ウマ娘で学ぶ競馬史 #2.5 悲劇の世代 (1987)

※本記事は2021年4月7日にnoteに投稿した同名の記事を再編集したものです

みなさん、ウマ娘やってます?

僕は競技場のランクが降格しそうで萎えに萎えてます。50万pt出すのはキツいって…多分これ公開する頃には落ちてんだろうな…

ということで、今回は悲しみが付きまとった世代の名馬を紹介していきます。

内容が内容なので見出しの画像だけでもポップなのにしてみました。落差に慄くがいい。

では参ります。

この時代のウマ娘作品

漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』1話

↓前回はこちら

前回までのあらすじ

  • 1985年
    ミホシンザンが二冠馬に

    「シンザンの最高傑作」とも言われたミホシンザンが脚部不安と戦いながらも二冠達成。三年連続三冠馬誕生とはならなかったが、後に天皇賞を制覇し世代最強の力を示した。

  • 1985年
    シンボリルドルフ、七冠

    二冠馬ミホシンザンを相手に有馬記念で4馬身差圧勝したシンボリルドルフは、GIを7勝し七冠馬となった。翌年は海外遠征で故障発生、そのまま引退となった。

  • 1986年
    社台グループ初のダービー馬

    当時は「ダイナ」「シャダイ」の冠名で知られていた社台グループの生産馬、ダイナガリバーが日本ダービーを制覇。同馬は社台グループが擁する大種牡馬、ノーザンテーストの最高傑作とされる。

  • 1986年
    史上初の三冠牝馬

    メジロラモーヌが桜花賞、オークスに続いてエリザベス女王杯を制覇し、牝馬三冠を達成した。同馬は三冠競走だけでなくトライアルレースも全て勝利しており、「完全三冠」とも呼ばれる。これは同馬だけの記録である。

  • 1988年
    ニッポーテイオー、マイルGI連勝

    ニホンピロウイナー以来となる春秋マイルGI連勝により、ニッポーテイオーは不動の地位を築いた。マイル以下の距離でなら全戦連対の名マイラーだった。

悲劇の世代

1987年、クラシック戦線。人々は彼らの事をそう呼んだ。

上はルドルフやニッポーテイオー、ラモーヌらが名を連ね、下は競馬の歴史を変える大ヒーローらが駆け抜ける。

その狭間の世代の何が悲劇なのか。

ただ不慮の事故があっただけでは悲劇の世代とは呼ばれない。この世代は将来を期待された名馬が数多くいた。

にも関わらず、そのどれもが花開かずに生涯を終えたのだ。

今では風化してしまった歴史の1ページに、もう一度色を与えていきたい。

まずはウマ娘でもお馴染みの2歳王者から見ていこう。

金色の美貌

ゴールドシチー

ゴールドシチー(ウマ娘)
引用:https://umamusume.jp/character/detail/?name=goldcity
世代1987
血統父 ヴァイスリーガル(ノーザンダンサー系) 母父 テスコボーイ(ナスルーラ系)
成績20戦3勝[3-4-3-10]
主な勝ち鞍阪神3歳S(GI) (皐月賞、菊花賞2着)

皆さんご存知、ウマ娘では金髪美少女モデルのシチーさん。芯の通ったストイックで綺麗なギャルという印象。しかし史実では…?


美しい金のたてがみを携えたゴールドシチーだったが、めちゃくちゃに気性が荒かった。

普通の馬は人間と同じく6時〜8時頃には目を覚ますのだが、シチーは10時にならないと絶対に起きない。そして起こそうとすると大暴れした。人呼んで午前10時の男

ただ寝起きが悪いだけではなく、厩舎でもボス馬になって威張ってたり、レース中も急に集中力切れたり、とにかく扱いが難しい馬だった。

新馬戦・未勝利戦を3回目で何とか突破するとその後は善戦を続け、阪神3歳S(朝日杯みたいなもの)でギリギリアタマ差で優勝。

尻尾が綺麗なのでどこにいるかわかりやすい

レース前からイレ込む→ロケットスタート→掛かるのをひたすら抑える→仕方ないので早めに先頭に立たせる→先頭立てて満足したので気を抜く→鞭入れる→なんとか粘って1着。

