【競馬】歴代三冠馬の栄光を総まとめ!よくわかる三冠の歴史

いよいよ今年の日本競馬もクラシックのシーズンがやってきました。
一強か、強い馬達が栄冠を分け合うか。このワクワク感も競馬の魅力ですね。

時に、競馬を見ているとよく目にする「三冠」の文字。三冠三冠とは言うものの、実際三冠がなんなのか、どう凄いのかはあんまり分かってない人もいらっしゃるかと思います。

本稿ではそこを深掘りしていきます。
三冠の歴史に軽く触れて、歴代三冠馬について解説していきます。
よろしくお願いします。

そもそも「三冠」って?

ひとえに「三冠」と言っても色々ありますが、一般的に「三冠馬」と呼ばれるのは、「中央競馬クラシック三冠」を制した馬です。
この記事でいう「三冠」は基本的にこれのことを指すと思ってください。

中央競馬クラシック三冠を理解するために、一旦イギリスの話をさせてください。

競馬の原点のイギリスでは、18世紀までは「ヒート競走」というレーススタイルが主流でした。

これは「同じ馬で何度も競走を行い、ある馬が連勝するまで勝負を繰り返す」というものだったそうです。テニスやバレー、卓球の「デュース」を想像すると分かりやすいかも。

この頃にヒート競走で常勝無敗を究めていたのが皆さんご存知エクリプスでした。


1776年、そんな業界で「セントレジャーステークス」という革新的なレースが誕生しました。これはたった1回で勝敗が決まり、しかも出走条件が3歳馬限定という衝撃的なものでした。

競走馬のデビューは5歳からが常識だった英国では、このレースはセンセーショナルで大好評。そしてセントレジャーを真似して、19世紀初頭までにいくつかの3歳戦が創設されました。

やがて

  • 2000ギニーステークス(牡馬/直線約1600m)
  • 1000ギニーステークス(牝馬/直線約1600m)
  • ダービーステークス(牡馬/約2400m)
  • オークスステークス(牝馬/2400m)
  • セントレジャーステークス(約2900m)

これらのレース群に挑戦する馬が多くなり、この5レースを総称して「British Classics(英国クラシック)」と呼ぶようになりました。

1000/2000ギニーは牝馬/牡馬限定のマイル。
オークスとダービーは中距離。
セントレジャーは長距離。

それぞれの距離で3歳馬の頂点を決めるため、3つ全てを制覇できれば世代最強を証明できるのです。

19〜20世紀初頭にこれを“Triple Crown(三冠)”と呼ぶようになり、現在に至ります。

この概念は世界各国に広がりました。
もちろん日本にも輸入され、

  • 皐月賞(2000ギニー)
  • 桜花賞(1000ギニー)
  • 東京優駿(ダービー)
  • 優駿牝馬(オークス)
  • 菊花賞(セントレジャー)

が「五大クラシック競走」として施行されることになりました。1930年代のことでした。

その中でも

  • 皐月賞(中山2000m・右/内回り)
  • 東京優駿(日本ダービー/東京2400m・左回り)
  • 菊花賞(京都3000m・右/外回り)

牡馬、牝馬ともに出走可能なこの3レースが「クラシック三冠」、または「牡馬三冠」と呼ばれるようになりました。


クラシック競走は種牡馬や繁殖牝馬の価値を高めるための選定競走と位置づけられている、とても大事な競走なのです。

牡のGI馬で、GI1つ勝てたけど需要が無くて種牡馬入りできなかった/させなかった馬はそこそこいます。ですが三冠競走(特に皐月とダービー)を1つ勝てた馬はほとんど種牡馬入りしている印象です。

日本ダービー馬は現役中に亡くなったワグネリアンや戦時中の馬を除いてほとんど種牡馬入りしているし、少なくともイギリスや日本ではせん馬(去勢した馬)は出られないことからも、次世代の種馬を創出するための競走であることがわかります。

