【ウマ娘】映画『新時代の扉』をもっと楽しみたい人のための日本競馬あらすじ

新時代のサムネ

皆さん、ウマ娘の映画、『新時代の扉』はご覧になられたでしょうか。

(せめて冒頭だけでも見てってや)

興行収入は10億円を突破し、最終的には15億も見込めそうな成功具合ですが、正直僕は「ウマ娘の映画でもこんなもんなのか」と思っていて。

というのも、アニメウマ娘2期はあのエヴァンゲリオンやまどマギを超え「日本アニメ史上最も円盤(Blu-ray/DVD)が売れた作品」だったからです。

コロナ禍のしんどい時期に、鮮烈なムーブメントを起こしたアプリウマ娘とアニメ。その人気をもってすれば劇場版ガンダムSEED相手でもダブルスコア叩くくらいバカ売れするかなと思っていたのですが…

じゃあ作品の内容が悪かったのか。そう仮説を立て、私は実際に劇場に赴いてみました。

結論から言うと全然そんなこと無かったし、もっと観られていい、伸びて欲しい作品でした。

ウマ娘というカテゴリから外して考えても、純粋な異種族スポ根アニメ(?)として傑作レベルの出来。アニメ2期やROAD TO THE TOPが好きな方、そしてウマ娘に興味があるけど何も知らない方も是非観に行って欲しい作品でした。事前知識0でも面白いです。

ですが、「やっぱ映画を観るには最低限の予備知識が欲しい!」もしくは「歴史を知った上で映画の2周目に行きたい!」という方のために、簡単な予備知識を兼ねて、“新時代”に至るまでの日本競馬のあらすじを書かせて頂きます。どうぞよろしくお願いします。

ちなみに、新時代の扉のウマ娘作品内での時系列は

漫画『シンデレラグレイ』(87年〜90年?)→舞台『Sprinter’s Story』(91年前後)→アニメ2期(90年代前半)→漫画『スターブロッサム』(93〜97年?)→アニメ1期(98年前後)→ROAD TO THE TOP(99年)→映画特典小説『また星は巡る』(00年)→映画『新時代の扉』(01年)→→→アニメ3期(15〜17年)

となっております。

旧世紀のあらすじ 〜ジャパンカップと海外遠征〜

『新時代の扉』というタイトルには2つの意味がかかっていると思われます。

①主人公のジャングルポケットの活躍した時期が2001年(21世紀1年目)
②2001年のクラシック戦線(皐月賞、ダービー、菊花賞)で、初めて“外国で誕生した競走馬”に出走資格が与えられた年だった

①はいいとして②がわからんと思うので、20世紀のあらすじを見ていきながら解説しましょう。

ちなみにゲームウマ娘のメインストーリー一部では90年〜00年の牡馬たち、二部では05年の牝馬路線にフォーカスされています。

それでは本題です。


『新時代の扉』というタイトルは、日本競馬と海外競馬の関係がうっすら反映されているタイトルだと考えられます。ウマ娘にもなった競走馬たちをなぞりながら、日本競馬の進化について振り返ってみましょう。

前提として、80年代以前の日本は競馬後進国でした。ステイヤー(長距離走れるやつ)こそ正義、3200mのGIを勝てなければ、後世にまともに血を残せない。種牡馬(父親)になれない。それどころか、いつも大きなレースを勝つのは海外の馬を父に持つ子ばかり。海外から種牡馬を輸入し、成功するけど後継の種牡馬はその後継を作れないから血が途絶える。「日本競馬は種牡馬の墓場だ」などと言われた時期もあったそうです。

競馬はスピード。スピードのある血統を作らないと話になりません。その点で日本競馬は諸外国に大きく遅れをとっていました。

そんな状況に目を向けたのが社台ファームという馬の生産牧場の代表。“ノーザンダンサー”という、当時の世界競馬を牛耳っている大大大種牡馬の血を日本に輸入しようと、海外で“ある馬”を買い、日本に持ってきました。
(好きなウマ娘を調べて血統表見ると超高確率でノーザンダンサーが入ってます。試してみてね。)

