ウマ娘で学ぶ競馬史 #03 白銀の邂逅 (1987〜88)

※本記事は2021年4月11日にnoteに投稿した同名の記事を再編集したものです

みなさん、先日の大阪杯見ました?まさかレイパパレがあんな勝ち方するとは思ってなかったです。4歳で初のGI挑戦で1着…これはもう令和のタマモクロスと呼んでもいいんじゃないでしょうか。

というわけで、無理やりな前フリからのタマモクロス回です。我らが浪速のスーパースター(北海道産)ということで、気合い入れていきましょう。

この時代を描いたウマ娘作品

漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』3巻〜5巻

↓前回

前回までのあらすじ

  • 1987年
    マックスビューティ、惜しくも牝馬三冠ならず

    桜花賞を8馬身差で圧勝したマックスビューティはエリザベス女王杯を圧倒的1番人気で迎えるが、展開の不利もあり2着に敗れた。

  • 1987年
    サクラスターオー、二冠達成

    故障により父サクラショウリとのダービー父子制覇は叶わなかったが、父が勝てなかった二冠を制覇した。皐月賞からぶっつけで菊花賞制覇は現代でも類を見ない偉業である。

  • 1988年
    サクラスターオー、逝去

    87年有馬記念で故障を発生したスターオーは懸命の治療が施されたが、137日間の闘病の末、5月12日に安楽死となった。

「芦毛の馬は走らない」

それが競馬界の常識だった。
1988年、彼らが活躍するまでは。

白い稲妻

タマモクロス

タマモクロス(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=tamamocross
表彰JRA年度代表馬(1988)
世代1987
血統父 シービークロス 母父 シャトーゲイ
成績18戦9勝[9-3-2-4]
主な勝ち鞍天皇賞春秋連覇 宝塚記念 阪神大賞典 鳴尾記念(GII) 京都金杯
主な産駒カネツクロス(AJCC) マイソールサウンド(阪神大賞典)
母父としての産駒ヒットザターゲット(京都大賞典) ヤマニンアラバスタ(府中牝馬S)
主な子孫ナランフレグ(高松宮記念) ヴァンヤール(名古屋GP2着)
テイエムヨカドー(大井・東京シンデレラマイル) ヴィゴーレ(盛岡・せきれい賞)

(シングレ次元と雰囲気違いすぎてビビる)

さて、前回の#2.5で「1987年にクラシックを経験した馬達はレース後に靭帯炎起こして引退するか、古馬になっても全然いい戦績を残せない呪いにかかった」ということを説明した。だいぶねじ曲げてまとめたけどだいたいこんな感じ。

でもその呪いにも例外があった。タマモクロスは87年世代だったが、クラシック(三冠レース)を経験していなかったのだ。

「クラシック経験してないのに古馬になって勝てるんか?」

ごもっともな意見です。勝てない馬の方が多いです。
タマモクロスとかレイパパレとかが例外。

では、何故タマモクロスがクラシック未経験のまま古馬になったのか探ると同時に、彼の過去を見ていこう。



タマモの生まれた錦野牧場は中堅牧場ながら、強い馬を生産しようと必死に努力していた。しかし、努力の数だけ借金は増え、倒産ギリギリの自転車操業に陥っていた。

そんな中産まれたタマモクロスを見て「これは走る!」と牧場主は直感し、同時に借金返済の助けになるだろうと期待したのだが…

付いた価格は500万。タマモクロスの父母は実績がそこまで無かったのでこの価格は妥当と言えば妥当だった。

既に億単位の借金があった牧場主は泣く泣く売却するも、すぐに倒産してしまう。

後にタマモは活躍するも、戻る場所はなかった…。
(ちなみに錦野牧場は北海道新冠町にあった。もちろんトレセンは滋賀の栗東。浪速要素…どこ…?)