歴代三冠馬

クラシック三冠は距離だけでなくコースの周回方向や直線距離、坂の位置も全く異なり、勝てる馬の傾向がはっきり分かれます。

そんな競走群を3連勝できる馬はごく少数。
日本でクラシック三冠を達成した馬は、過去82回でわずかに8頭

ここからはそんな選ばれし8頭について解説します。

セントライト(1941)

血統父 ダイオライト(エクリプス系)
母 フリッパンシー(同上)
半兄 タイホウ
半弟 クリヒカリ、トサミドリ(顕彰馬)
成績12戦9勝[9-2-1-0]
主な勝ち鞍横浜農林省賞典四歳呼馬(皐月賞)
東京優駿競走(日本ダービー)
京都農商省賞典四歳呼馬(菊花賞)
横浜農林省賞典四・五歳呼馬
生産小岩井農場(岩手)
所属田中和一郎厩舎(東京競馬場)
現役期間1941
主な産駒オーライト(天皇賞春)
オーエンス(天皇賞春)
セントオー(菊花賞)
ニュージャパン(中山大障害)
主な子孫スイープトウショウ(宝塚記念)
マイネルホウオウ(NHKマイルC)
記念競走セントライト記念(GII)

1939年に三冠競走が出揃い、僅か2年で最初の三冠馬が誕生しました。

今でこそ馬産地と言えば北海道ですが、岩手の超名門牧場・小岩井農場に生まれたセントライト。

母は既に帝室御賞典(後の天皇賞)勝ち馬タイホウを輩出しており、かなりの大金で落札されてデビューしました。ダービー1着1万円の時代に3万円で落札されたとか。

その期待をいい意味で大きく裏切ったセントライトは、新馬勝ちのあと皐月賞に直行し勝利。

重馬場開催となったダービーでは、未だに同レース史上最大着差となる8馬身差を付けて完勝しています。

ちなみに上のプロフィールの通り、三冠競走も今とは違う名称で開催されていました。
なんだか長くて呼びにくそうなレース名ですが、現皐月賞は横浜農賞、現菊花賞は京都農賞と略されていたと思われます。まだ皐月賞は横浜競馬場での開催でした。

四歳となっていますが、当時の馬齢は数え年システムだったので今でいう三歳です。

↑この記事でも多少解説しましたが、「呼馬(よびうま)」は抽せん馬の逆。“馬主自らが任意で購入した馬”のことです。

当時は抽せん馬と呼馬が明確に区別されていて、呼馬限定の新馬戦を開催していました。通称「新呼(しんよび)」。セントライトも新呼に出てますね。

閑話休題。
菊花賞を目指したセントライトは、古馬との対戦で仕上がりを調整しながら、横浜農林省賞典四・五歳呼馬に挑み、ここでも勝利。

この馬を語る上であんまり触れられないレースですが(残ってる資料も少ないため)、こちらも1着賞金1万円。
戦前で1着賞金1万円前後だった重賞はその後も続いた場合漏れなくGIになっているので、このレースも今でいうGI級のレースだったことがわかります。
(3・4歳限定重賞ってなんか変な感じがしますが、海外ではごく稀にあります)

その後一戦叩いて菊花賞に出走したセントライトは、重馬場の中を2馬身半引き離して勝利。当時の映像は恐らく残っていないため三冠達成の瞬間は今では見られないのですが、道中2番手から楽に抜け出して勝利したらしいです。

この年から中央競馬会公式の競馬雑誌『優駿』が創刊されたため、文面での記録はなんとか残っています。1941年12月号では、史上初の「三栄冠馬」としてセントライトを称えるコラムが書かれています。まだ三冠馬という言葉が生まれていなかったんですね。


そんなセントライトの特徴は、雄大な馬体並外れたタフさ、そして能力の高さにあります。

今でこそ馬体重は500kg超も普通ですが、当時は効率の良い筋肉の付け方が確立されていなかった時代。馬体重の平均値は今より20も30も下でした。

その時代で馬体重が500kgを超えていたとされるセントライトは、他馬と比べてかなり大きく写ったでしょうね。

そんな大柄な馬体からは想像のつかないスタートの上手さ。皐月賞でスタート直後に他馬とぶつかったにも関わらず立て直し速攻で3番手につけてます。

そして長時間の遠征にも耐えうる精神面と体力面の強さ。所属は東京競馬場ながら横浜で大レース勝って即京都遠征、1週間後のオープン戦で叩いてさらに1週間後の菊花賞に勝利。