THE気性難みたいなレースっぷりだが、勝ちは勝ち。

晴れてGIホースとなり、朝日杯勝ち馬のメリーナイスと共に優駿賞最優秀3歳牡馬(現JRA賞最優秀2歳牡馬)を受賞した。

が、彼の栄光はここまでだった。

皐月賞やダービー、菊花賞、有力GIIなどに出場するものの、これから取り上げる馬全てに敗れている。
これは調教師や騎手がGI未経験だった事も影響しているだろうが、気性の荒さが何よりの原因だ。

じゃあなんでウマ娘になったんだ、という話だが、それは十中八九見た目の美しさだろう。
残りの一はこの記事の後半で語る。

見た目が美しい競走馬は?と聞かれて競馬通が答えるのはだいたいソダシかトウカイテイオーかトウショウファルコかトーホウジャッカルかゴールドシチーだと相場が決まっている。(知らんけど)

一回高画質でレース映像を見てほしい。
グリーンチャンネルでたまたま高画質レース映像を見たのだが、走る姿がめちゃくちゃ綺麗。他の馬そっちのけで見入ってしまう。

そんなシチーを我々トレーナーの手で正真正銘のGIホースに育て、感涙のうまぴょゐをさせ給うて下さるのが天下のサイゲ様なのである。令和の世は神様仏様サイゲ様で回つてゐる。


究極の美女

マックスビューティ

世代1987
血統父 ブレイヴェストローマン(ナスルーラ系) 母父 バーバー(ナスルーラ系)
成績19戦10勝[10-2-1-6]
主な勝ち鞍牝馬二冠(桜花賞、オークス) 神戸新聞杯 ローズS サンスポ杯4歳牝馬特別(現フィリーズレビュー)
主な子孫ココロノアイ(チューリップ賞) ボヌールバローズ(笠松・ラブミーチャン記念)

一方の牝馬路線も激動の時代。メジロラモーヌの伝説から一年、早くも三冠を期待されていた牝馬がいた。

その名もマックスビューティ。「究極の美女」と称されたその馬は、美しさと強さを併せ持っていた。

マックスの家系は一族総欧州血統の超良血家系で、母の母の母…を辿ると第二タイランツクヰーンという馬に行き着く。この馬は無敗二冠馬トキノミノルの母で、年度代表馬グリーングラスの先祖だ。名馬は名牝ないし名牝系から生まれる。

それに加えてナスルーラの3×4のインブリード。

↑でも紹介した通り、これは奇跡の血量での配合となる。狙った配合ではなかったらしいが、おかげで均整のとれた好馬体の幼駒が生まれてきた。

そんな名家の生まれであるマックスは、2歳女王決定戦のラジオたんぱ杯3歳牝馬S(GIII)を重馬場ながら2着で通過。翌年のオープン戦やチューリップ賞を余裕の3連勝。

本番の桜花賞ではマックスとほぼ同率で2番人気に支持されていた有力株のコーセイ相手に…

なんと8馬身差をつけてゴール。
12年前の桜花賞で2着に大差をつけ優勝した名牝・テスコガビーの再来とされた。

そのままの勢いでオークストライアルと本番のオークスも1着。

着差は2 1/2馬身差と前よりは縮まったが、それでも追い付けないと思わせる圧巻の走りだった。

その後も神戸新聞杯などで連戦連勝。怒涛の8連勝を記録し、「テスコガビーを超えた」「ラモーヌより強いのではないか」とまで言われ出した。

そして迎えた最後の一冠、京都2400mエリザベス女王杯。単勝1.2倍というディープインパクト並の圧倒的人気を集めてレースはスタート。

序盤は順調に進んだが、第3コーナーあたりで掛かりの兆しが見える。それでもそこは今年8連勝で負けなしの二冠馬。そこからスパートをかけ、最終直線で後続を突き放し…たかに見えた。

