中でも抜けた存在だった。

コンディションの影響か、イソノルーブルは逃げられなかった。もちろんそうなると周囲のマークは1番人気リンデンリリーに向くが…

岡騎手はレース中、鼻歌を口ずさんでいた。

キツいマークを受けていたが、直線手前で先行勢が加速したところを外に出し、一気に抜き去った。完勝だった。


しかし、ウイニングランは無かった。レース後に下馬した岡騎手。初のGI制覇となった岡騎手に喜びの表情はなく、馬運車に乗った勝ち馬の無事を祈るだけだった。

リンデンリリーは脚があまり強くなく、騙し騙しで使われていた馬だった。最終的に競走能力は喪失したが、無事に繁殖入り。GII勝ち馬ヤマカツリリーなど後継にも恵まれた。

本当に悲しい最期を迎えたのは、岡騎手の方だった。

岡騎手は93年に落馬事故に遭い、24歳の若さで帰らぬ人となった。最後のGI制覇がリンデンリリーとなってしまった。


イソノルーブルもレース中に靭帯を損傷していた事が判明し、引退。シスタートウショウは復帰するも以前のような走りを取り戻せず、最高成績はGII2着で引退。

この世代の牝馬は高い評価を受けながらも、それが古馬シーズンに繋がらなかった。牡馬もトウカイテイオーが故障しており、ある意味悲劇の世代といえるかもしれない。

以上が1991年の競馬だ。ここからは92年。

帰還

波乱の1991年有馬記念、どこからともなく現れたダイユウサクのレコード勝ち。メジロマックイーンは2着に敗れ、ナイスネイチャの3着伝説が幕を開けた。

そして迎えた1992年。GII、産経大阪杯
トウカイテイオーの復帰戦。
帝王の帰還を誰もが待ち侘びた。

テイオーはもちろん1番人気。単勝1.3倍。
復帰戦の記念で馬券を買った人もいたとは思うが、それ以上に実力の面での人気が大きかった。

テイオーが出るのでどうせ負けると判断した馬主が多かったのか強い馬だけが残り、たった8頭でのレースとなった。

復帰戦と言えど世代最強。
しかし彼に勝つなら今しかない。
打倒テイオーを掲げた対抗馬も何頭か紹介しておこう。

まずは2番人気から。

舞い踊る流星

イブキマイカグラ

世代1991
血統父 リアルシャダイ(ロベルト系) 母父 ノーザンテースト
成績14戦5勝[5-3-2-4]
主な勝ち鞍阪神3歳S(GI) 弥生賞 NHK杯(GII)
主な産駒イブキライズアップ(高知県知事賞) ゴールデンイースト(埼玉新聞杯)

アニメウマ娘にもブレスオウンダンス(伊吹my神楽)として出てたらしい。

かっこいい馬名ランキング和風部門ならシンザンと並んで1位タイの洗練された名前。

テイオーと同期で2歳の頃はブイブイ言わせてたけど、同期に朝日杯でマルゼンスキーのレコードを超えた幻の名マイラー・リンドシェーバーが出てきたせいでJRA賞取り逃したり、弥生賞勝ったのに皐月でテイオーに余裕でちぎられたりと、ちょっと不憫な面もある馬。

ちなみに京都新聞杯はネイチャの2着、菊花賞ではレオダーバンの2着だった。
同期が軒並み強かったのも不憫。

続いて3番人気。

芦毛の名脇役

ホワイトストーン

世代1990
血統父 シービークロス(フォルティノ系) 母父 ナイスダンサー(ノーザンダンサー系)
成績32戦4勝[4-3-6-19]
主な勝ち鞍大阪杯 アメリカJCC セントライト記念
主な産駒アローウィナー(東京王冠賞)

以前から何回か出てきてる善戦マン。タマモクロスと同じ父、母父がナイスネイチャの父。…毛色は父、能力は母父に似たんだろうか。

ネイチャと同じく善戦止まりの気はあるが、生涯の4勝内訳は新馬戦1勝とGII3勝であり、ポテンシャルはめちゃくちゃ高い。「平成新三強」の一角として何ら不足のない強さだ。
メジロマックイーンと菊花賞でまともに戦って2着。そして何より昨年の大阪杯の勝者。若干の衰えは見られるものの、勝機は十分にあった。

4番人気はダイユウサク。お次は穴の7番人気。

鉄の女

イクノディクタス

イクノディクタス(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=ikunodictus
世代1990
血統父 ディクタス 母父 ノーザンテースト
成績51戦9勝[9-8-5-29]
主な戦績1着-京阪杯 オールカマー(GIII) 金鯱賞(GIII) 小倉記念
2着-安田記念 宝塚記念 毎日王冠