脚が短く頭はデカく、見た目こそパッとしなかったその馬ですが、輸入するやいなや大成功。日本競馬の高速化の一助になったのです。

その馬こそノーザンテースト。ウマ娘でいう秋川やよい理事長の元ネタとされています。日本競馬を急速に発展させた種牡馬ですから、URAの理事長という役割も頷けますね。


時をほぼ同じくして、1981年。ジャパンカップが創設されます。

これは日本競馬の躍進(世界に通用する強い馬づくり)のため、破格の賞金で海外馬達を招待し、日本もここまでやれるんだぞ、という所をアピールする場を設けたのです。

ですが、1年目の結果は海外の3軍レベルの馬達にボコボコにやられ、レコードまで更新されるという悲惨なものでした。

トウショウボーイ(シービーの父)など突然変異的な爆速野郎や、マルゼンスキーのような海外からやってきた日本馬以外はまだ世界のレベルに無かった事が白日のもとに晒されてしまった日本ですが、そこからは臥薪嘗胆。日本のホースマン達は海外に追い付け追い越せと血統の更新、調教技術の向上に勤しんでいました。されど壁は高く…

1983年。当日の日本勢大将格のキョウエイプロミスが競争生命投げ打ってまでムチを入れまくり、激走しても2着。勝ち馬はイギリスのG1を1勝しただけの牝馬(♀)でした。これでもG1未勝利の馬に勝たれてた前回までより進歩してます。

まだまだ日本勢の勝利は遠いかと思われたところで、来る1984年。
19年ぶりの三冠馬が、満を持してジャパンカップに殴り込んだのです。

その名はミスターシービー。後方から他馬をぶち抜く追込スタイルで人気を博しており、蹄を痛めたものの天皇賞(秋)を快勝し、今が全盛期という感じでした。もちろん1番人気の支持を集めています。

(実はもう1頭、史上初の無敗三冠馬シンボリルドルフが参戦してはいたのですが、菊花賞からたった1週間後で、かつ「下痢をした」とか「相当疲れてる」といった噂もあり、4番人気に留まっています。)

三冠馬2頭。これで勝てなかったらそろそろ日本やばいぞという空気の中レースはスタート。
スローペースで展開していくレース。シービーにはかなり不利の展開。(スローだと前の馬が消耗しないぶん前にいた馬で決着しやすくなるため)

3番手からレースを進めたルドルフも追いすがるのですが、中々前の2頭との差が詰まらず…

結果、先頭で逃げていた日本馬カツラギエースがそのまま1着逃げ切りと相成ったのです。

…ちょっと待てぃ!!!!!と言いたくなる展開ですが、こうして日本馬のジャパンカップ制覇はあっさりと達成されました。

三冠馬2頭と海外馬をおしのけて10番人気の馬が勝っちゃうのが競馬なんですよね。スローに落として、直線向いたあとでもう余力残ってなさそうな素振りを見せつつ最後粘り切る、所謂「死んだふり」戦法での勝利。ちなみにウマ娘でもホーム画面でエースちゃんが死んだふりしてることがあります。

翌85年も万全を期して臨んだルドルフが勝利したため、自然と日本のホースマンの目は海外に向くようになります。

「日本の馬は海外でどこまでやれるのか」

1959年にハクチカラという馬がアメリカに長期遠征しなんとか1勝を挙げたことがありますが、それ以降はスピードシンボリ(現7歳で有馬記念を連覇した怪物)をもってしても勝ちには届かず。

その想いをスピードシンボリを母の父にもつシンボリルドルフで晴らそうとしたのですが、無敗三冠馬でさえも海外遠征はままならず。海外初戦のレース中に脚部にガタが来て、そのまま引退を余儀なくされます。


それ以降のジャパンカップはというと、出走馬のレベルが上がり中々勝てない状況に。

89年は辛うじてオグリキャップが世界レコードを叩き出しながら2着の大激走。この頃になると凱旋門賞(海外で1番大きい芝のレース。ウマ娘でも凱旋門賞を目指すだけのシナリオがあるくらい大きな存在)の勝ち馬が賞金をぶん取りに来てたので、充分日本馬は健闘してます。

(※ちなみにその時のオグリさんの模様は漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』14巻で描かれています。勝ち馬ホーリックスも健康ランド師匠フォークインとして登場。みんなシングレ読んでね!)

再び勝てるようになったのは、ルドルフの子、トウカイテイオーの時代から。なお、テイオーといえばウマ娘アニメ2期の主人公ですが、ジャパンカップ親子制覇は描かれていません。尺の都合上無情のカット。

その一方でオグリキャップやスーパークリークが海外遠征しようとするも、故障やコンディション不良で中止。ノウハウは少しずつ溜まりつつあったのですが、なかなか結果には至っていませんでした。

しかし、日本も変わり始めていました。

競馬を変えるのは血統。ノーザンテーストの大成功により莫大な資金源を得た社台ファーム代表は、次々と良い種牡馬を輸入していきます。

88年にジャパンカップに出走したトニービンという競走馬を買い取り、日本で種牡馬入りさせます。(88年のトニービンさんの走りもウマ娘シンデレラグレイ6巻で描かれています。強者ムーブから一瞬で失速したのは骨折のせい。骨折したから輸送にリスクが伴うため日本で種牡馬入りできた側面もある)