しかし、伸び切らない。

後ろから迫る影。レース中彼女を徹底マークしていたタレンティドガールだった。

襲いかかった末脚に抵抗する脚は、もう残っていなかった。

逆襲の名演

タレンティドガール

世代1987
血統父 リマンド(ブランドフォード系) 母父 ラバージョン(ダマスカス系)
母 チヨダマサコ 半兄 ニッポーテイオー(春秋マイル)
成績11戦4勝[4-2-2-3]
主な勝ち鞍エリザベス女王杯
主な子孫ホエールキャプチャ(VM) パクスアメリカーナ(京都金杯) ドリームセーリング(京都JS) エーシンホワイティ(ファルコンS)
ブラックランナー(高知・御厨人窟賞) コスモポポラリタ(門別・ブロッサムC) マチカネカミカゼ(盛岡・せきれい賞)

乾坤一擲の大駆け。執念の勝利だった。

マックスビューティは完全に交わされ、2馬身差での2着。淀の舞台はどよめきが溢れた。

今でこそ三冠牝馬は数年に一度必ず誕生するが、当時はハードルがかなり高かった。
東京2400と京都2400では求められる適性も異なる。当時の京都2400は今よりも圧倒的外枠不利で、かつ後方からの追い上げも届かないケースが多かった。

そんな中で道中外を回り続け、行きたがるそぶりを見せたマックスビューティと、ラチ沿いを淡々と走っていたタレンティドガール。マックスが強かったのは間違いないが、やはり展開が苦しかった。

二年連続三冠牝馬誕生の夢は、幻に終わった。競馬に絶対はないということがまたしても証明される一戦だった。

(※ちなみにマックスの馬主さんはマヤノトップガンの人なのでもうウマ娘実装は秒読みかと思われる。期待して待とう。)


牝馬はマックスビューティ一強時代だったが、牡馬戦線は群雄割拠を極めていた。

シンボリルドルフが三冠を達成した頃、シンボリ牧場では新たなスターに期待が寄せられていた。
海外に羽ばたけるようにと、馬主の和田氏はあえてシンボリの名を冠さずに名前をつけた。

三冠の波動

マティリアル

世代1987
血統父 パーソロン(トウルビヨン系) 母父 スピードシンボリ(ロイヤルチャージャー系)
成績19戦4勝[4-2-2-11]
主な勝ち鞍スプリングS 京成杯オータムH

この馬はルドルフと血統構成が似ており(父と母父が同じ)能力も高く、順調に育てば名馬になれる可能性を秘めた運命の子だった。

馬主の意向で早めのデビュー戦を勝利し、次戦の府中3歳S(現東京スポーツ杯2歳S)で、三冠馬候補最有力の世代最強馬と対峙する。

父はミスターシービーを輩出したトウショウボーイ、母父にシンザンという良血・サクラロータリーだった。

レースは大方の予想通り、ロータリーの圧勝に終わる。マティリアルは新馬戦の反動もあってか調子が出ず、3着と敗れる。脚部不安のために次の戦いは来年に持ち越しとなった。

だが、サクラロータリーはこの戦いの後に靱帯を断裂。引退を余儀なくされた。
悲劇の世代はここから始まる。


年が明け、皐月賞の前哨戦として迎えたスプリングS
昨年の西の王者ゴールドシチー、東の王者メリーナイスとの三強の構図が生まれ、その中でもマティリアルは一番人気に支持されていた。
騎手はシンボリルドルフを七冠へ導いた岡部幸雄。ここで衝撃のレースが展開される。

伝説の追込を前に、三強の勢力図は崩れ去った。

凄まじい後方からの追い上げ。我々が見れば「オルフェーヴルの有馬記念みたいだ」とか「ゴルシみたい」と思うが、当時こんな勝ち方は前例が無かっただろう。

恐らくこれを見た人は思ったはずだ。「彼はミスターシービーを超える逸材になる」と。


そして迎えた皐月賞
スプリングステークスで大敗した東西の2歳王者は大幅に評価を落とし、順当にマティリアルが1番人気。
そんな中で、新たな三冠馬候補が狼煙を上げる。