当時は高速道路や輸送技術も発達していなかったため、普通の馬なら輸送のストレスで馬体重激減でもおかしくないところ、「疲労回復のこんなに早い馬を見た事がない」と調教師を唸らせた図太さで超回復。たった7ヶ月で12戦9勝という破格の戦果を挙げたのです。

先行力があって馬体が黒くてデカくてタフで重馬場にも強い…セントライトは昭和のキタサンブラックと言っていいのかもしれません。

残りの3戦を負けた理由は引退理由と直結しています。
当時は大競走のための重賞レースも充実していなかったため、前哨戦としてオープン戦を使っていたのですが、このレースがことごとくハンデ戦。馬の健康を害するレベルの重斤量(おもり)を背負わせている時代でした。現代の平均負担重量が57-8kgなのですが…

セントライトは古馬相手のハンデ戦で68kgを背負わされ敗北していました。帝室御賞典(現天皇賞)を目標にハンデ戦に登録すると、三冠も加味して72kgを背負わされることになったため、馬主さんが引退を決断したらしいです。英断ですね。

引退後は小岩井農場で種牡馬入り。
天皇賞馬や菊花賞馬、中山大障害勝ち馬も輩出したのですが、程なくして戦況が悪化。
敗戦の後、GHQが小岩井農場のサラブレッド生産を禁止し、近くの岩手の畜産試験場に流されました。

小岩井と御料牧場の馬の質が頭四つくらい抜けてた時代なので、当然種付けする牝馬のレベルはガタ落ち。サラブレッドですらない馬との交配も余儀なくされ、結果として直系子孫はすぐに断絶しました。

それでも小岩井時代の子孫からスイープトウショウなどに血が繋がってるのは優秀な種牡馬であった証拠です。

(その代わりと言ってはなんですが、半弟のトサミドリが産駒のJRA通算勝利数1135勝の大記録を作りました。当時の記録としては歴代3位、今でも16位です)

彼の功績を表彰し、セントライト記念が創設されました。今では菊花賞トライアルのGIIとなっています。
第1回勝ち馬の鞍上は小西喜蔵騎手、調教師は田中和一郎師。セントライトコンビです。狙ってたんでしょうね。

シンザン(1964)

セントライトが三冠馬となって以降、例外を除けば三冠は達成されず、やがて戦後になりました。

復興の流れに乗ってか、49〜54年まで5年連続で二冠馬が誕生する珍事がありましたが、55年に無敵の2歳王者メイヂヒカリが骨折で戦線離脱して以降、三冠は遠い幻になっていました。

60年に大人気の二冠馬コダマが距離の壁に阻まれ菊を落とし、63年にダービーを7馬身差圧勝したメイズイが騎手のミスで菊を大敗した日には、三冠馬は二度と現れないのではないかと囁かれた事もあったでしょう。

幸い翌年に歴史的名馬が誕生したことにより、メイズイの悲劇はかき消されました。

血統父 ヒンドスタン(ボワルセル系)
母 ハヤノボリ
成績19戦15勝[15-4-0-0]
主な勝ち鞍三冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)
天皇賞秋 有馬記念 宝塚記念
生産松橋吉松牧場(北海道・浦河)
所属武田文吾(京都競馬場)
現役期間1963-65
主な産駒ミホシンザン(二冠)
ミナガワマンナ(菊花賞)
主な子孫メイショウマンボ(牝馬二冠)
記念競走シンザン記念(GIII)