デビューは3歳の3月と遅め。(普通は2歳の内にデビューする)これはタマモが非常に神経質で体質も弱く、十分な調教が積めなかったからである。

デビュー戦にあたって声を掛けられたのは南井騎手。彼は後に三冠やグランプリを制覇する名騎手となるのだが、この時はGI未勝利どころか40連敗を期し、スランプの真っ只中だった。

そんな時に現れたのがこの芦毛馬。
全く勝てない騎手が走らない(と言われている)芦毛に騎乗を命じられる…なんだか少し可哀想な光景。

しかし、この出会いが後の運命を変える。


阪神にてデビュー。7着。惨敗である。
結果を受け、体質のことも考え、まずは負荷のかかりにくいダートを、という事でダートデビューさせると勝てた。

しかし、次のレースで落馬事故に巻き込まれ、馬込み(馬群)が苦手に。以降全く勝てなくなる。
2着、3着と好成績は残すものの勝てない。

「もう一回芝のレースに出してダメだったら考えよう」と、陣営は諦め気味で京都のレースに出した。

なんとここでまさかの大圧勝。
好位追走から一気に抜け出し、脅威の7馬身差
同じ日に行われた京都新聞杯のタイムより速かった。

次走も騎手を変えて再度京都競馬場で戦わせたが、8馬身差で勝った。
早め先頭で後は引き離すのみ。強い。
完全に本格化した。

タマモみたいにダートや障害競走を一回試してみて、もっかい元に戻したらめちゃくちゃ走れるようになったという馬はそこそこ存在する。

何はともあれ運が良かった?タマモクロスは、既に阿鼻叫喚の様相を呈していた87年クラシック戦線を後目に「次の注目株」としての評価を集めていく。

「ひょっとして重賞どころかGIで勝てる逸材なんじゃないか?」「菊花賞のダークホースは彼だろう」などと騒がれだす。

しかし、賢明だった調教師は「今菊花賞に出して無理させるより、これからを大事にしよう」と、菊花賞は避けることに。

というのも、

『ウマ娘 シンデレラグレイ』36Rより

特に小さい頃のタマちゃんは神経質かつ食も細いひ弱な馬だったので、徹底したケアが不可欠だったのだ。

菊花賞は避けたものの次のレースは当時2500mGIIだった鳴尾記念。ゴールドシチー、メジロデュレンとGI馬が2頭も出るレースで、GIIIにすら出たことがないのに3番人気に支持される。

念願の全国デビュー戦にして…

6馬身差で圧勝。さすがに強すぎないか?
(たぶん初の重賞制覇が阪神やからコテコテ関西弁キャラになったんやろなあ)


有馬記念1着を狙えるレベルの勝ちっぷりだが、レース後の消耗が激しい馬なので後の事を考え、年明け京都金杯に出走。どこまでも良心的な陣営。
ちなみに金杯にしたのは「年初めの金杯は縁起良さそう」という馬主さんの一声から。

GIレベルの強さを秘めたGII馬がGIIIに挑むのだ。勝つのは当たり前。今日はどれだけ大差を付けるんだ…?そう期待されたが…

彼は斜め上の回答を寄越した。

序盤からずっと後方に位置付け、それをキープしたまま最終コーナーを曲がり…

直線だけで15頭を抜き去ってゴールした。

訳の分からないコース取りからの差し切り勝ち。
他を寄せつけぬ無類の強さ。
いつしか彼は、父の異名に準えてこう呼ばれるようになった。

白い稲妻と。

1987

さて、時を同じくして期待の新星達がデビューした。前年はもはや空白の世代。この世代がこれからの競馬の流れを決定付ける、運命の世代。

期待に応えるように、今年の層は厚かった。

悲願の星

サクラチヨノオー

サクラチヨノオー(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=sakurachiyonoo
世代1988
血統父 マルゼンスキー 母 サクラセダン 従兄弟 サクラプレジデント
成績10戦5勝[5-1-1-3]
主な勝ち鞍日本ダービー 朝日杯 弥生賞
主な産駒マイターン(東海S) サクラエキスパート(愛知杯) サクラスーパーオー(皐月賞2着)
母父としての産駒グルームアイランド(川崎・報知オールスターC)