(ふつくしい…)

ここで登場、イクノさん。本格化は厳密にはまだ先なのだが、この年を皮切りにGIというGIに出突っ張るので紹介しておく。

今まで紹介した馬の中で飛び抜けて出走回数が多い上に、1回も故障が無かったから「鉄の女」と呼ばれていた。アニメではそんな感じがしないけど牝馬である。

身体の丈夫さが幸いし、勝ち鞍こそ少ないものの生涯で5億を稼いだスーパーホースだ。

父ディクタスはサッカーボーイの父でもある。以前紹介した通り、サッカーボーイはとんでもなく気性が荒かった。
イクノディクタスもその血が入ってるので言うまでもない。

長距離走れる馬が欲しいってことで長距離血統を掛け合わせて育てたら気性荒くて短〜中距離でしか走れなかったのがイクノディクタスだ。

ウマ娘では理知的なキャラで通っているが、本来こいつのキャラはどちらかというとエアシャカール寄りだった。ただディクタス一族の一部は“レースでは”真面目なため、そこをうまいこと調理された結果、ウマ娘イクノさんが生まれたのだろう。

ところで、ウマ娘を知ってる人からすれば一周回って定番ネタかもしれないが、メジロマックイーンはイクノディクタスに惚れていた。
マックイーンも歳をとるにつれて気性が荒くなっていった。何か惹かれる部分があったのかもしれない。

産経大阪杯

贅沢に文字数を使ってライバル紹介したが、結論から言うと、大阪杯はテイオーが勝った。
それはもう余裕で。アニメ二期を見て頂いた通りの勝ち方で。

鞭すら使わず横綱相撲。ホワイトストーンやダイユウサクがいてこの競馬。故障程度では帝王の威厳は衰えないぞと訴えるような走りだった。

阪神大賞典

一方その頃マックイーンは阪神大賞典に挑んでいた。

いわゆる「叩き」。本番の予行練習だ。
休養明けなので、一度走らせることで馬体の調子を戻す意味もあった。

ではここで阪神大賞典の有力馬を紹介…したいところなのだが、マックが強すぎるのでみんな逃げた。たったの6頭立てでレースが行われた。それでもGIIかよおい。

一応マックに食らいつける馬がいたのでご紹介。

万能の名脇役

カミノクレッセ

世代1990
血統父 アンバーシャダイ(ノーザンテースト系) 母父 コインドシルバー(エルバジェ系)
甥 エアガッツ
成績31戦9勝[9-7-4-11]
主な戦績1着-日経新春杯 ブリーダーズゴールドC(地方重賞)
2着-天皇賞(春) 安田記念 宝塚記念 阪神大賞典

天皇賞馬アンバーシャダイ産駒ということで、長距離に持ってこいの血統。しかもこの馬はダートも走れる二刀流だった。

ちなみに、アニメウマ娘にもモブとして登場しているのだが…

画像8
©2021 アニメ「ウマ娘プリティーダービー Season2」製作委員会

モブのくせにめちゃくちゃかわいい。はよ実装してくれ


クレッセは前走の日経新春杯で勝利を収めてノリにノっていたが、相手は世代最強ステイヤー。しかし、彼も彼で凄かった。

先にネタバレをするとこのレースはマックが勝つ。カミノクレッセは2着だ。

5馬身差。凄まじい。

しかし、その敗北をバネにカミノクレッセは覚醒した。
ここから彼は天皇賞(春)、安田記念、宝塚記念とGIに3連続出走した。
その3つの春のGIレース全てで2着になったのだ。

なかなかやばいでしょこれ。
3200→1600→2200を3ヶ月でこなして全部2着って。ゲームでも結構難しい芸当。
カミノクレッセ最強説を唱えていきたい。
(まあ連戦が祟ってその後長期休養するんですけども)

天と地と

そんな訳でマックとカミノクレッセは本番に向けて準備万端、日経賞組のメジロライアンとカリブソングはレース後に故障して引退と回避という地獄のような状況になり、辛うじて3着だったシービー産駒シャコーグレイドが本番も参戦することになった。


大阪杯レース前の事前インタビューにて、岡部幸雄はテイオーを「この馬となら地の果てまでも駆けてしまいそう」と評価した。それほど好調だったのだろう。

それを耳にした武豊は「あちらが地の果てなら、僕のは天にまで昇りますよ」と言い放った。まるで自身を奮い立たせるように。

天皇賞(春)