さらに終いにはアメリカの年度代表馬、サンデーサイレンスを16億5000万円で購入。一牧場としては破産待ったなしの大金を叩いて、なおかつ牧場にいる牝馬の大半にサンデーサイレンスを種付けさせました。これで子供が走らなかったら即破産だったでしょうね。

そうして生まれたのがフジキセキでした。『新時代の扉』では物語の鍵を握るウマ娘ですね。ちなみに名前のキセキとは“奇跡”ではなく、“輝石”です。

別の牧場ではブライアンズタイムという種牡馬が輸入され、トニービン、ブライアンズタイム、サンデーサイレンスという三頭の種牡馬で90年代日本競馬がほとんど完結してしまうほどに血統地図が書き換えられ、日本競馬のレベルも飛躍的に向上するのでした。

されどもなかなか越えられないのが海外遠征の壁。ましてや故障もつきもの。トニービンの子でありアドマイヤベガの母であるベガもフランス遠征を目指したのですが故障で頓挫し、サンデーサイレンスの子、ダンスパートナーや、凱旋門賞馬の子、サクラローレルといった馬が世界を目指せると夢を追いかけたものの、待っていたのは高い壁と残酷な現実でした。(ローレルの遠征はそのうち漫画『スターブロッサム』で語られるはず)

結局のところ、“最短ルート”には及ばなかったのです。


日本と海外の壁をぶち破ったのは、外国産(日本国内調教)馬の風でした。

結局海外の種牡馬を輸入して日本の牝馬に付けて走らすなら、海外の馬そのまま走らしたら良くね?となるのはごく自然の発想です。

当時の日本競馬は「内国産馬(国内で生まれた馬)を強くしたかった」、つまり日本の馬産を強化したかったのであり、あくまで日本馬のレベルがハイレベ諸外国に劣るのは分かっていました。なので当時のクラシック(皐月賞、日本ダービー、菊花賞、桜花賞、オークス)と天皇賞という、歴史と伝統あるG1レースには外国産馬は出られなかったのです。

ですが外国産馬の勢いは止まらず。ヒシアマゾン、ヒシアケボノ、シンコウラブリイ、タイキブリザード(漫画『スターブロッサム』ではスノウインハザードとして登場)らを中心に、数多くの馬が日本へ輸入され…

1998年。ようやく外国産馬シーキングザパールとタイキシャトルがフランスのG1を制覇しました。

前者はウマ娘では無から地球儀を産み出してくるやべーやつ、後者はウマ娘ではデビルマンコラで一部からミーム的な人気を博していましたが、競馬史的側面で見るとすごい馬たちです。(そもそもウマ娘になる馬はだいたい歴史的名馬)

そんな外国産馬の最高傑作がエルコンドルパサー。ジャパンカップを3歳で制覇して「国内に敵はない」とし、本気で海外に長期滞在。凱旋門賞を勝ちに行くことだけを考え莫大な資金と時間をを費やしたのですが、結果は2着。勝ったのはダービー二冠馬モンジュー。(ウマ娘ではアプリのメインストーリー1部最終章を参照)

では、内国産馬のレベルはそんなに低かったのか。その疑問にNOを突き付けたのが、我らが主人公でした。


そう。サンデーサイレンス代表産駒の一頭、スペシャルウィークですね。1949年のダービー2着牝馬、シラオキを先祖に持つこの馬は、外国産馬グラスワンダー&エルコンドルパサーの猛攻に何度となく立ち向かっていった、“日本総大将”です。(ここウマ娘1期&メインストーリー1部)

この時代の日本競馬はスター揃いで、1つ上の世代にはGI5勝のメジロドーベルや先述のタイキシャトルにウマ娘でもお馴染みの“異次元の逃亡者”サイレンススズカ。スペ世代はエルコンドルパサー&グラスワンダーの外国産馬VSスペシャルウィークの三強+セイウンスカイ、キングヘイロー、二冠牝馬ファレノプシス。

こいつらが引退したら日本競馬はスター不在のスッカスカにならないだろうかという不安を孕みつつも、スペシャルウィークとエルコンドルパサーが99年限りで引退します。

それと同時並行で進んでいたのが1999年クラシック。ウマ娘では今作『新時代の扉』に繋がる、『ROAD TO THE TOP』のお話ですね。文面で解説してもつまんないのでどうせなら見て下さい。全4話です。