(シングレ4巻の表紙、めちゃくちゃ良いよね…)


サクラ軍団の新たな切り札、サクラチヨノオー。

圧倒的な力を持ちながら、当時は持込馬(母の胎内に生命を宿した状態で輸入された馬)への規制が激しかったためにクラシック戦線に参戦出来なかった父・マルゼンスキー。その無念を果たす存在として大きな期待をかけられデビュー。

朝日杯3歳S

有力馬の故障、雪の影響で日程変更が相次いでわずか6頭での戦いとなった関東3歳(現2歳)馬最強決定戦・朝日杯では一番人気で出走。

マルゼンスキーのような大差勝ちは出来ずとも、クビ差差し切って勝利。父子での朝日杯連覇となった。


これでJRA賞ももらったかと思いきや…
最強は関西にいた。

栗毛の弾丸

サッカーボーイ

世代1988
血統父 ディクタス(ファイントップ系) 母 ダイナサッシュ(ステイゴールド祖母) 母父 ノーザンテースト
成績11戦6勝[6-0-2-3]
主な勝ち鞍マイルCS 阪神3歳S(GI) 函館記念 中京スポーツ杯4歳S(現ファルコンS)
主な産駒ヒシミラクル(宝塚記念) ナリタトップロード(菊花賞) キョウトシチー(東京大賞典) ティコティコタック(秋華賞) アイポッパー(阪神大賞典) ブルーイレヴン(関屋記念) モミジイレブン(道営三冠)
母父としての産駒ツルマルボーイ(安田記念) マイネルキッツ(天皇賞春) ヴァケーション(全日本2歳優駿)
主な子孫ベッラレイア(フローラS) ロードブレス(日本テレビ盃) ウェルドーン(関東オークス)
スーパージンガ(九州ダービー栄城賞) マイネルリボーン(金沢・百万石賞)

捻りのないド直球ネーミング。

ウマ娘から入った人には聞き馴染みの無い名前かもしれないが、実はこの馬も漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』にてちょこっと登場している。

ディクタストライカ
漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』第17Rより

(かっこいい)(ウオッカと仲良くなれそう)

使用許可が取れなかったためか、シングレ内では名前変更。ディクタスは父の名前、ストライカはサッカーからの連想。センスの塊。

ディクタスという名前で気付いた方もいるかもだが、イクノディクタスと同じくサッカーボーイもディクタスの子である。もちろん気性面も似ている。

サッカーボーイは気性が荒いどころの話ではなく、牧場の柵を越えようとしたり、唐突に二本足で立ち上がったりで手を焼く問題児だった。
(つまりイクノさんもそっち寄りということです)

しかし、勝負の世界ではその闘争心がプラスに働く。サッカーボーイはポテンシャルの高い馬だった。
函館でのデビュー戦を9馬身差で圧勝すると、続くGIII重賞を出遅れて4着。かと思えば次のOP戦を10馬身差の大差勝ち。

阪神3歳S

出遅れさえなければ敵無し。
そのまま阪神3歳S(関西馬のための朝日杯)に挑むと、最後の200mで2着を8馬身突き放して勝利

1600mを1分34秒5
これは後の無敗二冠馬ミホノブルボンが朝日杯で出した記録と同じであり、ニホンピロウイナーが出た1600mのどのレースよりも速いタイムだった。

怖さすら感じる速さ、そして中長距離向きの血統であることからか、皐月賞の有力候補に浮上した。

1988

年が明け、クラシックに向けて熱を帯びる中山。トライアルレースの弥生賞で、東西の最強がぶつかる。
戦績からサッカーボーイが優勢とされたのだが…

実はサッカーボーイ、生まれつき蹄が弱く、尋常じゃない脚力に耐えられなくなっていた。

チヨノオーの逃げ切りを許し3着。さらに不運な事に石を踏ん付けてしまって状態が悪化。
皐月賞を回避することになる。

皐月賞

一方チヨノオーは本番に向け調子も万全だったが、どうも勝ち方にインパクトを感じない“優等生型”とされており、スプリングSを勝ち上がったモガミナインに僅差の2番人気となった。この2頭の争いになると思われたが…