ここまで無敗の二冠馬の威厳を見せたいトウカイテイオー岡部幸雄。
目指すは天皇賞春連覇。もう負けたくないメジロマックイーン武豊。

無敗か、連覇か。
意地と誇り、天と地の戦いが幕を開けた。

1番人気はトウカイテイオー。しかし疑問の声も聞かれた。理由はもちろんテイオーの距離不安。
2400mが余裕でこなせるなら有馬記念もいける。しかし3200になると話は違う。

父シンボリルドルフは3200で勝利しているものの、身体の柔軟性や血統も含め少し父とは異なる性質のテイオー。不安は拭いきれない。

まして前走が大阪杯。大阪杯→天皇賞は栗東トレセン所属(関西)の馬が輸送疲れしないよう近畿圏の競馬場で完結させるためのローテなのだろうが、このローテをやった馬はことごとく負けている。

未知の領域に立ちはだかるのは、春天を制す為に産まれたメジロマックイーン。
何よりも険しい壁だった。

武豊にはトウカイテイオーしか見えていなかった。マックイーンは、テイオーを潰すためのレースを展開した。

序盤は緩やかなペースで流れていたのを、中盤に入ると位置を押し上げ、先行勢にプレッシャーをかけに行く。2週目3コーナーでロングスパートを開始し、スタミナ勝負に持ち込む。

テイオーはマックイーンをマークしながらも、仕掛けを遅らせ外から差しにかかった。

マックイーンに迫るテイオー。場内が湧く。

しかし、テイオーは伸びない。あっという間に失速し、5着に終わった。

余裕の着差でマックイーンの快勝。
史上初、天皇賞(春)連覇
現役最強はマックイーンだと、ここに知らしめた。


では、テイオーの敗因は何か。

松元調教師は一貫して「テイオーは本質的には中距離馬」と述べている。そんな距離不安のある馬で、岡部騎手はマックイーンの外から、そしてマックイーンを目標にしてレースを進めた。

当時の競馬人気は絶頂を迎えていて、トウカイテイオーVSメジロマックイーンがニュース番組で何度も特集されるほど盛り上がりを見せていた。

岡部騎手は本来、馬を第一に考えている。徹底的にインコースに拘ったり、進路が少しでも開くならなるべく内から無理をせず勝ちに行く。

それがこの時はトウカイテイオーをバチバチにマークしていたし、外から差しにかかった。

邪智かもしれないが、ある種エンタメを意識した騎乗だったし、それでも勝てると確信していたのだと思う。

アニメではテイオーの大敗に様々な意味付けがされていたが、現実の敗因は至極単純だった。

テイオーは骨折していた。軽度のものだったが、レース中に発症した可能性が高かったという。

敗因はそれだけではないかもしれない。血統的にも母父はナイスダンサー。ナイスダンサー持ちの馬は3000m以上になると成績が悪くなっているし、なんならテイオーの祖母はスプリントで走っていた。

でもテイオーは無敗二冠馬。能力が桁違い。エイシンフラッシュみたいな中距離馬でも展開ひとつで2着に食い込める京都3200の舞台での敗因を求めるなら、血統より怪我だった。間違いなく菊は勝てていた器だった。

何よりレースの過酷さを物語っていたのは、テイオーだけでなく勝ったマックイーンも後に骨折した、という事実だった。宝塚に向けての調教中の事故だったが、ここまでの疲労が溜まっていたのも事実。大激走の反動は大きかった。

両者ともに長期休養。
観衆の目は古馬からクラシックへと揺らいでいった。

新しい風

トウカイテイオーが三冠を逃し、次のスターを待ちわびていた世間。
三冠候補はすぐにやってきた。

栗毛の超特急

ミホノブルボン

ミホノブルボン(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=mihonobourbon
表彰JRA年度代表馬(1992)
世代1992
血統父 マグニテュード(ミルリーフ系) 母父 シャレー(リュティエ系)
成績8戦7勝[7-1-0-0]
主な勝ち鞍無敗二冠 朝日杯 京都新聞杯 スプリングS
主な産駒ミヤシロブルボン(水沢・東北サラブレッド3歳Ch)
メモリーブロンコ(北関東二冠) メモリーフォーラム(〃)

(テイエムレボリューションが主題歌のロボアニメの主人公やってそうな固有スキルでお馴染みのルマンドさん。後ろの機器のエフェクト的に背中にGNドライブの擬似太陽炉付いてそう。どんなに危険って言われても無視してトランザムしてほしい。地球外生命体と対話して金属生命体になったりしてほしい)