こんな感じでクラシックが終わり、99年の有馬記念がこんな感じ。

この時に3着だった内国産馬テイエムオペラオーが、その後唐突に飛ぶ鳥を落とす勢いで覚醒します。

00年から01年にかけて、なんか年間無敗(00年)かつGI6連勝とかわけわからんことをやりだしまして、ほんでGIは5連続で2着が外国産馬メイショウドトウ。馬券買う人にとってはオペドトウの馬連買うだけのつまらん古馬戦線になってたわけです。

(「一度はグラスとスペシャルに敗れた馬が年間無敗ということは、それだけ今の馬のレベルが低いのではないか」と騒ぐ人もいましたが、そのオペラオーに負け続けた馬が内国産馬初の海外G1制覇を成し遂げてるので理論が破綻してます。ちなみにその馬はステイゴールドといって、つい先ほどウマ娘化が発表されたドリームジャーニーや三冠馬オルフェーヴル、破天荒アイドルホースのゴルシの父なんですけども)


そんな中で迎えた2001年。21世紀。改革として、「外国産馬へのクラシック出走権解放」が正式に決定しました。スペシャルウィークら内国産馬がグラスワンダー、エルコンドルパサーと互角に戦っていたこと、そしてサンデーサイレンスやトニービン、ブライアンズタイム産駒らの快進撃を見て、日本競馬の国際化のためにJRAが舵を切ったのでしょう。

「本当に大丈夫なのか」という声もあったでしょうし、「外国産馬が勝つようなクラシックは日本のクラシックと呼べるのか」というような問題もありました。そもそもクラシックとは未来の種牡馬を選定する競走ですから、そこに海外の馬をぶっこまれても、というところですね。そのへん詳しくを語ると大坂なおみは今の価値観では日本人だが〜的な話に飛躍していくので飛ばします。

もちろん外国産馬への不安は多大なるものでした。前年の00年に天皇賞の外国産馬出走権を解放したらいきなりメイショウドトウが2着ですし、00年クラシック、エアシャカールの世代の内国産馬が低調な状況もあったので。

その不安を加速させるように、01世代はとんでもない外国産馬がクラシックに殴り込んで来る予定でした。その名もクロフネ(ウマ娘では偽名・ペリースチーム)。実際は芦毛なんでどちらかというと白いです

クラシックに内国産馬しか出られない状態、言うなれば鎖国が解けた初年度に黒船来航っていうハイセンスな名前です。

ですが内国産馬もデビュー直後から素質馬揃いでした。タガノテイオー、ダンツフレーム、ジャングルポケット、アグネスタキオン、牝馬ならテイエムオーシャン。

これらの馬が集い、迎えるのが01年のクラシック。『新時代の扉』の舞台です。


能力に身体が追い付かない馬がいます。

ドゥラメンテ、サイレンススズカ、ナリタブライアン、マルゼンスキー、そしてフジキセキ。

エンジンの出力が強すぎて、躯体が壊れてしまう、つまり脚部にガタが来る。

サラブレッドは経済動物です。そもそも生物が時速70km弱を出すトレーニングを高負荷で行うと、脚部に熱を持ちます。その時点で故障は起こるべくして起こっており、多くの場合、その故障が遅いか早いか。顕在化するまでに使い倒して引退できるかどうかです。

そんな中でもドゥラメンテのように地面に叩き付けるような暴力的かつ力強い走りは、その圧倒的なパフォーマンスの代償に己の寿命を縮めます。また、体質によって違いも生まれます。いくら負荷をかけても壊れないキタサンブラックのような怪物から、ほんの少しで壊れそうになるフィエールマンのような馬まで。

フジキセキは、幻のダービー馬でした。社台ファーム総帥が倒産覚悟でサンデーサイレンスに種付けさせた1年目の馬で、サンデーサイレンスの脅威を競馬界に知らしめた馬でした。

父譲りの黒い馬体と、父に似ても似つかない大人しい性格。ムチを入れずとも能力差で勝ち切ってしまうため、生涯一度もムチを入れられることなく引退しています。要するに本気を出さずに引退したという事です。本気を出す前に、引退してしまったのです。