馬体も大きくなく見栄えもしないためか、あまり期待されていなかったシンザン。しかし圧倒的な能力の高さで一気に世代のトップへ。

27頭立てのダービーを楽に制覇すると、菊花賞では二冠牝馬カネケヤキの大逃げやライバルのウメノチカラの猛攻も意に介さず、楽勝で三冠を達成しました。

賢い馬なので先頭に立つと気を抜く癖があり、レース中に付けた着差は他の三冠馬と比べるとパッとしません。しかし、「着差以上の強さ」がシンザンにはありました。

シンザンのライバルにミハルカスという馬がいます。

昭和の名手として名高い加賀武見騎手が騎乗していたのですが、加賀さんは逃げに定評があり、強い馬や素質の高い馬が相手だと闘争心を掻き立てられるタイプの人で、なんとしてでもシンザンを倒そうと画策していました。

道中大逃げしてるのがミハルカス、黒と赤の勝負服がシンザンです。

この日は内側の馬場がズブズブで、どの馬も外を回しています。最後の直線、ミハルカスと加賀さんは出来るだけいい所を通りたい&シンザンを内に追いやりたいため、かなり外に進路を取りました。

しかし、更に大外をブン回して突き抜けたのがシンザン。映像で視認できる範囲では鞭を1発も入れぬまま引退レースを勝利で飾り「五冠馬」となりました。
三冠+宝塚+天皇賞+有馬。今基準なら六冠ですが宝塚は八大競走ではないので五冠です。

ちなみにこの有馬の直前に陣営内でいざこざがあり、シンザンは栗田勝騎手から松本善登騎手に乗り替わっています。元々加賀さんがシンザンに乗る予定でしたが、直前でミハルカスの参戦が決定し騎乗馬がスライド。あの逃げに打って出たのでした。

ミハルカスの調教師はセントライトの小西元騎手。トレーナーとして次代の三冠馬に挑むというドラマもありました。

ミスターシービー(1983)

ここからは資料も映像も揃ってるのでさらっと解説していきます。

シンザン以降も三冠に手が届きそうな馬は何頭かいたのですが、タニノムーティエは喉鳴り、ヒカルイマイカブラヤオーは屈腱炎で菊花賞を、キタノカチドキは厩務員ストライキの影響で調整が狂いダービーを逃し…

次世代の三冠馬が生まれたのは、80年代に入ってからのことでした。

血統父 トウショウボーイ(テスコボーイ系)
母 シービークイン(ファイントップ系)
成績15戦8勝[8-3-1-3]
主な勝ち鞍三冠
天皇賞秋
生産千明牧場(浦河)
所属松山康久(美浦トレセン)
現役期間1982-85
主な産駒ヤマニングローバル
シャコーグレイド
メイショウビトリア
主な子孫ウイングアロー(春秋ダート)
ゴーイングスズカ

今までの二頭とは違う、後方脚質の三冠馬が誕生しました。

“常識破りの”“天衣無縫の”と枕詞が付くほど鮮烈なイメージを残したミスターシービー。中でも菊花賞は異次元のレースを展開しました。

坂の途中で掛かりながら前に進出し、そのまま押し切るどころか突き放してゴール
後にGI馬が多数誕生する世代でこのレースっぷりなので、相当な能力があった馬でした。

ところがシービーは蹄が弱く、天皇賞を勝った後は満足なパフォーマンスを発揮することができないまま引退しました。

種牡馬としても大成功とまではいかず、今となっては影の薄い三冠馬になりつつありますが、抜群のルックスも相まって当時の競馬ファンには大人気だった馬でした。

シンボリルドルフ(1984)

血統父 パーソロン
母 スイートルナ
母父 スピードシンボリ(有馬記念連覇)
成績16戦13勝[13-1-1-1]
主な勝ち鞍無敗三冠
有馬記念連覇 ジャパンC 天皇賞春
生産シンボリ牧場(門別)
所属野平祐二(美浦)
現役期間1983-86
主な産駒トウカイテイオー(無敗二冠)
ツルマルツヨシ
アイルトンシンボリ
主な子孫トウカイポイント(マイルCS)
ブレイブスマッシュ(豪マニカトS)
シングンマイケル(中山大障害)