正確無比なラップタイムを刻む精密機械のような走りとスパルタ調教から「サイボーグ」と呼ばれたミホノブルボン。

ちなみにミホノブルボンって名前してるけど美浦トレセンじゃなく栗東なので関西の馬だ。ややこしい。


ブルボンは特殊な馬だった。
ブルボンの父マグニデュードは長距離に不向きであり、ブルボン自体も本質的には短距離馬だった。

しかし、ブルボンの調教師の戸山師は「鍛え上げればきっと長距離も克服できるし、最強馬はつくれる」と考え、栗東トレセンの坂路を駆使して、一般の馬の倍以上のトレーニングを課した。

栗東トレセンに坂路が開設されたのは85年。当時は坂路調教の重要性が見出されておらず、栗東の中でも坂路を重点的に使っていた厩舎は片手で足りるほどだった。

そんな中で戸山師は坂路で鬼のようなスパルタ調教を管理馬に課したため「坂路の鬼」と呼ばれていた。


そして迎えた朝日杯

辛勝だった。

個人的には、2歳時のミホノブルボンにはあまり強さを感じない。
ナリタブライアンのような強烈な末脚、キタサンブラックのような圧倒的なスタミナ、ロードカナロアのような終盤の抜け出しのキレ、どれもあまり感じられない。

それでも勝てたのは彼の根性と心肺機能の高さと調教の成果だろう。


明け3歳。休養を経て挑んだスプリングS。

覚醒しました?

そして皐月賞

もう別の馬じゃんこれ。

本格化か、調教の成果か。これは2000では敵無しじゃないかと思わせる着差。確かに調教師の言ってたことも一理あったのかもしれない。

日本ダービー

そして迎えたダービー。本来ブルボンにはギリギリこなせないであろう距離だ。

しかし、そこを努力で乗り越えたのがブルボンと戸山調教師だった。普通の厩舎が坂路を2本追わせる所を、戸山厩舎は4本。それも1、3本目は流し、2、4本目に本気で追わせ緩急をつけていた。1頭の調教に2時間以上かけていたらしい。

そうして才能が開花したブルボンは、圧巻の走りをみせた。

やっぱ別の馬でしょこれ。

坂路で鍛えたバキバキの栗毛の馬体。跳びの大きい走りが府中で輝く。コーナーで詰め寄られてもなんてことはない。
2000で付けた4馬身差は、2400でも縮まなかった。

史上5頭目、二年連続の無敗二冠馬の誕生。
三冠への期待と、「努力で限界を超える」という理念が多くの競馬ファンの心を掴んだ。

しかし、最後の最後。後ろには強烈な成長を見せた黒い影が迫っていた。

菊花賞

時は流れ秋。戸山師は中山にいた。
ブルボンと同期の素質馬、レガシーワールドのレースを見届けるためだ。

当時の菊花賞は京都新聞杯、神戸新聞杯、セントライト記念と3つのトライアルレースがあった。

レガシーは去勢しており菊花賞には出られないのだが、ブルボンと同じ厩舎だ。ブルボンを京都新聞杯に出し、レガシーをセントライト記念に出すことで、ブルボンを勝たせつつ関東のライバルの実力を窺う目的もあった。

ここでレガシーは逃げ切って勝利。しかし2着馬は全く差のない入線。
思った以上に強くなっていた“その馬”に、戸山師は危機感を覚えた。

そして京都新聞杯。その馬はまたしてもミホノブルボンを追い詰めた。

2200mではレコード勝ち。
ブルボンは恐らく有馬記念くらいの距離までは余裕で勝てるほどの力は付いていた。あとは距離だけだった。

不安と戦いながら迎える3000m。己との戦い。
二年連続無敗の二冠馬の誕生。
望まれたのはシンボリルドルフ以来の三冠馬。

恐らく勝つだろう。誰もがそう思いながら見守った。

本当に怖いのはもう1つのトライアル勝ち馬であることを、まだ誰も知らなかった。

神戸新聞杯勝ち馬、キョウエイボーガンの大逃げに狂わされるブルボン。

スプリングS以降ずっと逃げでレースを進めてきた彼。まして菊花賞は極限の仕上げで臨んだために、前に馬がいる状況に困惑したのだろう。道中で掛かってしまった。

もちろんキョウエイボーガン松永幹夫もブルボンを潰そうと思ってこの作戦をとったわけではなかったが、結果的にブルボンは惑わされてしまった。

ブルボンは極限まで粘った。粘ったが、ゴールまで残り50mでかわされた。

駆け抜ける黒い影。
場内にどよめきがあふれた。

漆黒のステイヤー

ライスシャワー

ライスシャワー(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=riceshower
表彰JRA特別賞(1995)
世代1992
血統父 リアルシャダイ(ロベルト系) 母父 マルゼンスキー(ニジンスキー系)
成績25戦6勝[6-5-2-12]
主な勝ち鞍菊花賞 天皇賞(春)2勝 日経賞