サクラ軍団同胞の無念を晴らすのは、サクラ軍団しかいなかった。

悲劇の星

サクラスターオー

表彰JRA年度代表馬(1987)
世代1987
血統父 サクラショウリ(パーソロン系) 母父 インターメゾ(ハイペリオン系)
成績7戦4勝[4-1-0-2]
主な勝ち鞍二冠(皐月賞・菊花賞) 弥生賞

最終直線、スターオーが馬群の中からいち早く抜け出す。後ろからゴールドシチーとマティリアルが猛烈な追い上げを見せたが、あと一歩届かず。

サクラ一族初のダービー馬、サクラショウリを父に持つスターオー。父が勝利することが出来なかった皐月の冠を手にした。

有力馬だらけの中、圧巻の勝利。スターオーはその名の通りスターになった…

が、レース後に繋靭帯炎を発症。ダービーを断念せざるを得なくなってしまう。父子制覇の夢は断念せざるを得なくなった。

一方のマティリアルは3着。
スプリングSでは劇的な追込を見せたが、先行馬総崩れのお陰で強烈な追込が決まったのも事実。明らかに過大評価を受けていた。


2年連続、本命不在の日本ダービー
もちろん最有力とされたのはマティリアルだったが…

調整過程で失敗してしまった彼は、馬体重マイナス16kgでの出走。本調子でないのは明らかだった。

前哨戦のNHK杯を勝ったモガミヤシマは故障で不在。
皐月賞で不調を抱え元気がないながらも、死んだフリ戦法で末脚一気に賭けてなんとか2着に食い込んでいたゴールドシチーが体調を戻して2番人気。
混戦の中、マティリアルが1番人気だったが…

6馬身差
それは、後続の足音も聞こえない程の圧勝だった。

混迷の四白流星

メリーナイス

世代1987
血統父 コリムスキー 母父 シャトーゲイ
成績14戦5勝[5-3-0-6]
主な勝ち鞍日本ダービー 朝日杯 セントライト記念
主な産駒マイネルリマーク(共同通信杯) イイデライナー(京都4歳特別) エスケイタイガー(大井・黒潮盃)
母父としての産駒ライジングタイド(中津大賞典)

東の2歳王者がここに来て復活。史上稀に見る圧勝劇を見せた。

ちなみに、彼は漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』でも偽名ではあるがチラッと登場する。

漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』第1Rより。耳元のベルでメリー感出してるのいいですね

メリーより先に、漫画では真面目に走ってることになっているゴールドシチーについて話さなければならない。

向こう正面で、前でレースを進めていたシチーは突然減速。ズルズルと後退し、それまでのレース運びが無駄になってしまった。
終わったかと思いきや、後方から4着に突っ込んできた。いい位置取りでレースを進めてれば…

こうなったのは騎乗ミスでもなんでもなく、単純に馬がやる気を無くしたから。性格的には追込の方が向いていたのかもしれない。


勝ち馬に話を戻そう。
メリーナイスも中々の不運に見舞われた馬だ。

鞍上の根本騎手は彼の強さに惚れ込んでいたが、朝日杯を前に足を脱臼

バレたらもう二度とメリーには乗れないと考え、足が痛くない位置を探り、テーピングをして誤魔化しながらすんごい騎乗フォームで朝日杯に挑み、しかも勝っちゃったのである。

↑すんごい騎乗フォーム

それで巡り巡ってダービージョッキーになれたのだから、この判断は正しかった…のだろう。

だが、朝日杯を勝ってもこの馬の評価は変わらなかった。この馬は3戦3勝で引退したサクラロータリーに先着されたことがあった。
「ロータリーがいたら」というたらればの上に語られる。これはもちろん不本意だった。
そしてダービーで完膚無きまでの圧勝。ようやく風向きが変わったように思えたのだが…

ダービーでも色々あった。気になる方はこれを見て欲しい。この件もあって完全にメリーはネタ馬扱いされてしまっている。

救いは…無いのですか…?


最後の一冠、菊花賞
もちろんメリーナイスが一番人気だった。
セントライト記念を制覇し磐石の体制かと思われたが、実は繋靭帯炎明けだった。(この世代靭帯炎多すぎない?)