ミスターシービーの威光を完膚なきまでに叩き潰したのが“皇帝”シンボリルドルフでした。

他馬とぶつかるアクシデントがありながらもなんとか史上初の無敗三冠馬になったシンボリルドルフ。

古馬との初対戦となったジャパンカップこそ調整が間に合わずカツラギエースに逃げ切られるも、有馬記念でエースとシービーを倒すと、天皇賞とジャパンカップも制覇し、有馬記念で次世代の二冠馬ミホシンザンを突き放して圧勝。

史上初のGI7勝を手にし、「七冠馬」と呼ばれました。


ルドルフの特徴はその万能さ。

馬主が欧州の競馬に憧れていたため、先行策からの好位抜け出しが主のスマートな競馬がいつもの勝ちパターンでしたが、やろうと思えば逃げや後方一気もこなせる賢さがありました。

海外遠征で故障し引退しましたが、無事ならもっと勝てていたでしょう。

種牡馬になると親子無敗三冠に手が届きかけたトウカイテイオーを輩出。テイオーが稀代のイケメンドラマティックホースだったためシービーの影がさらに薄くなった説もあったりなかったり。

ナリタブライアン(1994)

血統父 ブライアンズタイム(ロベルト系)
母 パシフィカス(ノーザンダンサー系)
半兄 ビワハヤヒデ(年度代表馬)
成績21戦12勝[12-3-1-5]
主な勝ち鞍三冠
有馬記念 朝日杯3歳S
生産早田牧場新冠支場(新冠)
所属大久保正陽(栗東)
現役期間1993-96
主な子孫なし

ルドルフの三冠からちょうど10年。平成初の三冠馬は怪物と呼ばれました。

幼少期は臆病だったナリタブライアンは「シャドーロール」と呼ばれる馬具を装着することで弱点を克服。
次第に暴力的な強さを発揮するようになり、「シャドーロールの怪物」という異名が付きました。

ブライアンは歴代三冠馬の中でも最も距離適性が広く、1600〜3200mのGIを勝利しています。本質的にはステイヤーなので、3000m前後のレースでは毎度驚愕のパフォーマンスを見せています。

後続に7馬身差、当時の馬場で上がり3F33.9秒という異次元の走りを見せたブライアンは、激走が祟り故障。
以降は全盛期の走りを取り戻すことは出来ず、怪物からただの強い馬になってしまいました。

マヤノトップガンとの叩き合いが印象的な96年阪神大賞典とサクラローレルに惜しくも差された天皇賞春は、全盛期のナリタブライアンを知ってる方なら逆に悲しくなった人も多そうです。「あの頃のブライアンはもう戻ってこない」という事実。

その後何を間違えたのか1200mのGIに出走したブライアンはまた故障して引退。引退から2年後、ストレスから腸閉塞を発症し、一旦は快復したものの、後に腸捻転と胃破裂を発症し安楽死。

乱高下の激しい生涯でしたが、ヨーロッパのトップジョッキーでさえも「世界レベルだった」と語った伝説的な走りは、未だにファンを魅了しています。

ディープインパクト(2005)

血統父 サンデーサイレンス
母 ウインドインハーヘア(リファール系)
全兄 ブラックタイド(キタサンブラック父)
成績14戦12勝[12-1-0-1]
主な勝ち鞍無敗三冠
春秋グランプリ
ジャパンC
天皇賞(春)
生産ノーザンファーム(早来・現安平町)
所属池江泰郎(栗東)
現役期間2004-06
主な産駒コントレイル(無敗三冠)
ジェンティルドンナ(牝馬三冠)
グランアレグリア(春秋マイル)
ラヴズオンリーユー(米BCフィリー&メアT)
フィエールマン(天皇賞春連覇)
サトノダイヤモンド(有馬記念)
キズナ(日本ダービー)
スタディオブマン(仏ダービー)
スノーフォール(英オークス)
オーギュストロダン(英フューチュリティT)
主な子孫ヴィクトリアロード(米BCジュベナイルT)
ソングライン(安田記念)
ジェラルディーナ(エリ女)
キセキ(菊花賞)
ペニーウェカ(新オークス)
トウキョウタイクーン(新システマS)
ドルチェモア(朝日杯)
記念競走弥生賞ディープインパクト記念(GII)