アニメだとめちゃくちゃ精神年齢高くなることでお馴染みのライスちゃん。3Dモデルがかわいすぎるのでアプリはアプリの良さがある。とても良い。


叩き上げのクライマーをねじ伏せたのは、純然たるステイヤーだった。

皐月賞では大敗していたライスだが、ダービーでは2着。ブルボンを倒すならあるいはこの馬かと言われていた。まさにダークホースだった。

アニメライスの「ついてく…ついてく…」は、実はライス主戦の的場均騎手のパッシブスキル。何かを徹底マークさせたら右に出る者はいないのが的場騎手だった。

後に騎乗するヤンデレ不退転たんぽぽさんグラスでもあげませぇん!スペを徹底マークして数cm差で勝ちをもぎ取るえげつい執念を見せている。

三冠馬は今年も夢に終わる。92年の日本競馬界は関西馬ミホノブルボンを中心に回っていた。それを京都の舞台で負かしたのは関東馬ライスシャワー。自然と嫌われ役になる。

アニメではぼかした表現となっているが、ブルボン贔屓の実況と罵声に的場騎手は不快感を覚えたという。

「馬と勝負師が勝ちに行っているのに、そこに悪役も何もないはずだ」

後に彼はそう語っている。

2度目の競馬ブームが起こり、競馬場が鉄火場から娯楽施設へ少しづつ変わろうとしていた頃。その頃増えたスポーツとして/娯楽として競馬を嗜む層には、余計にライスシャワーが憎く映ったのかもしれない。

後の二冠馬、ネオユニヴァースとメイショウサムソンの時は三冠目を取れなくても勝ち馬はここまで叩かれなかった。時代が悪かった。

そこから二十余年が経ち、「ライスはみんなを不幸にしちゃうから…」と黒きウマ娘は語る。

こんなん卑怯やん…勝たせてあげたいに決まってるやん…


そんな事は置いておいて、ミホノブルボンは三冠馬になれなかった。

そして、ミホノブルボンは引退した

馬の身体は5歳で完成すると言われている。

それまでに必要以上に酷使させたり、体力を使い果たすと、もう二度と戦線復帰できなくなる例がある。アイネスフウジンなどがそうだ。

そして戸山調教師は亡くなった。病気だったそうだ。

ブルボンは転厩後に骨膜炎を発症し引退。
種牡馬になるも目立った子は産まれず。
医学的根拠こそ無いが、一般的に勝負根性だけは子孫に遺伝しないと言われている。ブルボンが努力と根性だけであそこまで強くなったということの裏付けにもなった。
テイオーに続いて凄まじい人気を得た無敗二冠馬の最後は、なんともあっけないものだった。

ただ、ブルボンの恵まれていたところは、自身を唯一破ったライスが、その後も長距離に限っては鬼のように強かったことだ。

よって、ブルボンの評価も落ちることなく今日まで来ている。

主役不在

牡牝共にクラシックが盛り上がっていた頃、主役二頭が消えた古馬路線は空気だった。

空気だったが、ある1頭の馬によってGI戦線はかき乱される。

ここからは、愛すべきメジロの異端児の話をしよう。


時間軸を過去に戻そう。
#6で語った話には続きがあった。

メジロ牧場の期待の新星4頭のうちルイスは離脱したものの、ライアンはグランプリホースになり、マックは春天を連覇した。

パーマーもそれなりに期待されていたものの、他3頭程ではなかった。そこそこ勝てるだろう、という感じ。

実際、走ってみても予想通りだった。ライアンとマックがすぐ覚醒したのに対し、パーマーはオープン戦で勝てなかった。
3歳時は全敗でシーズンを終え、4歳時に一か八か春の天皇賞に出したもののボロ負け。そのあとなんとか札幌記念(GIII時代)を勝つが、その後は勝てず、障害レースに転向となる。

なにも左遷という事ではなく、メジロではよくあることだ。上記4頭と同期のメジログッテンも入障(障害転向)し、中山大障害を制覇している。メジロは全体的に欧州由来のスタミナ血統なので当時の障害競走ではかなり強かったのだ。シンボリも同様。