皐月賞は波乱の展開から、思わぬ伏兵が頭角を現す。

栗毛の暴れん坊

ヤエノムテキ

ヤエノムテキ(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=yaenomuteki
世代1988
血統父 ヤマニンスキー(ニジンスキー系) 母父 イエローゴッド(ナスルーラ系)
成績23戦8勝[8-4-3-8]
主な勝ち鞍皐月賞 天皇賞(秋) 京都新聞杯 産経大阪杯 鳴尾記念
主な産駒ムテキボーイ(大井・東京湾C)
母父としての産駒ロードグリン(名古屋・新春盃)

(真面目キャラかと思ったらサポカのペットショップイベントで膝から崩れ落ちた)

新馬戦を圧勝、次戦のダート1勝クラス沈丁花賞を12馬身差で勝利したムテキは皐月賞に参加したかったものの、獲得賞金が多い順に枠が埋められていく仕様なのでもう少し稼いでおきたかった。

しかし、デビューが2月でもう3月。半ば強引に毎日杯に出すも、ある馬に引き離され4着。

賞金は足切りラインギリギリだったものの、なんとか抽選で参戦できることになった。

そして迎えた皐月賞

チヨノオーらの猛追を押し切り、デビューからわずか4戦目で皐月賞を制した。
9番人気のジャイアントキリングに観衆は湧く。
無敵の舞いは府中開催の皐月賞で輝いたのだった。

日本ダービー

クラシックも佳境に入った。
戦線復帰したサッカーボーイに1番人気を譲るも、実力は負けていないヤエノムテキ。だが…

3番人気のサクラチヨノオー陣営は、このダービーに並々ならぬ思いを抱いていた。

ダービーの一週間前、昨年の二冠馬サクラスターオーが星になった。
競馬界に大きな影を落とした悲劇の名馬。
一年前の日本ダービーは、彼が出たくても出られなかったレースだった。

そしてチヨノオーの父、マルゼンスキー。
絶対に勝てる強さを持ちながら、当時の規則ではクラシックに出走できず、騎手がいくら頭を下げようとそれは覆らなかった。

そんな無念を晴らすため、チヨノオーは、そしてサクラ陣営は、この一戦に全てを賭けた。

ダービー史上稀に見る、壮絶な叩き合い。
サッカーボーイは馬群に埋もれ、中団につけたチヨノオー。外から飛び出したヤエノムテキを遠ざけるも、内から新たな敵が強襲してくる。

硝子の末脚

メジロアルダン

メジロアルダン(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=mejiroardan
世代1988
血統父 アスワン(ノーザンテースト系) 母父 ネヴァービート(ナスルーラ系)
半姉 メジロラモーヌ(牝馬三冠)
成績14戦4勝[4-3-2-5]
主な勝ち鞍高松宮杯(GII)
主な産駒🇨🇳Wu Di

(信じられるか?この見た目で実馬のあだ名が“重戦車”なんだぜ…?)

ステイヤー名門メジロ牧場の寵児、アルダン。
抜群の能力を秘めながら、体質の弱さであまりレースに出せなかった馬。ダービーに照準を合わせてここまで来ていた。

内を抜けて食らいついてきたアルダン、コクサイトリプルとの熱戦。思いを背負い、チヨノオーは懸命に追う。しかしアルダンが強い。

もうダメかと思われた。チヨノオーの境調教師も「2着でええ!(2着でええからそのまま粘れの意)」と叫んだ。


それでも諦めなかった。チヨノオーは最後の力を振り絞った。
小島太騎手の熱い思いが、チヨノオーに伝わった。

一度差されて、もう一度。頭一つ抜け出した。
ダービー史に残る、決死の熱戦の果て。
サクラ軍団史上2度目、9年振りのダービー制覇。
誰よりも欲した悲願の勝利。弔いと仇の一冠。