ブライアンから約10年。今までの三冠馬全てを過去にするくらいの伝説的な馬が誕生しました。

シンザン同様、見た目はパッとしなかった上に、同牧場の同世代にシーザリオ(日米オークス二冠)やヴァーミリアン(ダートGI9勝)など素質馬がいすぎたため、最初は注目されていなかった彼。

しかし調教を始めると驚異的なスピードを叩き出し、「すごい馬が現れた」と話題に。

レースで騎乗することになった武豊が公式ブログで名前を出して褒めるくらいには界隈も盛り上がってきた頃、後方一気から全馬を抜き去り新馬勝ち。

次走で彼は伝説になります。

未勝利戦に1頭だけGI馬ブチ込んだみたいな走り。彼はこのパフォーマンスをずっと維持したまま、ルドルフ以来の無敗三冠馬になりました。

430kg台の小さな身体に大きな夢を乗せ、(途中ハーツクライに負かされたり、凱旋門賞失格とかもあったけど)ルドルフ、オペラオーに次ぐGI7勝馬として、日本を代表する歴史的名馬になりました。


ディープは“走るために生まれてきた馬”と言われたりします。

彼自身走るのが大好きだったらしく、走りのフォーム(脚の接地時間やストライド)まで完璧と言えるほど洗練されていたため、“サラブレッドの完成系”的な立ち位置で神格化されてすらいます。

実際はテンション上がると尻っ跳ねする癖があったり、馬体を併せたら相手にペースを合わせようとする悪癖があったりで、武豊は「最も乗り難しかった馬」としてディープを挙げていますが。

名門池江厩舎で、名手武豊が乗れたからここまで輝けたのでしょう。


種牡馬生活を見据えて4歳で引退したディープは、産駒がデビュー2年目でGIを3勝。
種牡馬生活3年目に三冠牝馬ジェンティルドンナ、4年目にダービー馬キズナ、その後もグランアレグリア無敗三冠馬コントレイルなどが誕生し、名実共に“日本近代競馬の結晶”として、未来永劫名を残す偉大なる存在となりました。

ですが、武豊曰く引退レースの有馬記念で初めてこの馬の乗り方を掴めたとのこと。5歳も現役を続けていたら、どんなディープが見られたでしょうか。

オルフェーヴル(2011)

血統父 ステイゴールド(サンデーサイレンス系)
母 オリエンタルアート(パーソロン系)
母父 メジロマックイーン(天皇賞(春)連覇)
全兄 ドリームジャーニー(春秋GP制覇)
成績21戦12勝[12-6-1-2]
主な勝ち鞍三冠
有馬記念2勝 宝塚記念
(凱旋門賞2年連続2着)
生産社台コーポレーション白老ファーム(白老)
所属池江泰寿(栗東)
現役期間2010-13
主な産駒ウシュバテソーロ(ドバイワールドカップ)
マルシュロレーヌ(米BCディスタフ)
ラッキーライラック(大阪杯)
エポカドーロ(皐月賞)

平成最後の三冠馬は、今までで一番三冠馬らしくない三冠馬でした。

臆病でかつ気性が悪かったオルフェーヴルは、新馬戦を1着でゴールの後、制御が効かなくなって柵に激突し鞍上の手を踏んづけるなど、子供の頃は能力の高さに精神面が追い付かず、全く結果を出せないままでいました。

2歳王者の兄の影を追わず、レースで折り合いを付ける練習をしながらじっくり成長を促したことで、3歳春に無事本格化。

震災の影響で東京開催となった皐月賞を制覇すると、大雨で不良馬場のダービーを圧勝。良馬場の菊花賞も最後は流して勝利と、馬場やコースを問わず大活躍を見せます。(なおゴール後)