パーマーは初戦は勝ち、2戦目も2着と好成績だったものの、ゴール後全身傷だらけで帰ってきた姿を見て「あかんこいつ飛越下手すぎるわ」となり、もっかい芝に戻ってくることになる。派遣社員みたいな使われ方。

でも、これがプラスに働いた。障害レースを使うと馬体が変わるらしい。
トモ周りの筋肉が飛越の練習により強化され、ゲートの出がよくなったり、パワーが増えたりする。
たぶんパーマーはこれがきっかけで本格化したし、パーマーの成功がきっかけで平地の馬に障害競走の練習をさせてみる厩舎も増えた。


メジロ牧場の馬は全て中長距離専門だ。天皇賞勝ちたすぎるが故に。でも長距離馬はスタミナガン振りで瞬発力はない。マックは能力平均値が高すぎたから戦えていたが、ステイヤーはみな瞬発力勝負になると負ける。

そんなわけで瞬発力に欠けたパーマー。
新潟大賞典にて乗り替わりとなった山田泰誠騎手は彼の乗り味を確認し、「先陣切ってハイペースで逃げてみるか」と決意。
これがめちゃくちゃ刺さった。

見事に逃げ切り、芝復帰戦で重賞2勝目。
実力を知らしめた。

そして次走が…

宝塚記念

テイオーもマックイーンもいない宝塚記念は、GI馬がたった2頭というなんとも寂しいレースになってしまった。それでもグランプリかよ…

一番人気は阪神大賞典と春天、安田で2着続きのカミノクレッセ。そろそろ勝てるだろうと圧倒的支持を集めた。
二番人気にまさかのダイタクヘリオス。二番人気がマイラーの時点で層の薄さがわかる。

パーマーは新潟大賞典勝ったとはいえ9番人気。誰も期待していなかった。

意表を突くつもりはなかった。なぜならパーマーにはこれしかなかったから。
スタミナにモノを言わせた凶暴な逃げで後ろのペースを乱し、そのまま1着入線。強い。

最終直線の後続馬のヘトヘトっぷりはとてもGIとは思えない。こんな宝塚記念はもう二度とないだろう。

牧場オーナーのミヤさん含め関係者は正直勝てると思ってなかったのでレースも見に行ってなかった。期待値の低さ故の悲しみ。
そういうのもあってパーマーはアニメウマ娘でも若干のよそ者感が漂っている。

本当によそ者だったのはマックイーンの方だったのは内緒。(マック兄弟の母は他の牧場に委託されてたため、ウマ娘化したメジロの中でマックだけ非メジロ牧場産)

艱難は絶えずして

秋GIのシーズン。カミノクレッセは連戦が祟って休養、パーマーは京都大賞典で大敗したが、ようやくみんなの大本命、テイオーが復帰した。
しかしアニメでもあった通り、ここでテイオーはスランプに陥る。

天皇賞(秋)

毎日王冠1着ダイタクヘリオス、2着イクノディクタス、3着ナイスネイチャと復帰初戦のトウカイテイオーが上位人気という構図になったが、これらが全頭飛んだ。

前回も散々言ったが、外枠がかなり不利な天皇賞。15番枠を引いたトウカイテイオーは多少無理してでも前に行く必要があった。無理して出して行った前のグループで競り合っていたのが、あの2頭だった。

メジロパーマーの山田騎手は落馬事故で乗り替わりになっていたのだが、スタート直後にヘリオスと競り合い、地獄のようなラップタイムを記録する。

200m-400mの通過ラップタイムが10秒7。参考までに、キングヘイローの高松宮記念の200m-400m通過ラップが10秒5である。つまりここまでほぼ短距離GIのペースで来てる。

ヘリオスは「笑いながら走る馬」と言われるが、決して笑っている訳ではない。口を割っているだけだ。

詳しくはJRA競馬用語辞典で「口向き」「ハミ」などを検索してほしいが、簡単に言えば、ヘリオスはウマ娘でいう「※掛かり」表示が常に出続けたまま走ってるようなものだと思って貰えればいい。