一方マティリアルはというと、一旦大崩れした馬を復活させることは難しく、セントライトで大敗からの臨戦。岡部騎手は他馬の騎乗依頼を優先し、マティリアルはミホシンザンの主戦だった柴田政人騎手に乗り替わりとなる。

ゴールドシチーはひっそりとトライアルで斜行して失格処分。それでも2番人気。

そしてサクラスターオーは休養明けのぶっつけ本番。誰も彼も満身創痍で誰が勝ってもおかしくない状況だった。

秋の冠、最後の冠。
菊の季節に咲いたのは…

サクラスターオーだった。

実況アナウンサーの杉本清は「菊の季節にサクラが満開!サクラスターオーです!」とスターオーの激走を称えた。

当時ほとんど前例のなかった休養明けぶっつけ本番での勝利。そして二冠。それを彩る名実況。
たちまちスターオーは時の馬になった。

ゴールドシチーも2着に食い込んだが、スターオーのインパクトが強すぎて印象が薄い。
ウマ娘化されてなかったら忘れ去られていた部類の馬ではないだろうか。


そしてここでも不憫だったのがメリーナイス。
セントライト記念を勝ち、1番人気で出走したにも関わらず、9着に敗れてしまった。
そうなったら「スターオーがダービーに出ていたら、メリーナイスは勝てていなかったのではないか」となるのも自然だ。
しかし、スターオーはまだ現役。今後で決着を付けようと意気込んだ。

世代の王とダービー馬は年末の中山へ。
だが、これが最後の悲劇の引き金となる…

第32回有馬記念

この年の有馬記念は混沌としていた。

前年までのスター・シンボリルドルフやミホシンザン、サクラユタカオーらが引退し、メジロラモーヌも古馬になることはなかった。
マイル王ニッポーテイオーは距離が合わず出場回避。

スターがクラシック戦線にしかいなかったのである。
(そのため前回紹介したダイナアクトレスがスカスカメンツJCで3着したという経緯がある)

そんなこともあり、菊花賞でクタクタの馬達も有馬には出走することとなった。

レースの注目馬は、GI3勝目がかかったサクラスターオー。ダービー馬メリーナイス。GI初優勝が期待される名牝ダイナアクトレス
オッズ的にはこの三強で、その後に惜しくも三冠を逃しリベンジが期待されるマックスビューティ。昨年のダービー馬ダイナガリバー、孤高の逃げ馬レジェンドテイオーと続いた。

さて、この中で誰が1着を取っただろうか。
答え合わせをしてみよう。

なんだこの地獄絵図。

スタート直後に3番人気メリーナイスは落馬。
終盤に差しかかり1番人気サクラスターオーも故障。
2番人気ダイナアクトレスも、マックスビューティもダイナガリバーも伸びない。

落馬、故障、1〜5番人気までが掲示板内にすら入らない。しかもこのレースで上位入着した馬は後に結果を残せなかった。

勝ったのは菊花賞馬メジロデュレン。翌年以降は連戦連敗が続く。大波乱の有馬記念となった。


これだけで終わればまだ良かったのだが、このレースの与えた禍根は大きかった。

マックスビューティはエリ女での敗北と今回の大波乱の影響か以降全く勝てなくなった。しかし、現時点で9勝。なんとかしてもう1勝させてから引退させたいという陣営の思いに翻弄された。

結果は一年で6戦1勝。しかも1勝はオープン戦で、重賞では大敗を繰り返していた。


メリーナイスはサクラスターオーへのリベンジは叶わず、さらに翌年出てきた名馬達にボコボコにされて引退。不憫ではあるが特にこれといった出来事もなく、平和に余生を謳歌した。


対して、このレースに出てこなかったゴールドシチーはというと、以降はGII3着が最高着順。
種牡馬需要もなく乗馬になった。

乗馬になったのだが、我が強すぎるゴールドは新しい環境に馴染めず、乗馬の訓練にも慣れず、半年が経過したある日のこと。
悲しそうな馬の声の先には、右前脚を宙に浮かせ、涙を流すゴールドシチーの姿があった。
もう取り返しのつかない状況だった。