そんなオルフェーヴルの最大の強みは、“圧倒的な順応力と加速力”でしょう。

日本競馬はスタート速い→中盤やや緩む→終盤速いの展開になりがちで、中盤でいかにスタミナを残せるかの勝負になりがちです。

ただし、例外も数多く存在します。その最たる例が…

2011年の有馬記念。逃げ馬が出走回避し誰も逃げたい馬がいない中で渋々アーネストリーが先頭に立ち、1000m63秒8という超スローペースになりました。(ちなみにディープインパクトの年は59.5、ドリームジャーニーの年は58.5とかなり速めです)

そんな中でもオルフェーヴルはしっかりと折り合い(当社比)、後半の直線一気大合戦の中でも最後まで伸び切って1着になっています。

この経験が活きたのか、翌年の凱旋門賞でもスローペースを追走し、楽々と先頭に立ちました。(なおその後)

阪神大賞典では笑劇の逸走をかまし、調教再審査でダート走ったらダートGI馬顔負けのタイムを記録したり、凱旋門賞のスローペース合戦から帰ってきて高速馬場のジャパンカップでジェンティルドンナと叩き合ったのにどっちも2着だったり。

抜群に強いのになんか残念な馬です。見た目もめちゃくちゃかっこいいんですけどよく見たら実は顔デカかったりするし

引退して種牡馬になっても“強いのになんか残念”っぷりは産駒に遺伝しています。
調教でナメてんのかってくらいやる気ない走りを見せるのに、レースになったら父顔負けの追い込みとコーナリングで勝利し、ゴール後は帰りたい素振りを見せ荒ぶるウシュバテソーロなどが有名です。

コントレイル(2020)

血統父 ディープインパクト
母 ロードクロサイト
母父 アンブライドルズソング(ミスタープロスペクター系)
成績11戦8勝[8-2-1-0]
主な勝ち鞍無敗三冠
ジャパンカップ ホープフルS
生産ノースヒルズ(新冠)
所属矢作芳人(栗東)
現役期間2019-21
主な産駒(初年度産駒は24年デビュー)

令和初の三冠馬は、三冠馬の子でした。

ディープインパクトが亡くなって2ヶ月。デビュー戦を勝利したコントレイルは、2歳王者になるべく東スポ杯に挑みました。

基本的に福永祐一騎手が騎乗していたのですが、この日のコントレイルの背には名手ライアン・ムーアがいました。雑に解説すると当時の世界で一番上手いジョッキーといっても過言じゃない人です。

ムーア騎手に導かれたコントレイルは、鞭すら使わずレコードを1.2秒更新して圧勝しました。

ムーアさん曰く「今後のためにあえて厳しく追った」そうですが、以降の福永騎手はこの馬に無理をさせませんでした。

というのも彼は脚部が弱く、育成段階で半年分遅れをとっていた馬。誤れば再度の長期休養も有り得たからです。

幸いにもホープフルSを楽に勝ったコントレイルは、血統的にマイラーという評価を覆し、ダービーすら無敗で圧勝。

↑の菊花賞では距離適性を完全に超えた距離+道中の掛かりでかなり消耗していたところをアリストテレスの徹底マークに遭いましたが、根性でなんとかしのいで三冠達成。三冠馬の中では最も着差の小さい菊花賞ではありますが、強い勝ち方で父の軌跡をなぞりました。

その後はジャパンカップで三冠馬3頭の奇跡の対決を繰り広げ、大阪杯の激重馬場が堪えてひっそりと故障休養した後、天皇賞でエフフォーリアの覚醒を見届けるもジャパンカップをリベンジして引退という、オグリキャップみたいな波乱の生涯になりました。

関係者も言ってましたが、筆者個人としても、(馬体を見る限り)引退戦でもう一段強くなったように見えたので、ディープが生きてさえいれば5歳の強いコントレイルも見られたのかもしれません。
夢は産駒に託しましょう。


コントレイルの特徴としては、とても賢いので自撮りができます。

(本人提供とは)

あと流星が📞の形で、端正な顔立ちなのもあってかっこかわいい三冠馬という立ち位置です。身体がネコみたいに柔らかいのも特徴。

福永騎手曰く「ステイヤーでなくマイラーながら三冠馬になった」馬なので、短い距離で結果出すところも見たかったですね。ドバイターフでの遠征プランもあったそうです。大阪杯回避してドバイ行ってれば故障してなかったかもというたられば。