その後も暴走の限りを尽くしたヘリオスは、1600m通過タイムが同年の安田記念より速いという謎の状況を作り出し、やがて失速。

パーマーも春の勢いのままライアンの穴を埋める激強ホースになるかと思いきや(ライアンは日経賞後に故障引退)、控えてしまったことにより良さが出ずボロ負け。

当然ヘリオスの後ろにつけてしまったテイオーも引くに引けず巻き添えを喰らい、大敗。

復帰戦でペースを乱されるというね。

画像4
©2021 アニメ「ウマ娘プリティーダービー Season2」製作委員会

アニメでもギャグ調で描かれているが、このレースは本当にギャグでしかない。


勝ったのは後方で脚を溜めていた大穴、レッツゴーターキンだった。そりゃそうなる。

ただ、もちろんドラマもあった。
レッツゴーターキンの主戦、大崎騎手はダービージョッキーで、騎乗技術にも定評があった。しかしあるレースのパドックで観客(知り合い)の「調子はどうだ?」の野次に口を聞いてしまい、それが予想行為にあたると騎乗停止処分。終いには暴力団関係者との黒い噂をでっち上げられ、乗り馬がかなり減少していた。GIを勝てた事でなんとか持ち直したのだった。

ジャパンカップ

気を取り直してJC。秋の府中に集う猛者。
再起を図る馬が1頭、雪辱に燃えていた。

この年からJCは国際GIに指定された。
JRAの国際化への努力と、これまでのハイレベルな戦いが評価されたが故である。つまり、この年から勝ち馬は国際的にGIホースとして認められ、高く評価を受ける対象になる。

この年、日本総大将として推されたテイオーは5番人気。上位4頭はすべて外国産馬だった。

それもそのはず。ジャパンカップは1985年にシンボリルドルフが勝ったのを最後に、以降は外国馬が6年連続で1着

89年のオグリこそクビ差世界レコード負けだったものの、それ以外は完敗。
昨年1番人気に支持されたマックイーンですら1位から0.6秒差の4着。
外国馬がオッズ上位を占めるのは当然の状況だった。

1番人気はヨーロッパ諸国のオークスで3勝し英国牝馬二冠から凱旋門賞2着という驚異の成績で来日したユーザーフレンドリー
2番人気は日本に近い馬場のオーストラリアでGIGIIを安定して勝っていたナチュラリズム
3番人気も豪州牝馬のレッツイロープと続いた。

今まで、さほど実績のない海外馬たちに容易く捻られてきた日本馬。それが今年はGI馬が大集合。過去最高に厳しい戦いになると予想されていた。

当日は雨上がりの重馬場。
ルドルフ以来、勝利できてない日本勢。
その現状を打破出来るのは、この馬以外にいなかった。

0か100か。トウカイテイオーはそういう馬だった。

ウマ娘次元とは全く異なる、孤高であり絶対の存在。
誰にも弱さを見せず、佇む姿はまさに覇王。
一度姿を表せば、周りの馬は立ち竦む。

誰よりもプライドが高く、売られた喧嘩は必ず勝つ。それも全力を出し切って。
それ故に怪我も多かったが、「他の馬になど負けるものか」と、帝王の名の通りの威厳を放ち続けた馬だった。

抜群の手応えで4コーナーを回り、最終直線に差し掛かってもまだ鞭は入らず馬なり。
残り200mでナチュラリズムに馬体を併せに行くと、岡部の鞭が一発二発。そこから更に加速し、あっという間に抜け出す。最後は見せ鞭で粘り切り。

奮起の1戦。再起の1着。
帝王は未だ最強。

国際GIを初めて制覇した日本馬、トウカイテイオー。ジャパンカップ初の親子制覇となった。

有馬記念

そうなったら3週間後、有馬記念ではもちろん堂々の一番人気。
しかしテイオーはいつもの覇気が無かった。

さっきも言った通り、テイオーは0か100かしかない。2着3着は無い。1着か大敗かだ。

前走のジャパンカップ。重馬場を4〜5番手追走で2:24.6。あれは中2週の休養で回復できる程度の激走ではなかった。
抱えた筋肉痛と寄生虫駆除のために投与された下剤の影響で馬体はかなりガレて(やつれて)しまった。

騎手も岡部幸雄が騎乗停止処分を受けていたので、#2.5で紹介したマックスビューティ、そして後のマヤノトップガンの主戦で今はイタコ芸で名を馳せている鬼才・田原ファンタスティック成貴へと乗り替わりとなった。


そんなこんなで各馬の枠入りが始まる。

満身創痍でも1番人気のトウカイテイオー
菊花賞から直行の関東の雄、ライスシャワー
前走JCで3着と好走したセクレタリアト産駒ヒシマサル
4番人気でも勝ちたい気持ちは1番、ナイスネイチャ
JC2着で本格化したレガシーワールド