骨折の原因は誰にも分からないが、検証してみても骨折の場所が事故と思えないほど不可解な場所や状況だったことから、「自殺を図った」とも噂されている。

仮にそうなのだとしたら、常に他馬を従えて生きてきた生活の果てに、自分が下っ端として迎えられる現状に納得がいっていなかったのかもしれない。彼なりの精一杯の抗議だったのだろうか。


サクラスターオーは故障の後に安楽死させる予定だったが、ファンの「助けてあげて欲しい」という気持ちに後押しされた馬主は、何とか彼を延命させる方法を探した。

しかし、人間ほど簡単には治療出来ないのが馬。
馬は脚で自重を支えねばならず、3本脚で数百キロを支えていると残りの脚も折れてしまったり、立てなくなって衰弱してしまう。

スターオーは靱帯断裂と関節脱臼を同時に発症しており、ボルトを埋め込むなどして懸命に処置されたものの、徐々に衰弱、最後は自力で立てなくなり、そこでようやく安楽死となった。

人のエゴで生き物を動かすのにも限度がある。そのバランスを見誤ってはいけない。この一件でそれからの競走馬への対応が大きく見直されることになる。尊い犠牲ではあった。


マティリアルは翌年も負け続けていたが、陣営の懸命な努力により徐々に復調。岡部騎手を鞍上に戻す。

岡部騎手に戻っての初戦、京成杯オータムハンデキャップ。「最も勝率の高い方法で勝つ」ことを念頭に先行策を取ると、最終直線でなんとかハナを掴み1着でゴール。

ギリギリで掴んだ勝利ではあったが、最後の末脚はスプリングSの時より速かった。

実に二年半ぶりの勝利。これには岡部騎手も思わずガッツポーズ。

しかし、ゴールの後、速度を緩めた瞬間に
聞こえてはいけない音が聞こえてしまった。

右前第一指節種子骨の複雑骨折。
安楽死やむ無しの重傷だったが、馬主の意向で治療を決断。三時間以上の大手術はなんとか成功。

ところが三日後、マティリアルは痛みとストレスで出血性大腸炎を起こしたのだった。安楽死が遂行されるまで、マティリアルはもがき苦しみ続けたという。

彼らの苦しみは意味のあるものだっただろうか。
答えはYESだと思いたい。


以降、日本では馬がもう助からないと判断された場合は無茶をして延命させる事も無くなった。(サイレンススズカやライスシャワーが競馬場内でそのまま息を引き取ったのもそういうことだ)

しかし、元を辿ってみれば、今走っている馬全てが人間のエゴ。商業動物だ。普通ならしない馬と年に何十と種付し、その子が走らなければ処分される。

これって正しいのだろうか。

正しいも間違いも全部人間と時代が決めるもので、ここで語るのも野暮ではあるが、いずれにせよこうした馬の苦しみや犠牲の元で競馬が成り立っていて、華やかな勝利の裏で密かに消えていく命が何百何千とある事を忘れてはならない。

文字通り生命を賭けているからこそ、時に熱情の迸る一戦がある。そう信じたい。

あとがき

書いてる内に予想以上に悲しい内容になってしまいました…

牧場や乗馬クラブで触れ合える馬の中には、昔競走馬だった馬もいます。この時代より遥かに幸せな環境で、今の競走馬たちはセカンドキャリアを送っています。その事実にまず感謝です。

とはいえ、今年も予後不良になる馬は後を断ちません。骨折を完治させる方法でも見付からない限り、これはどうしようもありません。

競馬を見ている以上、その悲しみと付き合っていくしかないのです。

さて、次回から熱すぎる世代が続くため逆にどう書けばいいか困ります。

まず次回は悲劇の世代でもクラシック戦線に出なかったことで悲劇を免れた名馬2頭と、時代の変わり目に登場した名馬2頭!そして彼らと名勝負を繰り広げた4頭!あかん文字数が万超えてまう!

どこで区切るか見極め大変だ!頑張るぞ〜!えい、えい、むん!(ここでWe will rock youが流れる)

次回もお楽しみに。

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