1995年、渡辺調教師と角田晃一騎手は涙を呑みました。「フジキセキがもしもダービーに出ていたら」と。

そこから5年。終わったと思っていた物語が動き出したのは、夏の札幌のことでした。

渡辺調教師が見つけたトニービン産駒ある馬が、彼らをもう一度夢に連れて行ってくれたのです。その馬こそジャングルポケット。フジキセキと馬主も同じでした。

フジキセキの馬主とフジキセキの厩舎で、フジキセキの騎手を乗せて目指すは新時代のクラシック。

立ちはだかるのは外国産馬クロフネ、そして前年のダービー馬の弟、アグネスタキオン

輝石で夢みた奇跡を、もう一度。

挑戦する者にしか与えられない、夢の頂きへ。


と、ここまでが競馬の側面から見た『新時代の扉』のあらすじでした。いや長いって。

ちなみに角田晃一騎手は息子さんと一緒に企画で映画を見てます。そっちも面白いので是非。

映画の感想

ここからは映画の感想です。ネタバレなし。

まずは良かった点から。

・フジさんが素敵でした。ウマ娘では宝塚みのあるフジさんしか見てなかったから、「こんな表情するんだ…」が多かったですね。フジさんの後輩になりたい。

・ポッケがカッコよすぎる。あまりにもね、カッコよすぎてね。ネタバレになるから言えないけど終盤本当にカッコよすぎて泣いた。本当に。

・作画と演出が段違い

↑やばくないすか?アニメ2期の唯一の欠点、レースへの没入感が完全に解消されている。

・天元突破オペさん。トリガー(キルラキルとかプロメアとか前身の会社では天元突破グレンラガンとかのアニメ会社)のスタッフが関わってたからか、それっぽい演出が何度か出てきました。カツラギエース娘があまりにもキルラキルっぽいデザインしてるので、あの時代も劇場版で見たいな…という淡い期待も出てきましたね。

・それとは逆にシャフト(物語シリーズとかまどマギの会社)っぽいタキオン。彼が喋ってる時ずっと背景がシリアスだったのになんかジャンポケだけ荒ぶってて面白かったです。

・ラストが最高すぎる。いやもうね、本当にポッケがかっこいいし、何よりタキオンファンは絶対に観に行って損ないです。理論派に見えて意外と感情とか可能性とか見えないものに光を見出すタキオンらしい最後でした。ここまで解釈一致タキオンが見られるなんて思ってなかった。更にタキオンが好きになりました。

では、(強いて言うなら)悪かった点を。

・クロフネがいないこと。これに尽きますね。クロフネがいたらどれだけ物語が引き締まってただろうかと…こればっかりは権利問題たから仕方ないですね。

・ゆるいパートが少なめ。なかなかシリアス展開が多いのでちょこっと途中で疲れてきます。ダンツとアヤベさんとドトウのふわふわキャンプを欲していた自分がいました。

・単一のトレーナーと単一のウマ娘視点だからどうしても中弛みするし必要以上に曇る場面がある。ポッケさんが思ったより人間味が強くて、人一倍悩むんですよね。キャラデザ解禁当初はそんな感じに見えなかったから意外でした。あとトレーナーが思ったより前に出てこないから本当にポッケの物語という感じ。

・ゴール前で叫ばせすぎ…っていうのは完全に3期のトラウマなんで気にしないでください。

これくらいですかね。

本当に胸を張っておすすめできる作品です。

私は今、メイクラとウマ娘3期とアプリ3周年でなんとなく熱量が下がり、ウマ娘というコンテンツ自体に冷めてしまったあなたに向けて書いています。絶対観て。

また離れていいから、これだけ観に帰ってきてください。シングレがアニメ化する日にまた会いましょう。

それでは。

あとがき

ここまで読み切ってくれた方、相当少ない気がする。長くてすみません。毎度申し訳ない気持ちです。

でもここまで読んでくれた方なら、映画に出てくる“謎のアレ”の意味もぼんやりと分かってくるんじゃないでしょうか。最後まで説明されなかったっすね。自分の中でもあくまで考察の域を出ないですね。意味が。

「フジキセキに憧れてトレセン学園入ったらライバルがタキオンになる」ことの意味が分かりますか?どうあがいても振り払えない呪いのようなものでしょ、これ。

本文の話に変わるんですけど、必要以上に日本競馬を下げちゃった気がしてます。JCで日本馬がボコされてたのって、1983年まで天皇賞(秋)は3200mだったのも大きいと思っています。(84年から2000mに変わってる)「3200の反動でJC凡走してた馬が多かっただけで、実際はそこまで差は無かった説」。ただ80年代前半はスター不在だったので、単純に能力の高い馬がいなかったのも大きいのかもしれないですね。

それにしても、海外馬にコテンパンにやられてた時代から、海外馬がコテンパンにやられるレースに様変わりして、アメリカもフランスもイギリスもオーストラリアもドバイもそれなりに日本馬が権力を握る時代になって、ケンタッキーダービー制覇も秒読みになって。

果たしてウマ娘が終わる頃には、日本競馬はどうなってるでしょうか。凱旋門賞勝ててたらいいんですけどね。

細々とこういうの書いて投下していくんで、これからもよろしくお願いします。

ではまた。

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