この5頭までが上位人気。6番人気のホワイトストーンからは単勝20倍以上と、かなり人気が上位に集中していた。

パーマーは16頭中の15番人気。グランプリホースなのにブービー。(ワーストはイクノディクタス)
宝塚はまぐれ勝ちだと思われていた。

ここでまさかまさかの大波乱が起こる。

開始早々、テイオーは出遅れ。不穏な空気が漂う。

頭の高い独特のフォームで先陣を往くパーマー。そこにヘリオスが競りかける。二頭が追い比べながら凄まじい勢いで後続を突き放す。宝塚や秋天と似たような展開。

大逃げ馬は後半に潰れるのが常。昨年の有馬記念にファンの愛で選ばれ参戦したツインターボがまさにそうだったため、今年もそうなるだろうと思われた。

しかし、鞍上に戻ってきた山田騎手はパーマーを誰より信頼していた。彼の気持ちを、強さを、誰よりも理解していた。

パーマーは恐らく、アイネスフウジンと同じタイプの逃げ馬だった。溜め逃げではなく、速いペースで引き離して逃げて、後続のスタミナを擦り減らせば擦り減らすほど強い。この有馬記念はその強さが存分に活かされたレースだ。


ヘリオスが控えたおかげで、前半1000mは62秒6とかなりスローに落とせた。そこからパーマーの気持ちを切らさないようにマイペースで逃げ、勝手にヘリオスが暴発して先頭に立ち、勝手に失速していった。

爆速で駆け抜ける二頭。
最終コーナーに差し掛かりヘリオスは失速したが、パーマーはまだトップスピードを維持していた。200m11秒台、当時としてはかなり速いラップを刻んでなお落ちない。流石のスタミナ。

テイオーは絶不調、それをマークしていたヒシマサルも馬群に沈む。ライスも伸びない。
パーマーのペースも落ちてきたところに追い込み勢が猛然と食らいつく。
強烈な差し脚を見せるレガシーワールド。
負けるものかとナイスネイチャ。
しかしあと少し届かない。

まさかの逃げ切りで春秋グランプリ連覇。快挙となった。

遅れてきた逃亡者

メジロパーマー

メジロパーマー(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=mejiropalmer
世代1990
血統父 メジロイーグル(プリンスローズ系) 母 メジロファンタジー
母父 ゲイメセン(オリオール系)
成績38戦9勝[9-5-2-22]
主な勝ち鞍春秋グランプリ 阪神大賞典 新潟大賞典
主な産駒メジロライデン(京都ハイジャンプ)

メジロ87年組の4番手にして、爆逃げの民。距離適性全然違うのにヘリオスと度々先陣切ってハイペースを作った名馬であり迷馬。

父は重賞馬のメジロイーグル、母メジロファンタジーというコテコテのメジロ血統。そして母父の名前がゲイメセン…ゲイ目線…ふーん…


史上5頭目の春秋グランプリ。シンザンやスピードシンボリ、イナリワンら豪華メンバーに並ぶのがパーマーだとは誰も思うまい。

メジロ牧場にとっては87年のメジロデュレン以来二頭目の有馬記念制覇。メジロは波乱が起きなきゃ有馬勝てない説。

こんな偉業を成し遂げてもなおネタ馬扱いされたのは、後の成績が悪くは無かったが良くもなかったからである。

翌年の阪神大賞典で1着、春天で3着になって以降低迷したものの、更に翌年の日経新春杯で執念の2着入着の後、引退。
ファンに愛されるタイプの名馬だった。

なお、春秋グランプリを制覇した馬の中で年度代表馬(またはJRA特別賞)を受賞していないのは、ゴールドシップ、ドリームジャーニー、パーマーの3頭のみ。
ステゴ一族と同じ括りにされるのかわいそう。

そしてナイスネイチャは2年連続有馬3着。
この年4戦中3戦で3着になり、善戦マンとしての才能が開花し始める。ファンも増えた。有名どころでいうと明石家さんまが彼を好きだったらしい。絶妙に勝てないあたりがツボだったんだろうな…


そんな波乱の中でテイオーは脚の疲れを癒すため長期休養へ。半年で復帰するつもりが年末までもつれ込んでしまった。

またしても大荒れで終わった秋シーズン。
もうテイオーは終わったのか。
マックイーンもまだ復帰しない。
競馬界に暗雲が立ち込めていた。

しかし、奇跡は起こる。
雨が止んだら虹が架かる。

例えそれが、望まない結末を生んだとしても。

あとがき

今も昔も競馬は故障や事故が多くて悲しいですね。今回も省いたけど最後の有馬のサンエイサンキューは…うん…

次回も奇跡と絶望が同時に来ます。
重いよ…そりゃアニメ二期も重くなるわ…

さすがに3週間も空かないと思うので、気長にお待ちください。それでは。

P.S.

画像3

ブルボンのこの顔ほんとすき

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