三代続けて三冠馬はどの国でもそうそう出ない(もしかしたら存在しない?)記録なので、コントレイルの子が伝説を残してくれることを期待しています。

おまけ:変則三冠馬

三冠馬は以上の8頭なのですが、クラシックを3勝した馬を三冠馬と定義するなら、もう1頭います。

名はクリフジ昭和の最強牝馬です。

血統父 トウルヌソル
母 賢藤
母父 チャペルブラムプトン(マッチェム系)
全兄 ハッピーマイト(帝室御賞典・秋)
成績11戦無敗
主な勝ち鞍変則三冠(オークス、ダービー、菊花賞)
横浜記念(春)
生産下総御料牧場(千葉)
所属尾形景造(東京競馬場)
現役期間1943-44
主な産駒ヤマイチ(牝馬二冠)

戦時中の過酷な時期に生まれたクリフジ。
調整の遅れにより桜花賞の出走機会を逃してしまいますが、デビュー後は2戦目で大差勝ちを収めると、すぐさまダービーに出走。(当時は牝馬の三冠目がなく、オークスが秋に設定されていたため)

そこで見せたパフォーマンスが↑の動画です。出遅れて6馬身差レコード勝ちって冗談だろ?と当時誰もが思ったでしょう。

惜しむらくは時代が時代のため、ダービーの映像しか残ってないこと。オークス10馬身差勝ちとか、史上唯一、空前絶後の菊花賞大差勝ちの映像資料が残ってないのが残念です。

マルゼンスキーがウマ娘の影響で再評価され「たった8戦で後続に61馬身差をつけた」と話題ですが、クリフジは11戦で最低でも83馬身以上はつけてます。ほぼ互角といっていいでしょう。

そんなクリフジに最も近くまで迫ったのが、新馬戦で1馬身差2着だったトシシロでした。

クリフジが引退して繁殖牝馬になるとトシシロと夢の交配。そうして生まれたのが二冠牝馬ヤマイチでした。ロマン配合かと思ったらめちゃくちゃ強い馬が生まれるという奇跡。

ヤマイチは叔父と祖母が天皇賞馬、母が無敗三冠馬ということになります。血の暴力。

まとめ

まとめというか気付きにはなりますが、三冠馬の共通点として、血統が抜きん出て優秀な事が挙げられると思います。

セントライトは弟に皐月賞馬と二冠馬、兄は天皇賞馬。
シンザンは母の一個上の姉がオークス馬。
シービーは父がトウショウボーイ(GI級競走3勝)、母がシービークイン(毎日王冠レコード勝ち)。
ルドルフは近親に中山大障害勝ち馬メルシーエイタイムとサクラオンリーがいる。
ナリタブライアンは兄がビワハヤヒデ(年度代表馬)。
ディープインパクトは母がGI馬で近親にゴルトブリッツ(帝王賞)、レイデオロ(日本ダービー)、ウインクリューガー(NHKマイル)、タリスマニック(BCターフ)、遠戚にバーイード(世界で上から数えて10本の指に入る名マイラー)とナシュワン(二冠馬)。
オルフェーヴルは兄がドリームジャーニー(GI3勝)。
コントレイルは祖母がBC勝ち馬で遠戚にエッセンシャルクオリティ(GI4勝、10戦8勝)。

皇族か?ってくらいディープが名家出身で、セントライトの母もおかしいことがよく分かりますね。

この中だとルドルフが異質です。
近親が超スタミナ血統。突然変異的な血の爆発力があったんでしょうか。
それで言うとコントレイルも兄弟は晩成ステイヤー系なのに1頭だけ瞬発力特化の早仕上がりです。(血統面から見ても)予想を裏切る異質さが、三冠馬の条件なのかもしれないですね。

優秀な馬は優秀な母から。
リバティアイランドの産駒に今から期待しようと思います。それではまた牝馬編で。

シービー以降の三冠馬の歴史はこちらから↓

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