「百の力を百二十出せと、馬に要求した。まともじゃない。鬼のようなもんです。」

後に小島太騎手はこう語ったが、「勝ち方に強さを感じない」と評されたチヨノオーが一世一代の大舞台で魅せた末脚は、ダービー史に残るほどの強烈なインパクトを残した。

反動は大きく、チヨノオーは屈腱炎、アルダンは骨折で休養を余儀なくされたが、この年だからこそ生まれた名勝負だったし、ウマ娘効果で今後も語り継がれていくだろう。

アニメや『シンデレラグレイ』で語られなかったドラマは、心揺さぶる大激戦の数々だった。

菊花賞

最後の一冠。
チヨノオーは不在で、サッカーボーイは捻挫で急遽回避。マイルCSを復帰戦とした。

もはや敵無しと思われたヤエノムテキ。
しかし、二冠達成を前に、大きな壁が立ちはだかる。

この馬こそ、後の「三強」の一角。
昭和最後のクラシックを制覇し、「平成」の世をつくる名馬の走りだ。

天才を天才にした馬

スーパークリーク

スーパークリーク(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=supercreek
世代1988
血統父 ノーアテンション(ニジンスキー系) 母父 インターメゾ(ハイペリオン系)
成績16戦8勝[8-2-2-4]
主な勝ち鞍天皇賞秋春連覇 菊花賞 京都大賞典連覇 産経大阪杯
母父としての産駒ブルーショットガン(阪急杯)

(みんな大好きスパクリママ)(闇深とか言わない)

もともと、マルゼンスキーなどと同じで、生まれつき片方の前脚が曲がっていたクリーク。

ダービーを目指していたが、直前にその脚を庇いすぎて逆側を骨折し、以降伸び悩んでいた。(アプリでいう小さなほころび)
しかし、菊花賞本番で覚醒する。

騎手はデビュー二年目の新人。前走で敗北。さほど期待されておらず、押し出され気味での3番人気だった。

しかし、最後の直線でクリークは魅せた。ヤエノムテキら強豪をあっという間にちぎる。ダービーの熱戦が嘘のような、圧倒的な強さを持った馬の覚醒。

騎乗も卓越していた。他馬の癖を見抜き、内の進路が開くと信じてずっと我慢して、余力を温存していた。
とてもこれが初GI制覇とは思えない冷静さ。

長距離とは思えない末脚の伸び。
人呼んで高速ステイヤー。かくして大輪は輝いた。
そしてここに天才騎手が誕生する。

その馬の名は、スーパークリーク

その騎手の名は、武豊

最強の伝説は、ここから始まる。

…誰もがそう思っていた。


しかし、彼らの戦いの裏で、史上類を見ない事件が起こっていた。

その馬は全てを変えた。

当たり前を変え、ジンクスを破り、あらゆる敵をなぎ倒し、そして最後に英雄になった。

今まで紹介したクラシックの三戦は、序章である。
彼の伝説が始まる前の、序章である。

地方から中央に殴り込んだ超新星。
怒濤の連戦。増える宿敵。
それでも懸命に闘う姿に、人々は夢を見た。

今までの競馬すべてを過去に変えた白い影。
その圧倒的な力を、人々はこう呼んだ。

芦毛の怪物と。

…その馬の名は、オグリキャップ。

正しさは、強さがつくるものだ。

あとがき

最後の最後にシングレのリンクを貼ることにより壮大なステマ記事になりました。ありがとうございました。

めちゃくちゃ熱い展開になってしまいました。次回からはオグリvsタマモということでさらに熱くなります。

最後のくだりは完全にJRAのCMのパクリです。事ある毎にやります。

アニメでは完全にネタキャラのオグリとタマモだったんですが、原作は色んな意味で強い馬だったんだよってことが分かって頂けたら嬉しいです。

ほなまた次回。さいなら〜。

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